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復職という名の船は出航する、たとえ沈んでしまう可能性があるとしても

 おつかれさまです。
 名前を持たない私です。

 今日はのんびりまったりと「しにたい」「つかれた」を反復横跳びしていました。目が覚めたときから、なんだかいつもと身体が違って重かったことは覚えています。覚えていると、書いたので、勘のいい方、身に覚えのある方はわかったかもしれません。

 ――ぼーっ、としてただけなのに時間が溶けてました!!
 ………本当にこれ不思議ですよね。説明しようとしてもできない。やろうとしていたことはあったんですよ。手帳活して、読書して、やりたいなあって頭に思い浮かべていたはずなんです。そういった願望が淡く消えゆく雪のように姿さえ消して、ぼーっ、としていました。厳密に言えば、ちゃんと前日に予約チケットを取った映画は観に行けたし、夕方の整体にも行けたんですけど、その記憶はあるんですけど、その前後があまりにも曖昧すぎるんです。
 前述の、「しにたい」「つかれた」の反復横跳びというか、この二つの感情へのスイッチがやけにゆっくりだった気がします。じんわりとボタンを押し込むイメージです。

 そうそう、復職に向けて不安だようというお話をしたいのでした。
 今思い出しました。
 今私がいる会社は、身体障害雇用で入りました。周りは皆大卒ばかりで、専門卒の私は勝手に劣等感を抱え込んでいました。
 ………新入社員の頃、自主性を求められました。同じ場所に配属された同期と比較され「もっと積極的になってほしい」と言われました。これはもちろん仕事の話です。しかし認知が歪んでいる私は言葉の意味を受け取れませんでした。
死なないためにブレーキを踏みまくって生活をしているところに、
「アクセルを踏んでくれ」
 
そう言われた気がしたのです。
 会社のトイレで吐き(非嘔吐)、泣いて、それでも出社をつづけていましたが、すぐに体は限界を訴えました。
 明るいことが求められます。自主性のあることが求められます。ネガティブなことを言えば、もっと不幸な人はいるんだからと注意をされ、リフレーミングを促されます。そのリフレーミングも、私が既に到達した後の回答を第三者の他者の正解として語られます。他者という鏡よりも、私がいる地点より水上からアドバイスが降ってきている感覚でした。頭がおかしくなりそうでした。それが上司だけならよかったのかもしれません。同じ場所に配属された同期も、私は苦手でした。その同期も根は暗いらしいけれど明るくいようと努力をしている方でした。だからかもしれません。
「自分も苦手だったけど練習すればよくなるよ」
「まずはやってみないと」
「そんな自分が育ってきた町のこと悪く言ったらダメだよ。学生の時いろんな旅行したけどさ、こんな地域だってあるんだからね」

 どれも言葉が痛かった。私が悪いんだって突きつけられていることだけはわかりました。その同期と話した後、会社のトイレで、帰りの電車で、別れて背を向けて歩きはじめた直後、泣き出してしまうようになりました。そして気がついたら、その同期と対峙すると身体がこわばり、口が開かなくなり、何も話せなくなってしまいました。申し訳ないばかりです。その同期はとても頑張り屋で、意識して他者にやさしくしようとしている方でした。なのに、そのやさしさを、私は受け取れませんでした。
 他の同期とも仲良くないのです。仲良くないと、私が思い込んでいるだけかもしれません。けれど、ほんとうに、言葉がくるしいばかりなのです。異国語でずっと喋られているような気がします。
 みんな、明るくて、やさしくて、素敵な方々です。
 私だけがこんなに汚れた雑巾にも劣る黴びた存在なのです。周りに悪影響しか与えられないのです。

 正直言って、職場に戻ることがこわくてたまりません。擦れ違うやさしさが、私の傷には痛すぎるのです。みんなやさしい。やさしいのに、どうしてこんなに自分はだめなんだろうとおもいます。
 まともになりたかった。
 ふつうになりたかった。
 ふつうの人なんかいないんだよ、の言葉に救われる程度のふつうでいたかった。

 それでもきっと船は出航するのでしょう。
 汽笛をあげるのです、たとえ出航した先で沈んでしまう可能性があるとしても。
 ああ、今日も、ひとがこわくてたまらない。

 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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