地獄にある私たち
世界のニュースを観れば
ふと気づいてしまう
悲惨な事件ばかりが
映し出されるのだ
ここは地獄としか
捉えようもない
そう思えてしまう
☆☆☆
こんにちは!
フジミドリです♡
【癒や詩絵物語】は日曜の午前10時に公開しております。残り10回の予定です。
今回は、道術家である私が一冊の本から感じたままを詩と物語へ組み直して、朔川揺さんの絵に添えてみました。
創作の背景など、別サイトへ揺さんとお喋りしつつ、木曜の朝9時に公開です。
では早速──
☆☆☆
昔々あるところに王太子がいた。
彼はこの世を憂いている。なぜかといえば、世に貧困があり、病は巣食うからだ。
誰もが老いて死んでいく。
繊細な彼は、そうした現実に耐え忍ぶ粘り強さを保てなくなった。ついには妻子も王家も捨てたのである。
森で苦行を重ねた後ひたすら瞑想する。そうして何年かが過ぎてようやく悟りを得た。
この世は幻想である。欲塗れなのだ。そんな観念を捨てれば、心が平穏に満たされる。
平穏な心で生きればよい──
彼は生前、一冊の本も書かなかった。伝道によって帰依した弟子達へも、彼の教えを書き残さないよう言い含めたのである。
言葉は不完全。場の雰囲気までは伝わらず、語り手の思惑を違えて広まるから。
にも拘らず、彼の死後二千数百年を経て夥しいばかりの書物が出回っている。
そして、彼は平和主義者であり、業や輪廻と階級差別や女性蔑視も否定し、平等思想まで唱えたことになっているのだった。
後世の研究者達が、彼にこうあってほしいと懐いた理想像を無意識で重ねたからだ。
☆☆☆
『覚者といっても現代人じゃない。だったら今ここで生きてるオレらが気づいたことを、土台にした方がいいと思うけどな』
『この世は幻想だって悟り澄ましても、気休めにもならん。悩みぬいて転げ回るほど苦しんで、泣き喚くしかないもんね』
『なんでオレに目があるか。地獄の現実を観るためさ。どうして耳があるのか。この阿鼻叫喚を聴くためなんだよ』
『おっといけねえ。忘れていた。決まってるんだった。生まれてから死ぬまでビシッと何もかも、済んじまった映像なのさ』
☆☆☆
この世は地獄
悩み苦しむことばかり
辛くて悲しくて
けれども
逃げなくてよい
怖がらなくてよい
目はつぶらず
しっかり見ても
大丈夫
耳は澄ませて
指で塞がずとも
大丈夫
──全て幻想に過ぎない!
なんて見ないふりして
聞こえないふりして
顔を背けなくても
やっぱり大丈夫
決まっている映像だから
済んでしまった世界だから
きっと乗り越えられる
ものだから
☆☆☆
お読み頂きありがとうございます!
次回は4月14日です。
ではまた💚
ありがとうございます🎊