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映画感想文「NO選挙NO LIFE」選挙ライター畠山理仁氏の懐の深さが凄い。人間の存在への信頼をみた

歳を重ねるほど必要なのは、寛容さである。

人をジャッジするのではなく、受け入れること。

目くじら立てることは山ほどある。

だが、年長者は、無意識に経験によるアンコンシャスバイアスをたくさん纏ってしまっている。

危険だ。

それに、若者が怒り立つのは青いね、とある種眩しい輝きも放つものだが、年長者のそれは違う。

周囲を震撼させる。

だからおおらかにならねばと思う。

が、未熟者ゆえ、沸々と自らの中に沸るものを常に持て余す。

そんなわけで、この作品の主人公である畠山理仁氏50歳の度量の広さに深く感銘を受けた。

彼は選挙を主戦場とするフリーランスのライターである。

候補者全員に取材することを信条として掲げ、文字通り全国津々浦々の選挙取材に駆けずり回る毎日。

立候補から選挙までの限られた時間のなかで全員を取材することは、困難を極める。また多様な主張を掲げる候補者の中には眉を顰めたくなるような者もいる。

怪しい演説も独りよがりな主張も当然ある。

それでも有名無名問わず、全員に平等にひたすら主張を聞く。質問はするけど一切裁かない。フラットで温かで懐が広い。

素晴らしい。

それは「選挙による民主主義」を信じるも含め、人間という存在への全肯定、信頼である。相田みつをの「にんげんだもの」。そんな豊かさが彼にはある。

しかし、畠山氏の仕事は報酬としては割に合わない。ある種の責任感、自らの美学で動いてる状態である。

ひとりでも多くの人がこの映画を観て欲しい。そして選挙に興味関心を持つ。それが彼に対する唯一の報いだと思う。

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