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I have a pen.では英語が覚えられない理由

日本人は英語が話せない、という声はよく聞くのだが
それは勉強してないからでは決してないはずだ。

今や小学校から義務教育に取り入れられているし、電車の中でも、DMでも、検索型広告でも
「英語学習」「マンツーマンレッスン」「出張に役立つ」など、学びのオンパレードだ。

言わずもがなインターネットという超最強の学習ツールが存在する今、
洋画にも洋楽にも圧倒的に近い距離にいる。

かくいう私も、超飽き性の中でオンライン英会話は8年程度はゆるゆ続けていることの一つだ。

ところがどっこい

つい昨日のこと、急に香港にいる責任者にプレゼンをしなくてはいけなくなったのだが、いや喋れないのなんのって本当に絶望するレベルだった。。。

(心の声:離脱率ってなんだっけ、この場合は いい表現が あーあああああ)

絶望の中で、これは学び方を変えなくては、何がダメなんだと改めて考えてみるとー

結局、コンテンツは自分の中にしか存在しないし
英語は表現方法の一つでしかない。
ということに尽きると思った。

そう、私はピコ太郎じゃないので
I have a pen.ではなんの役にも立たないんだ。
ペンを持っています、なんて、面接で個人情報同意書にサインするか、試験の時しか言わないじゃないか。

究極言えば、他の国の人に伝えたいことがないなら、英語なんて学んでも仕方がないと思うのだ。

単語や文法を自分ごと化し、自分の中の表現として置き換えない限り
一つ一つの単語や例文は、血肉になるどころか、消化されずにそのまま排泄されてしまうんだ。

その場の用件を伝えるだけなら、もうポケトークとかで済んでしまうこの時代
なんのための英語なのか、もう一度考えてみたい。

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