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『ツイテル僕と兄貴』第12回

   *

「やめなさい!」
 背後から鋭い声が飛んできて、俺はビクリと動きを止めた。振り返れば野々村先生がこちらを睨んでいる。
「今すぐ彼女から離れなければ、俺が強制的に全て終わらせる」
 視線だけでも弾き飛ばされそうな圧を感じた。彼にかかれば本当に、一瞬にして全てが終わってしまうだろう。
 俺はサッと両手を上げた。それでは足りないと顎でしゃくられ、ベッドからずりずりと引き下がる。
「……でも先生、俺は咲良が嫌がればちゃんとやめるつもりだったし、咲良には俺に見えてるらしいぜ?」
 馬鹿なことを言い出した咲良が悪いのだ。でもって、彼女が馬鹿なことを言い出したのは俺が過保護に育てたせいだから、俺が責任を取らねばなるまい。
「こんな頭ぽわぽわのお嬢様をこのまま置いていけるかよ。マジでいつか悪い男に――」
「うるさい。中身が誰だろうが長岡さんにどう見えていようが、俺には腐れ縁の同級生が女子高生を襲っているようにしか見えない。今すぐ一一〇番に通報したいくらいだ」
 そこまで言うかと突っ込もうとして、確かにこの光景は迷わず一一〇番案件だと思い直す。
「それに長岡さんはもう十分に怯えている。彼女にとって今一番危険な男は君だ」
 指摘されて、改めて咲良に目を向けた。押し倒した時は何も分かってないような笑顔で俺を見上げていたのに、気付けばその瞳に怯えが映っていた。
「……ごめん」
 俺が謝ると咲良が力なく首を振る。
「あの、話をしてもいいかな?」
 咲良に尋ねると同時に先生にお伺いを立てると、どちらも黙って頷いた。ついでに先生の後ろに青い顔をした譲が見える。弟にとっても今のは衝撃映像だろうなと、ちょっと申し訳なくなった。
「咲良」
 今度は彼女の隣に、今までと変わらない距離感で腰掛けた。
「俺が最後に告白したのは、咲良に忘れないでほしかったからなんだ」
「?」
 意味が分からないと咲良が首を傾げている。
「咲良が恋愛に興味がないのは分かってたから、生きてた頃は告白する予定なんてなかった。咲良が求めるままずっと隣にいるつもりで……今となっては過保護がすぎたと反省してるけどさ」
 ずっと隣で彼女を守っていられたら、どんなに幸せだったろう。そんな理想を捨てきれなかった一度目の告白は、ちょっと言葉が足りなかった。
「もし咲良が男に興味を持つようになったら、その時は彼氏に立候補したかもしれない。でも、今の咲良に無理やり俺の気持ちに応えてもらおうなんて、本当に思っていないんだ」
 だから馬鹿なことは考えないでほしい。咲良は自分の気持ちに正直に、自分を大事にしてほしい。
「でも私、基に守ってもらったのに何も返せなくて」
「だから俺のこと、忘れないでほしいんだよ」
 咲良がこの先もずっと俺のことを覚えていてくれるなら、お返しとしては過分なくらいだ。
「今の理想は、そうだな。将来咲良に彼氏ができた時に、俺を比較対象にしてその男を困らせられたら最高かな」
 言葉にしてみると、自分の執着が存外激しいことに気付く。これだから咲良の思いに囚われて、告白したのにあの世に行きそびれたのだ。
「ダメ?」
 じっと咲良の顔を覗き込むと、彼女は照れたようにそっぽを向いて「ダメじゃない」と呟いた。
「でも、基」
 今度は咲良がおずおずと切り出す。
「私、基がいなくなっちゃうのがどうしても不安で」
 それは俺も不安でしかない。
「どうしようもないって分かってるから、ホントは心配かけないようにしたいんだけど……やっぱり一緒にいてほしいって気持ちの方が強くて」
 だからこそ咲良は、そばにいるための対価を差し出そうと考えたのだろう。しかしこの身は下手に全てを差し出されたら彼女の命まで危うくしてしまうのだ。おかげで身体もないのに心臓が止まる思いをした。
「私、基がいなくなったら……どうすればいいの?」
「その答え、咲良はちゃんと自分で見つけていたように思うんだけど」
「え?」
 俺は譲へ視線を向けた。これまで蚊帳の外にいた弟が、ビクリと肩を震わせる。
「譲はまだちょっと頼りないけどさ、恋愛に興味のない咲良と同じペースで歩くにはちょうどいい相棒だと思う」
 咲良のペースが時折焦れったくなる俺と違って、譲はまだ咲良の隣に立つのも恐れ多いと思っている節がある。ふがいない弟だけれど、その分安心だ。
「譲、いろいろ振り回して悪かった。ありがとな」
「兄貴……」
 身体を借りると譲の意識がなくなってしまうから、お礼を言う機会はないと思っていた。最後に釘を刺しておく機会も。
「でも、お前は一生咲良の弟分でいろ。それが一番、丸く収まるんだから」
「そ、それは……咲良姉ちゃん次第なんじゃないの?」
 ……へえ、そういうこと言うんだ?
 ちょっと生意気になってきた譲と、自分の手を離れるのが不安すぎる咲良を見比べる。ついでに粛々と別れの言葉を述べる俺への警戒を解いた野々村先生との距離も確認しておく。
「咲良、今度こそ最後だ」
「え? ……うん」
「男は身勝手な生き物だから、自分の身は自分で守るんだぞ」
 サッと彼女を抱きしめて唇を重ねる――と、背後から伸びてきた冷たい手にグイと肩を掴まれた。
 ふん、誰が何と言おうと咲良のファーストキスは俺のものだ。

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