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結びとは 〜糸〜


京都駅ピアノ。
気に入ってしまい、父母を誘って
もう一度行ってきました。

父の節目の誕生日だったので
京都のホテルでランチをしようと
親子3人で出かけたのでした。


京都駅にピアノがあるのを知らないというので
連れて行ったついでに弾いた一曲。

父が好きな曲を聞いて
弾けばよかったなと後で後悔。

案内するだけなのか
弾いたら聴いて待っててくれるのか
よくわからず案内してしまったので…

父母は知らないと思われる曲を
弾いてしまいました。

次にまた来られたら
リクエストを聞いておいて
父母の気に入った曲を弾こう。


振り返って、自分が親だったとしたら…

娘が長く習っていたピアノを
今も弾いてくれているのは親心として
単純に嬉しい。


父母も喜んでくれているといいな。

そう思ったのでした。



書くとは『結び』なんですよ。

少し前に、誰かに教えてもらった言葉。

「書き事は、昔、神事だったのです」とも聞き
『結び』という言葉に惹きつけられました。


書くことで、誰かと誰か
何かと何かを結べるのかな?

そう思っていると
この曲を思い出したのでした。


『ゆっくりできたか?』

ふるさとの家で、父がかけてくれた言葉。

「はい」とうなずき

「自分の家だと色々気になるけど
 ここでは気になるものがないから
 ゆっくりできました」

と答えました。


すると父は、ひと呼吸おいてもう一度

『ゆっくりできたか?』

と言ったのです。


ハッとしましたが
もう一度、同じことを言葉を変えて
伝えてみました。


物忘れのひどくなってきた父。

わたしに二度かけてくれた言葉。

心配してくれているのかな?

心配しているに違いない。

そう思うと
娘を案じているその気持ちに
泣きそうになりました。


幼少期、父は厳しく
やさしい言葉をかけてもらったことは
ありませんでした。

楽しかった思い出もありませんでした。

だから、わたしの身を案じるような言葉が
二度も父の口から出たことは
とても意外で、不思議な気持ちでした。


ずっと「好かれてはいない」と
思っていたのだけど、本当にそうなのかな?

興味も関心もない人のことなんて
それこそどうでもいいのではないだろうか。

だんだん同じことを繰り返し
言うようになってきた父が
気になるからこそ二度も声をかけてくれた。

それは「嫌われてはいない」ことの
何よりの証拠ではないのか。


今回も、勇気を出して
実家の玄関で「ただいま」と言ってみました。

二人ともそのことに何か言うことはなく
普通に笑顔で出迎えてくれました。

家を出たら親子の縁は切れると思い
親に今生の別れを言い、24歳で家を出たわたしは
その後「家を出ても親子の縁は切れないらしい」
と気づきます。

そう思い込んで過ごしてきた幼少時代。

どんな思いでわたしは
毎日を過ごしてきたのでしょうか。


家を離れた後、孫が産まれてから
わたしたち親子の関係性は変わり始めました。

わたしは去年の九州ツーリングから
考えを改めるようになりました。

父の誕生日を祝い『酒に弱くなった』と
照れたように笑っている父を見ていると

子どもの頃に楽しかった記憶がないのなら
これから作っていけばいいのかなと
秋に日光に行く約束をして帰ってきました。

『今年が最後の旅行になると思う』

そう言った母の言葉をかみ締めています。


『駅まで荷物を持って行こうか』

行きより荷物の増えたわたしに声をかける父。
あなたの足じゃ電車に間に合わなくなっちゃうと
母に諭されている父。

「大丈夫。持てるから」と声をかけると
『そうか』と安心した顔をする父。

「一緒に写真を撮ろう」と家の中で写真を撮り
『バスの時刻だから』と母は慌てて
わたしの荷物を一つ持って歩き始めました。

出遅れた父に『鍵を閉めてきてね』と言い残し
さっさとバス停に向かいます。

動きのゆっくりになった父は
なかなか姿を表さず
しばらく経ってからバス停にやってきました。

『駅まで送ろうか?』と
荷物の心配をして、また聞く父。

『持てるから大丈夫』とまた答えるわたし。
その言葉にホッとした顔を見せる父。


バスが来て乗り込み
椅子に座って窓から眺めると
窓が反射するようになっているのでしょう。

目の前に座っているわたしに気づかず
キョロキョロと探しています。

窓を開け、手を振ると
ホッとした顔で手を振り返す父と母。

何度も手を振り合っていると
ドアが閉まり、バスが出発しました。

最後に大きく手を振り、父母と別れると
動き出したバスの中で
また泣きそうになりました。



父母はわたしを好いてくれているのかな。

わたしは父母の愛情を感じたかったのかな。


我が子を思い、だからこそ
厳しいしつけをし、勉学に励むようにと
そればかり口にしていたのだろうか。

そんなことは何百回も何千回も思い
父母のことを心の中で庇ってきたけれど

それでもやはり、また
父母は悪い人たちではないと
思い直しながら帰途につきました。


子どもの頃にこうして
父母の愛情を感じることができていたら…

愛情を感じたかったのかな?

いや。いつの頃からか
父母のそう言った声かけを
拒んでいた自分を思い出しました。


わたしが意地になっていただけ
なのかもしれない。


今からでも遅くはない。
父母の愛情をはねのけず、受け取ってみよう。


そう思った今回の旅でした。




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