見出し画像

『ツイテル僕と兄貴』第5回

   *

「使えるものは使えと言ったが、そんな簡単に乗り移るか」
 譲の身体に入り込んだ俺を見て、向かいに座る男が予想外に目を丸くした。
「いや、今まで結構大変だったぞ。上手くいったのは、あんたのおかげじゃないのか?」
「可能性はあるな。俺は惹きつけやすいから」
 真顔でうそぶくこの男、亀山さんは霊能力者だという。
「譲がインフルエンザで弱っていた時が一番主導権を握りやすかったかな。でも、体調的に動けないから様子を見ているうちに、譲に身体を取り返された。今日に至っては近づくこともできなかった」
 せっかく咲良が会いに来てくれたのに、話ができなかった。
「そっちは透のせいだろうな。俺の相棒は最強だから」
「あの圧強めの先生か」
 確かに近寄りがたい雰囲気はあったけれども、あれは霊能力者の相棒だったからなのか。
「あいつが医師の職分を思い出す前に確認しておこう。君の未練はやっぱり咲良ちゃん関連か?」
 いきなり核心を突かれて、俺はグッと言葉に詰まる。
「初対面でバレるのか」
「いや、あれで気付かないのは透くらいだからな」
 そういえば女にも他人にも興味がないって、あれは譲ではなく俺に向けた言葉だろう。
「咲良は俺の死に責任を感じてる。それについては気にしなくていいときちんと伝えておきたいし、後悔があるとすれば咲良にちゃんと好きだと言えなかったことだ」
「……なんかもう羨ましくなるくらい青春してるな」
「悪いか」
「いや、全く」
 亀山さんは大人の余裕でニヤニヤ笑っている。そのせいで段々と恥ずかしくなってきた。
「こっちはもう半年も時間を無駄にしてるんだよ。いくら咲良に呼び掛けても全然伝わらなかったし、急に譲の身体を使えるようになったのはありがたいけど正直意味が分からないし」
「そうそう、俺が話したかったのはまさにそこだ」
 霊能力者が軌道修正を図る。
「状況から見ても霊能力が……君に対する適性が、譲くんの方が高かったのは間違いない。君が直接咲良ちゃんに話し掛けても気付いてもらえる可能性はほとんどないから、彼女と話がしたければ譲くんの身体を借りてするといい」
「もちろんそのつもりだ」
 その対価として入試を受けてやったのだ。借りは返してもらう。
「いい返事だ。間違っても霊能力者に通訳を頼もうとか面倒くさいことは考えるなよ」
 亀山さんがニヤリと笑う。なるほど、次善の策も一応あるのか。
「それから基くんは、自分が無力であることを忘れないように。幼馴染のために弟の身体を借りるトリックプレーをやってのけたのは確かに君だが、実現までに半年かかったのは譲くんの都合だ」
「譲の?」
「ここから先は今し方君たち三人を観察して導き出した俺の勝手な推測だが」
 一つ断りを入れてから、彼はズバリ切り出した。
「君、譲くんから嫌われてたろ?」
「え?」
「たとえ嫌っていなかったとしても、死んだ兄貴に譲くんはさして興味がなかったと見える。だから近くにいても全く君に気が付かなかった」
 言葉にされると切ないが、弟が俺を思ってメソメソしている姿は確かに想像できない。
「だが、君には死んでも死にきれないくらい大事な幼馴染がいた。譲くんから見た咲良ちゃんは、優秀な兄貴にお似合いのきれいなお姉ちゃんで、自分には手の届かない高嶺の花ってところかな」
「当然だろ」
 ふんと鼻を鳴らすと、何故か鼻で笑われた。
「その兄貴がいなくなったんだよ。しかも責任感と喪失感から咲良ちゃんは譲くんにベッタリだ。彼は思うわけだ。もしかして、アリじゃないか……と」
「はあ?」
「だから同じ高校に入ろうと頑張っていたことは、君も薄々気付いていたんじゃないか? それでも弟に負ける気はしなかったし、貸しを作るのにちょうど良かったから、インフルエンザで弱っていたところに付け入った。違うか?」
 まあ、間違ってはいない。
「譲くんは咲良ちゃんを意識することで初めて基くんを意識したんだろうな。絶対に勝てなかった兄貴が今や明確なライバルで、そのうちただの通過点になる」
「うぅ……」
「既に死んでるんだから諦めろ。君の後悔は咲良ちゃんに好きだと言えなかったことだけなんだろう?」
 俺は渋々頷いた。
「君が譲くんの身体を使えるのは、譲くんが君をバチバチに意識している今だけだろう。憧れの高校に咲良ちゃんと通い始めたら、死んだ兄貴のことなんか視界に入らなくなるに違いない」
「何だよ、それ」
「生きてる人間の目に留まらなければ、死んだ人間は何もできない。自分がいかに無力な存在か、分かったか?」
 霊能力者からの圧に、俺はまたコクリと頷いた。
「君の場合は咲良ちゃんに告白さえすれば無事に成仏できるだろうから深刻になる必要はない。さっさと当たって砕けてこい」
「……砕けてたまるかよ」
 簡単に言わないでほしい。十年かけて築いた関係をぶち壊すようなことを、今更。
「青春真っ只中みたいな顔をしたところで、基くんはもう死んでるからな。既に関係ぶち壊しだし、君の方は言い逃げできるんだから楽なもんだ」
 大人の余裕と他人事感を全面に出して、亀山さんが席を立つ。
「よし、行くぞ」
「行くってどこに?」
「咲良ちゃんのところに決まっているだろう」
 今の今で?
「待たせているから迎えにいくだけだ。譲くんのふりして家に帰っても俺は構わないが、本当にそれでいいのか?」
 よくはない。譲が本調子に戻ってしまったら、次はいつ身体を借りられるか分からない。
「分かった。行こう」
 遅れて立ち上がった俺を見て亀山さんが笑う。俺たちは幽霊と霊能力者というより、ただの高校生とお節介な大人としてここにいた気がする。

 咲良は病院の総合案内前の長椅子に座っていた。診察時間が終わったからか一部電灯が間引かれているが、まだ会計窓口などは開いているらしい。
「咲良」
「譲くん」
「違う俺」
 で、分かってもらえるだろうか?
 咲良は目を細めて俺を見つめ、やがて聞き取れるかというほどのか細い声で尋ねた。
「……基?」
「ああ」
 ずっと話をしたかったのに、彼女もそれを望んでいたことは知っているのに、どうにも言葉が詰まってしまう。
「咲良。俺、ちゃんと話を――」
 不意に腕を引かれたかと思うと、冷たい手が額を包んだ。
「いつまで待たせる気だ?」
 完全に医者の顔になった野々村先生が、心配そうに譲の顔を覗き込んでいる。
 ……え?
「また熱が上がっているんじゃないか? こんな時にこんな男を呼び出した俺が悪かった。とにかく今はしっかり休んで体調を整えることだ」
「せ、先生?」
 譲は目を白黒させ、野々村先生を見上げた。
「……あの、状況が見えないんですけど」
 右に同じである。
「やっちまったか」
 背後でぼそりと呟く声に振り向いた。どうやら俺を認識できる人間がこの場に一人しかいない。
――どういうことだよ?――
「言っただろう。俺の相棒は最強だって」
 改めて目を向けると、圧倒的な力を野々村医師から感じた。何というか、触れたら火傷しそうな熱にあてられて身体もないのに身がすくむ感覚だ。
 ……この男が譲の掛かり付け医だと?
「君の弟は本当に引きがいい。俺にとっても野々村透はいざという時の命綱だ。死者を惹きつけてしまう俺とは対極の、死者を拒絶する男だからな」
 亀山さんは少々困ったように、でもどこか誇らしげに、医師の職分を全うする相棒を眺めていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?