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チクセントミハイから社畜化現象について考えた話【読書メモ】

こんにちは、ゆあさです。

最近、会社の輪読会に向けて、「フロー体験 喜びの現象学」を読み始めました。

How to 本ではない類いの、背骨になるような本だなぁ…と噛み締めながら読んでいます。

いや、まだ1章しか読んでないのですがね。


それでも、頭をズッコーーンとやられたわけですよ。
1章から。

1章は“幸福の再来”というタイトルで、まさにこの本のマインドセット的立ち位置にあると捉えました。


どんなことが書かれているか、個人的解釈9割越えでお伝えしていきます。


社会化、最終形態

時代が移りゆくなか、より社会を発展させていくために、ひとは組織を作って、マネジメントやリーダーシップによって、産業を発達させていきました。

今の時代も、まさに多様な人材の力をもってして、社会的な発展を遂げようとしていますよね。

そして、労働力が不足している背景から、会社は離職を防ぐべく従業員の組織適応とか、かなり力を注いでいるわけですよね。
「組織社会化」とか、
先日の記事の「プロアクティブ行動」なんかは組織の求心力を高める取り組みだったりします。


こういった求心力を高めて、人の社会化を進めていった結果…
「社畜大量生産ってな感じになっとらんか?」と問うわけです。
チクセントミハイが。(妄想)

最も効果的な社会化の形は、人々が社会秩序にまったく同化することにより、もはや社会のどのような規則をも破る自分を想像できなくなるときに達成される

p.22

でね、チクセントミハイは続けて問いかけるわけですよ。
「きみ、幸せなんか?」と。(妄想)

この一文を読んで、まさにタライを落とされたような気持ちになって、本を冒頭から読み直しました。


本当の意味でのプロアクティブ

ちなみに、社畜化あかん!って感じで教えてくれています。

人は社会統制によって引き回される操り人形に変えられる必要はない

P.24-25

チクセントミハイは、社畜化しないためには、外的な環境に振り回されるのではなく、「自分の目標を育てる」ことが大切なんだぞ!教えてくれています。

この自分の目標を育てる第一歩は、
その時その時のできごとの中に報酬を見出す能力を見つけること」と教えてくれています。
(まさに「今ーここ」!フッサール!!←なぜか興奮)

そして、社会統制から自分が独立するためには、

「苦痛と快楽は意識の中に生じ、その中にのみ存在する」ことを理解して、意識はどう働くのか、意識の統制について知ることが大切なのだそうです。

この章では、「今ーここ」に意識を向けて、自分がどう感じ、何を考えているかに向き合うことの大切さをしみじみ思いました。

社畜化現象について考える

この章を読んだことをきっかけに、組織への求心力と社畜化現象(勝手に命名)について考えています。

  • 仕事が生き甲斐

  • 仕事が趣味

上記のように、働くことに生き甲斐を感じている人は、組織への適応は最強だし、求心力もMAXなのかと。
一方で、俗にいう「社畜」化された人は前者とは異なり、どう見ても精神衛生が悪そうです。

ただ、精神衛生は横に置いておいて、求心力だけスカウターで数値を見たとしたら…
同じような数値の場合もあるかもしれない?!なんて思います。


この前者と後者の違いを考えてみると…
自分の意思で目標を育てているか否かなのかもしれません。
さらには、自分の気持ちを蔑ろにせずらアサーティブに向き合っているか否かなのかもしれません。

勝手に作った、そして思いつきすぎる図


こう考える背景には、わたしの産業保健師としての経験があります。

産業保健師の仕事をしていると、過剰に組織適応をした結果、心が苦しくなってしまう方に出会うのですよね。

そういう方は、大抵の場合、仕事はできるし期待もされている。
周りとも上手くやれているようにも見られている。
この人がメンタル不調になったの?!なんて思われる方もチラホラ。

だけど、これらのパフォーマンスが過剰適応の結果に起こっていたら?

組織の求心力を高めるとはよく聞くワードだけど、求心力が高まったとき、そこにいる人の状態はどうでしょうか?

言葉の表面だけ見てしまうと、過剰適応には気付がないかもしれないなぁ…なんて思うのでした。


求心力という一側面の結果だけではなく、いろんな角度や高さ、距離から人・組織を見なけばならない…
そんな気づきを得つつ、
いろんな思いを馳せている今日この頃なのでした。





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