見出し画像

腐った蒲鉾

休日の夕方。実家のリビングで寛いでいると、母がお茶請けにと蒲鉾を出してくれた。母はいつも蒲鉾を温める。時には湯煎、時にはレンチン。どちらにせよ、私たち家族はほんのり温かいほわほわの蒲鉾が食べたいのだ。一口食べて「蒲鉾はあったかいのに限るよね」と共感をわざわざ言葉にしていちいち共鳴するのが私たち母娘のお約束だ。


私には、母が蒲鉾を出してくれると蘇る思い出がある。
学生時代に一人暮らしをしていた頃、月1度ほどのペースで母が段ボール箱1つ分の荷物を送ってくれていた。大学院時代は金銭的な仕送りをもらっていなかったため(親がしてくれなかったのではなく私が意地になって受け取らなかった)、母は私がとても苦労しているのではと思い、物的な仕送りをしてくれていたのかもしれない。その中身はすぐに食べられる食品であったり、お菓子であったり、本であったり…時には何かの景品で手に入れたであろう絶対的に洗いづらいミッキーやキティちゃんなどの形状をした食器洗いスポンジなどだったこともある。私を思っての品と、自分が使わないからくれたんだろうなと分かる品と、母の色々な思いが詰まった箱をツッコミどころを探しつつ開ける儀式はいつも楽しみだった。

中でも本のチョイスは割と独特だった。私が1日中論文を書いていて眼精疲労と肩凝りが酷いと言えば『肩凝り改善のススメ』、あの子ちゃんと食べているのかしら?と心配になったのであろう『運動1割食事が9割』といった具合に、その時母が私に関して気に掛かる問題があれば、それに関わる本が同梱されていることが多々あった。送ってくれた本を読んだことはあまりなかったが、心配されているのだな、という認識を得るくらいには役立ち、なんとなく気をつけるように過ごしたことはあったのだと思う。


食材の中で母が最も頻繁に送ってくれたものが蒲鉾だった。生まれ育ったまちにある「新湊かまぼこ」という会社の蒲鉾で「やわらか」という商品と、バジルとコショウが練り込まれた結構しょっぱい蒲鉾(調べたらもう販売されていなかったし名前も覚えていない)がお気に入りで、母がよく送ってくれていた。(ちなみに、新湊かまぼこは数年前に経営元が変わったそうで、今も新湊かまぼこという名称なのかどうかわからない。あえて調べるのはやめた。私の思い出の中では今も新湊かまぼこなのだが。)

ある時、母が送ってくれた大好きな「やわらか」を腐らせてしまったことがある。私は元来寂しがりやで、一人暮らしの部屋では見ていなくてもずーっとテレビを付けていたり、DVDで映画を流したりしていないと心細くて過ごすことができなかった(当時はまだネトフリなんて普及していなった時代)。誰かが何かを話している、という状況がどうしても必要なのは今も変わらず、何かしらを流しっぱなしにする癖は現在も進行中だ。
それに似た感覚で、母が送ってくれて荷物を当時の私は「そばにいる誰かの気配」として心の拠り所にしていた。食べ物はキッチンの引き出しや冷蔵庫にしまった後、雑貨類は箱に入れたままその後しばらくはリビングに置いて常に視界に入る場所に置いておく、という謎の習性があった。家で過ごす時間、母の気配が感じられる、実家からの空気が入っているであろう物質を、いつもそばに置いておくことで、寂しさを紛らわすという手段に出ていた。離れて暮らす母の存在をダンボール箱とその中にわずかに残した雑貨数品から感じ取っていたと考えると、少々気持ち悪い気もする。しかしその時は、母が私を思って詰めてくれたダンボールがそのままになっている空間が、なんとも居心地が良かったのだ。自分のことを思ってくれる誰かの思いが形になった物それ自体が空間の中に物的に存在することに依存していたのかもしれない。
まぁ親離れできていないのだ、今も。毎日のLINEは欠かせない。おそらくこれからも。

その癖が災いし、雑貨に紛れて「やわらか」が1つ箱の中に取り残されていることに気が付かず、放置してしまったことがあった。荷物が届いて1週間ほどが経った頃、部屋のどこかから異臭がし始めて、私が愛の証としてそばに置いて愛でていたダンボール箱の中の「やわらか」がその臭いの元だったことを理解した時のショックは、今でも蒲鉾を食べる度に思い出すほどにはトラウマになっている。生ゴミは毎日マンションのゴミ捨て場に捨てにいくほどには部屋の衛生面と虫(G)を気にかけ、清潔を保っていることを自負していた暮らしの中に異臭が混じったというなんとも悔しい実績もまた、そのショックを助長させたのかもしれない。


その時私は蒲鉾が冷蔵品であることを深く深く実感した。それ以降、蒲鉾の温度管理にはかなり過敏になっている。スーパーで蒲鉾を買った日には、冷蔵庫に入れるまで買い物袋の中の蒲鉾の存在が頭から離れれることはない。いつも視界に入れておきたいほど心の拠り所にしていた母からの贈り物、それを腐らせた罪悪感に苛まれ、「蒲鉾は要冷蔵!10度以下で保存なんだ!!!」とあれ以来何度心の中で何度叫んだことか。
あれから約10年。母と一緒の食卓で蒲鉾を食べる度にあの腐敗臭が蘇る。喉の奥がギューっと閉まる、臭くて苦い思い出だ。


ちなみに「やわらか」(今では食べなくなったけど現存すると思って書いている)は、白くて文字どおり柔らかいシンプルなとっても美味しい蒲鉾です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?