夢に対する思い込みを見せてくれた息子

夏も終わりに差し掛かったころ、息子が「カブトムシが欲しい」と言い出した。
カブトムシが一番元気だった夏の始まり、息子は虫が大嫌いで、とてもじゃないけど虫取りに行ったり、飼ったりなんてできたもんじゃなかった。
それが、、急に、、、だ。

私の心配は

本当に虫が怖くないのか、カブトムシのお世話ができるのかというのもあるが、この「夏も終わりに差し掛かったころ」なぜ言うのだ。それでも何とか叶えてあげたい、それが親の役目か。

いや、でも。とてもじゃないけどもういないだろう。
裏の山はどうか、あの山はどうか、ホームセンターにもしかしたらいるかも。あれも調べてこれも調べて、疲弊していた。

疲れたそして気づき

なぜ息子の夢を叶えるのに、私がここまで疲れなくてはいけないのか。もう嫌だ。でも、子どもの夢を叶えてあげるのが親の役目・・・。

いや、ちょっと待って。そんなことない。そんなことないよね。

おやおや?なんだか一人で事を大きくしている。

確かに息子一人ではカブトムシを採りに出かけることはできない。
→だから親が、私がなんとかしなくてはいけない。
→それは違う。
子どもの夢を叶えるのが親の仕事、なんて思い込んでいたようですね。

夢をかなえるのは一人が楽?

そしてもう一つ見えたこと。
夢をかなえるのに周囲を巻き込むことについて。私はこうして巻き込まれて「疲弊」したわけですが。
周囲を巻き込む
→疲れさせてしまう
→それは申し訳ない。
だから、「一人で夢を育てて自分の力で何とかしなきゃいけない」って思っていたよう。

息子がカブトムシを欲しがった件から、自分の夢に対する思い込みがあふれてきた。
夢をかなえるのことは「大変なこと」と大げさにしていたのも、私だったかもしれない。そりゃ疲れるわけだし、夢なんて持たないほうがいいと思っていたし。すぐにかなうことが良いことで、プロセスを楽しむなんてよくわからなくて・・・。。。。

いろいろなことがあふれてきましたので。それはまた後日の記事で。

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