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舞台『Defiled』観てきました

このところ、様々な舞台を観に行っている。もともと劇団四季が好きだしじゃにおただし、年にそこそこの回数観に行っているのだけれど、今年に入ってからはそれに拍車がかかっている。幸いなことに東京に住んでいるので、だいたいの舞台はそれほど遠出せずとも観ることができるのだが、今回初めて、舞台を観るためだけに新幹線に乗った。それが『Defiled』だ。

東京公演の劇場は200席しかない?戸塚祥太と勝村政信?そんなもん、取れない。私の運は昨年のキスマイ福岡と今年の大運動会で使い果たしたので、取れるわけがない。諦めようかなとも思ったんだけれど、粗筋を読んだだけで「どうしても観たい!」という気持ちがどうにも収まらなかった。

ハリー・メンデルソン、図書館員。自分の勤める図書館の目録カードが破棄され、コンピュータの検索システムに変わることに反対し、建物を爆破すると立てこもる。目まぐるしく変化する時代の波に乗れない男たちが、かたくなに守り続けていたもの。神聖なもの。 それさえも取り上げられてしまったら・・・。
交渉にやってきたベテラン刑事、ブライアン・ディッキー。緊迫した空気の中、巧みな会話で心を開かせようとする交渉人。拒絶する男。次第に明らかになる男の深層心理。危険な状況下、二人の間に芽生える奇妙な関係。
果たして、刑事は説得に成功するのかー。

戸塚さんが好きだから観に行きたかったというよりは、この粗筋にとんでもなく魅了されてしまって、大阪公演のチケットを取った(あ、戸塚さんのことは大好きです)。母からは「アホか」との声もいただいたが、結論から言えば、大阪まで行って本当に良かったと思っている。そのくらい、大きな衝撃を受けた。

序盤、本棚に爆弾を並べていくハリー(戸塚さん)。愛する場所に自らの手で引導を渡そうとするハリーのどこか寂しそうな背中に、すぐに舞台へと惹き込まれた。
途中、高いところに置いた爆弾が床に落ちてしまうのだけれど、それを戻すときの姿が印象的で。恐る恐る爆弾を確認し、ほっと息をついてもとの位置に戻すのだ。粗筋で「立て篭もり犯」と知ったときには遠い存在だったハリーが、血の通ったその姿を見たとき、一瞬で身近な存在になった。

この演目はきっと、キャストによって全く色が異なるのだろう。本公演では、決死の表情でせりふをまくし立てるハリーと、ちょっと困ったような顔で飄々と喋るディックの対比が、そのまま戸塚さんと勝村さんを見ているようで、ぐっと惹き込まれた。ディックはハリーに振り回されているかもしれないけれど、ハリーはディックにあしらわれているような、そんな感覚。戸塚さんはジャニーズで言ったら舞台経験は豊富な方だけれど、勝村さんに比べたらまだまだだ。だからこそ、「テロリストにならざるを得なかった真面目な若者」「定年間近の老練刑事」という対比がよけい際立って面白い。

なにせ二人しか居ないもんだから、舞台上で行われるのはひたすら掛け合いのみ。合間にディックの上司やらハリーの元婚約者やらがトランシーバー越しに登場はするが、基本的にはずっとハリーとディックの二人だけだ。舞台転換も何もない100分間だが、冗長に感じる瞬間は一度もなかった。二人とも、とにかく良く喋るのだ。自分のたちのこと、大切な人のこと、大切だった人のこと、大事にしているもののこと…どこで息を吸ってるんだろうってくらい、もっと無粋なことを言えばどうやって覚えたんだろうっていうくらい喋る、喋る。そして二人とも、言葉の選び方が実に軽妙だ。ディックの方は「君は自分の生きがいを死にがいにしたがるようなやつじゃない」など、言葉遊びを好む印象。一方のハリーは「ユニーク」という言葉を取り上げて「なんだその"結構ユニーク"ってのは?ユニークはユニークなんだ、絶対的にユニークなんだ!」と激昂するなど、いささか言葉狩りにも近いような印象だ。せりふに出てくる言葉だけを見ても、二人のキャラクターは正反対だと思う。

奇妙な関係を築く二人は、終盤、妥協点を見出したかに見える。しかしハリーはディックの出した案では新着図書の整理をすることができないと気付いてしまう。そして、その感情を真の意味で理解することは、ディックにはできない。自らの命を投げ打っても目的を達成したいハリーと、なんとか場を収めて家に帰りたいディック、死のうとする者と生きようとする者とでははじめから、大団円などありえない。

それでも終盤、ディックの案を一旦受け入れると言い抱き合ったハリーの感情は"安堵"だったんじゃないか、と思う。ハリーはきっと狂ってなんかいないし、死にたかったわけでもない。だからあの一瞬だけは、ディックを信じ、心から抱き合っていたんじゃないかと思うのだ。
あのシーンを観た途端、ハリーの物語は私にとって他人事ではなくなった。狂人でもなんでもない、いたって真面目に日々の仕事をこなしていたハリーだからこそ、自らにとって何より大切なものが失われることになった時、一線を越える以外の選択肢を取ることができなかった。じゃあ、私はどうだろう?自分の仕事において譲れない部分が、不可抗力によって永遠に損なわれるとしたら?爆弾を作って立て籠もる、まではいかなくても、意固地になってなんらかの行動に出ない、と言い切ることはできない。「Defiled」は、何かに誇りを持つ全ての人にとって、いつ自分事になってもおかしくない物語なのだ。

自分も本が好きで、中学の頃は目録カードにもそれなりにお世話になった。めっきり目にしなくなった目録カードだけれど、だからと言って図書館がこの世から消え去ったかというと、そんなことはない。コンピュータの検索システムは確かに検索ノイズも多いが、慣れてしまえばそれなりに使いやすいものだ。けれどテクノロジーが進み、紙の本すら姿を消すのではないか、なんて言われる現代、もしかしたら図書館は本当にいつか姿を消してしまうかもしれない。そう考えると、ハリーの悲観はあながち杞憂でもなかったのではなにか、と思ってしまう。

死にゆくハリーは最後の瞬間、自ら拵えた爆弾で吹き飛ぶ図書館で、何を思ったのだろう。戸塚さんの表情からは、「取り返しのつかないことをしてしまった」というような言葉が聞こえてきそうだ、と感じた。けれど多分、それは見る人によって違うのだろうし、もしかしてもう一度見たら私の解釈も変わるかもしれない。
本当に面白かった。当日券があるようだったのでもう1回観たいと思ったくらいなんだけれど、夜公演を観てしまうと帰りが終電になってしまうので泣く泣く断念。戸塚&勝村の『Defiled』ももう一度観たいけれど、他のキャストによる『Defiled』も観てみたいと思ったので、いつかまた東京で演じられるのを楽しみに待とうかと思っている。

ところで、作中に登場した「ハーディ兄弟、西へ行く」。どんな本なんだろう?と思って散々検索したけれど、残念ながら実在しない本らしい。「ハーディ兄弟」シリーズという推理小説は存在するものの、彼らは西へは行っていない様子である。せっかくなので同シリーズを読んでみようかな~。

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