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じぶんでつくるゆうき

古賀氏がnoteを週日書き続けてすでに1000回を超えているという。
さすがだな~と思う。
古賀史健さんは岸見一郎さんとの共著「嫌われる勇気」を大ベストセラーにした人だ。
僕も妻に勧められて読んで大変感銘を受けた。
古賀さんはライターとしてたくさんの著書を作ってきた。中でも「書く技術」についての本、もうひとつのベストセラーと言われる「20歳の自分に受けさせたい文章講義」や、最新刊の「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」が好評である。
前者はひさしぶりに大きな書店をぶらぶらしていると、なぜか表紙のタイトルが目に飛び込んできたので即購入。
後者はあまりに分厚いのでしばらく積ん読になっていたが、思い立ってここ数日、最初からじっくり読み直している。
やっぱりさすがだな~~。
と感心しながら読んでいる。
古賀史健は「書くことは考えること」と言い切る。
ああ、これこそ最近の僕のテーマだ、と嬉しくなり、どんどん読み進む。
そして、そうそう、「つくる」とはこういうことだよな、とあちこちに同意できる個所がある。僕のライフワーク「歌を作る」にも全部当てはまる。
ああ、僕にもまた、なにかを作れそうな気がする、と、ますます嬉しくなり読み進む。ただあまりにも分厚い。今度は読了するぞ。

このように「自分で創る勇気」をあたえてくれるのが古賀史健さんの本なのだ。

世の中には僕のように、「クリエイティブ」に憧れながらも、そうそううまくはいかない無慈悲な現実にげんなりする日々を送っている人が、いかに多いことか。そしてその突破口として本に期待する人がどれだけ多いことか。
古賀史健氏のもののみならず、萎れたココロに効く薬であることを謳うかなり怪しげなものから結構専門的な装いの書籍までさまざまな「令和の読むクスリ」が書店の棚にどんどん増えていくのを見れば分かる。
そういう僕もそういった類の本に手を伸ばすこともある。
がっかりすることもあれば、中には実際に生活やココロの改善に「効いた」ものもある。
今の世の中は本当に多くの人のココロが「疲れ」「傷つき」「迷って」いる。
わたし、子供の頃はキラキラしていた。青春の頃は未来にワクワクしていた。就職したての頃は燃えていた。だけど今はどうだろう。
情熱の炎は消え、エネルギーは枯れ、憧れの人の正体がただのおっさんと知り、自分の人生も残り少ないと悟る。
ああ青春よもう一度。(再春館製薬とは実に良く名付けたものだ)
だから玉石混交、ピンからキリまで、「回復の書」が求められている。

さてしかし、古賀さんのこのようなすぐれた本を読んだからと言って、僕のいつしか萎れてしまった「クリエイティブな精神」が劇的に回復するとは限らない、ということは重々分かっている。(それは回春を謳う特効薬も同じ。個人の感想です)
だがだがしかし、少なくとも古賀氏の本を読んだ、あるいは読んでいる最中、僕は今、アタマの中、ココロの中の「ぐるぐる」をとりあえず「言葉」に翻訳してみよう、という気にはなり、こうしてキーボードを叩いている。
そしてまさに「書くことは考えること」だと実感している。

ブルース・リーやスター・ウォーズが銀幕の向こうから「考えるな感じろ!」とメッセージしたのは、1970~80年代だった。二昔前だ。
時代はまだまだイデオロギーが支配していたのだ。
今はどうだ。銀幕のメッセージをまんま真に受けた人々が作った世界は、感覚、反応、刺激第一のこれぞ近未来。これが近未来?という様相。

いやもう明らかにそんな呑気なことを言ってる場合ではなく、ひとりひとりがあらゆることについて「考え」なくてはならないのではないか。なぜなら世界はITという「考えなくてもよい技術」に革命されてしまったからだ。

「書く」ことで「考える」。人間としてこれだけは手放してはならない。そう確信する人にとって古賀史健の本は、厳しくも心強い、そしてやさしい座右の教科書であってくれるだろう。

(ちなみにこれ、決してアフィリエイトではありません。
個人の感想です。)

(西岡ドバ塾長、今日はこんなもんでどうでしょうか。)

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