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この世界への扉

幼い頃、祖父の自転車の後ろに乗ってあちこちを巡って時間を潰すのが楽しみだった。
母は自宅の隣の建物でピアノ教室を開いており、すぐ近くにはいたものの、いわゆる共働きの両親のもとで育った。兄とは7つ離れており、私が生まれた時には小学1年生だ。幼稚園バスから降りて母から迎え入れられた私は、母の生徒さんが通ってくる頃には祖父に預けられた。
祖父は魚屋さんをしていた。戦後の闇市から行商を始めた人で、その後は地元の漁港で仕入れた魚を中央市場に卸すようになり、そのうちお店を構えた人だった。私が幼い頃は、祖父も現役で働いていた。お店を閉めて20時を回って帰ってくるのが日常だったが、どういったスケジュールか、祖父が家にいる時があって、幼稚園から帰ると自転車の後ろに乗せてもらいあちこち散歩へ出かけたものだ。祖父は自転車で出かけることを「散歩」と言っていた。いつも「散歩行くか?」と。


祖父との散歩のルートは日により様々で、おもちゃ屋さんへ行ったり、祖父のお魚屋さんに行ったり、街の個人スーパーに寄ってみかんを買ったり、「この間はあそこへ行ったから…」と言いながら日毎に街をフラフラしていた。自覚はなかったが、おそらく私はおじいちゃん子で、その時間が大好きだった。急ぐことなく、時間の流れがゆったりしていて、子どもながらにとても穏やかな時間を過ごしている感覚があった。
加えて、孫だからだろう、祖父からはいつも気にかけてもらえている実感があった。お腹は空いたか?喉は渇いたか?おもちゃ屋さんに行けば、何か欲しいものはないか?マメにそう聞いてくれる祖父からはら、いつも可愛がられている感覚を得ていた。この人は私を大切にしてくれている人だ、という自覚があったのだ。


祖父の自転車の後ろに乗っておもちゃ屋さんへ出かけると、よく電池で動く犬のおもちゃを買ってもらった。家に帰ると祖父はそのおもちゃの犬にリードに模した紐をつけてくれた。これがただのビニル紐で、なんとも安っぽくてなんか嫌だった。嫌だったのだけど、紐がついた犬のおもちゃを見て満足気な祖父を見て、その雰囲気がなんだか良くて、安っぽいビニル紐にもなぜかいつも納得してしまっていた。あれはあれで良かったのだ。
今考えると、そうそう壊れるものでもないはずなのに、何度も買ってもらった記憶があり、しかも部屋が犬のおもちゃで渋滞した記憶もないのが不思議だ。もしかしたら、買ってもらったはいいものの、私が大切にしていなかった可能性もある。酷い話だ。

祖父との散歩で、一度だけ海に行ったことがある。海に着くと岸壁に船が止まっていて、船で作業をしているおじさんと祖父が親しそうに話を始めた。今思うと漁師なのだろう。当時は漁師なんて概念もなかったし、漁船を近くで見たのも初めてだった。
すると祖父が私をヒョイっと抱っこして船に乗せれてくれたのだ。乗った瞬間安定感のない足元に不安を感じ、怖い怖いと割としっかり目に騒いだ。慌てた祖父は私を船から降ろした。降ろしてもらった後、恐怖感を忘れた私はもう一度船に乗りたかったのだが、一度怖がってしまったことで祖父はもう船に乗せてはくれなかった。
それ以降祖父との散歩では海に行っていない。

それから25年が経ち、私は祖父が創業した鮮魚店を3代目として継いだ。
継いだばかりの頃は祖父と海に行ったことなど思い出さなかった。大人になって見る海や漁港の風景は、その時の記憶と繋がることはなかった。祖父と散歩に出かけた日々のことも思い出すことはなかった。
継いでしばらく経ったある日、地域で「旧漁港」と呼ばれている場所に行った。お店で一緒に働いていた叔父が「昔はここに漁港があって…」と教えてくれた。その時の既視感が、祖父と一度だけ海に来たことを思い出させた。祖父があの時「海に行こう」と言って連れてきてくれたのは、仕事に通っていた漁港だったのだ。
そしてその場所が移転したところに今私は仕事に通っている。

旧漁港1
旧漁港2 蟹籠漁船と漁具


その時までずっと、そして今も少し、余所者である感覚を得ていた。私たちの業界では、魚屋に生まれ若いうちから魚屋に入り親と一緒に仕事をしていくキャリアが当たり前の環境だ。もちろん一度家の外での仕事を経験してから家業に入る人も多いが、皆んな潜在意識の中に、いつかは継ぐことを想定している人が多いらしい。一度地元を離れて、しかも継ぐことなんて1ミリも考えたことのなかったにも関わらず30歳を手前にこの業界に入った自分に、馴染めなさを感じていた。いきなり来てしまった環境で周囲との差が埋まらない感覚。いつまでも他人のフィールドにお邪魔している気持ち。今もそれは変わらない。「ずっとここにいた人」との壁は大きい。

ただ少しだけ、その壁は祖父との思い出により下げられた。私もここにいたのだ。ちゃんと幼い頃から。この世界への扉は、あの時すでに開いていたのかもしれない。

いつから一緒に自転車で出かけなくなったのだろう。私が小学生になってからか、祖父が病気になってからか。
ここにいる理由、みたいなものを自分で見つけられたり作り出せたりするほど器用ではない私に、祖父が繋いでくれた縁なのかもしれない。

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