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【書評】永田希『積読こそが完全な読者術である』

情報が濁流している。そう思ったことはあるだろうか。SNSが普及し、気軽に著名人の発言やネットニュースに触れられるようになった。X(旧Twitter)がその典型であろう。ただ、どうだろうか。その気軽さゆえに、そういった情報は即席的で、断片的で、下手をしたら誤った情報の時もあるだろう。そうしたまとまりのない、また玉石混淆のコンテンツが、有象無象に我々に押し寄せているが現代の特徴と言える。また、そこには、それら情報を上手く処理しきれず、何の収穫のないまま、その濁流に身を預けるだけになっているひともいるはずだ。同書は、そうした情報の濁流にさらされている現代人に対して、積読による「知の生態系」を築くことを提案している。

「積読」とは「本を買ったけれど読んでいないこと」であり、一種の「うしろめたさ」と共に語られがちである。例えば「その本、買ったんだけど積読にしちゃっててさ」とか、「積読してる本が多いから、今は本を買わないでおこう」という具合だ。だが、この「積読」が情報の濁流に対する抵抗になるというのだ。

といっても、ただ積読すればいいというわけではない。筆者が「生態系(正確にはビオトープ)」というように、そこには一種の動的なまとまり、新陳代謝が必要なのである。乱雑に本を積んでいるだけでは、情報の濁流とそう変わりない。「テーマを適宜、新しく設定し直していく過程で、自分が積んできた本を振り返り、また蔵書のケア(取捨選択)をすることによってテーマは鍛えられ積読環境はビオトープとして息づくことになる」(p. 124)というように、定期的に見直す必要があるのだ。まるで庭の手入れである。これによって抱えきれないほどの情報量に溺れることなく、自分が持てる有限の範囲内でじっくりとものを考えられる。それが筆者の「積読のすゝめ」なのだ。


*本文は、参宮橋にあるギャラリーカフェまのまの書評冊子「まのま日和」に寄稿したものである。

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