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春、きみを思い出す

「桜でも見にいこうよ、カメラでも持ってさ」
 寝起きの人に対する第一声がそれ? と心の中で思いつつ「んん〜」と、片目でスマホをいじりながら『はい・いいえ』のどちらとも言えない返事をする。そんなぼくをきみは、ただ黙ってじっと見つめ続けた。無言の圧力に負けたぼくは、のそのそと起き上がって洗面所へ向かう。適当に着替えて、寝癖は面倒だから帽子で隠した。
「じゃあ、行こうか」

 色違いのケースに身を包んだiPhoneと小さなレザーの財布、そして家の鍵を持って玄関を出る。家から徒歩3分のコンビニでサンドイッチと500mlの麦茶を買って、ぼくらは桜の咲く公園へと向かった。今日の最高気温は22度。「暑いね」なんて言いながら、お茶を飲んだりシャツの袖をまくったりして公園までの道を行く。
 電柱に貼られている謎の広告や道端に片方だけ落ちている軍手をスマホカメラで撮っていると、きみが言う。
「ねぇ、わたしも撮ってよ」
 きみは、撮った写真を確認しないくせに、やたらと撮られたがるような人だった。きみの横顔、きみの背中、きみの変顔、きみのスニーカー。「きみ」と付くものであれば、何だってシャッターを押す。いつの間にかそれが当たり前になっていて、気づけばきみに「撮って」と言われなくても自らカメラを向けるようになっていた。ぼくのカメラロールは、「きみ」関連の写真ばかりだ。
 そして今日また、桜と写るきみの写真が追加された。一人になると、よくカメラロールを見返してしまう。そこには、いろんな表情のきみがいて、どの表情もきっとぼくしか知らないだろうと思うと、少しだけ嬉しかった。

 きみが口にする願いは、いつだって手の届く距離にあるものだった。小さな願いを一緒に叶えるたび、それが明日を生きる希望に変わる。ぼくの願いは、「こんな日々がずっと続けばいい」それだけだった。けれど、ぼくの願いは叶わなかった。そんな日々がずっと続くことなんてなかった。
 春にきみと出会ったせいで、ぼくは桜の季節が来るたびにきみを思い出してしまう。心惹かれるものがあれば、すぐにスマホを取り出して写真を撮る癖も健在だ。今年の春も、桜の咲く公園まで一人で向かった。満開の桜を撮ってみるけれど、肉眼で見るほどには綺麗に写らなくて、なぜかどれもしっくりこない。きみが写っていない写真は、なぜかどれもセピア色に見えた。

 きみが好きだったコンビニのスイーツ。きみがよく聴いていた音楽。きみが好きだった花。気がつけば全部ぼくの好きなものになっていた。最初は引きずっているみたいで嫌だったけれど、今のぼくを作ってくれたのがきみのおかげなんだとしたら、それは感謝すべきことなのかもしれない。

あとがき

春に書いたショートショートが下書きのままだったので、少し加筆・修正を加えて投稿。昔付き合っていた人が好きだったものを、別れた今でも好きなままでいる。例えば、あの音楽やあのお店、あのお笑い芸人のネタ。不意にそういうものに触れると、当然のごとく思い出す人がいる。後悔とかそんなんじゃないし、多少思い出を美化してしまっているのかもしれないけれど、自分にとっては大切な出来事で、今の自分につながるかけがえのない時間・経験だったんだろうと思う。別れたあとの思い出を消すのが嫌で、写真を撮ったり思い出を作ったりするのが嫌な時期もあったんだけど、別に記憶の中まで消す必要なんてないかと、少し心に余裕を持てるようになって、ふと自分の変化や成長を実感する。

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