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[連載小説]アイス・スチール;チョコミント 一章 4話 物騒な女子会

4話 物騒な女子会

 アイスは対面するソファに腰をおろした。怜佳との気持ちの距離が縮まったわけではなく、単に左足がつらくなってきたから。
 そして主導権を握らせる気もない。話をずらした。
「ディオゴはいちおうでも、あなたの夫だよね。窮地に陥れていいの?」
「好きになって結婚したわけじゃない。ディオゴへの思いなんて最初からないから、浮気して息子までつくったってわかっても、言うことはなかった。わたしに飽きたのでも、子どもが欲しかったのでも、どうでもいい」
 そして、黙って聞いていたミオに向けて眉尻を下げた。
「これから結婚するかもしれないミオには夢のない話だけど、たまにはこんな夫婦もいるってぐらいに聞いててね」
「わかってる。うちも似たようなものだったから」
 さらりと言った子どもに、大人たちがしばし呆気にとられた。
「どうしたの? そんな顔して。本人たちは隠してるつもりだろうけど、わかるんだよね。わたしのことはいいから、続けて」
 怜佳がミオを子ども扱いしないわけをアイスは察した。
「そうだ! わたしの提案を聞かせるだけじゃ駄目なのよね、こういう場合」
 なにかを思い出したらしい怜佳が頼む。
「悪いんだけど、佐藤さんに渡す封筒を二階のデスクに忘れてきたの。茶封筒に『謝礼』って書いてあるやつ、とってきてくれない?」
「えっ⁉︎」
 ミオのは表情は、「げっ」というものだった。アイスの疑問はすぐにとける。
「あそこを掘り返すの? 怜佳さんが見た方が早くない?」
 怜佳のデスクの惨状がわかった。
「さっき用意したとこだから、底には沈んでない。お願い!」
「しょうがないなぁ」
 ミオが、しぶしぶといったていで事務所から出ていく。ドアを閉めるのを待っていたように、怜佳が両肘を膝において上体をのりだした。
「わたしたちが逃げるだけで、ディオゴがあきらめるとは思えない。それにミオの学校のこともあるから、遠くには行きたくないの。ミオを守るためには、ディオゴの手の内を知っている人の助けがいる。もちろん、できる限りのお礼はする」
「多額の金を使って反社会業界の人間を雇うより、無料の警察を使えば?」
「生半可に遠ざける程度じゃ、簡単に元の状況に引き戻される。暴力には暴力で、徹底排除できる人がほしい。だいたい、被害が出るおそれぐらいじゃ警察は本気で動かない。警官じゃ役不足」
「荒仕事を望むなら、それこそあたしじゃ役不足だ。身体の故障で引退がちらついてる人間に期待されても応えられない」
「佐藤さんに期待するのは暴力だけじゃない。たとえば佐藤さんがこちらにつけば、ディオゴに精神的ダメージを与えることができるでしょ? 支配していると思っている人間に逃げられることが我慢ならないタイプだからね」
「あたしが<ABP倉庫>で不遇の扱いを受けている前提になっているけど?」
「プライベートでのディオゴが油断して口をすべらせた、あれこれを聞いてる。そのなかには佐藤さんの話もある。わたしの想像で言ってるわけじゃない」
 ミオが席を外している。アイスは包み隠さず訊いた。
「あたしなら死体の後始末が必要になっても任せられると?」
「どこまでやるかは佐藤さんに任せる。地元警察のなかに袖の下を握らせたやつもいるから、わたしが手を回せることもある。これは、佐藤さんにとっても損がない交渉になるはず。わたしから出す報酬を退職金の足しにして、前倒しで新しい人生をはじめる——」
 アイスは手のひらを出し、ストップをかけた。
 怜佳が口を閉ざした二秒後、事務所のドアがアップテンポでノックされた。ミオが戻ってきた。
「探したけどなかったよ。別の場所と間違えてない?」
「ごめん、ごめん。こっちに持ってきてたの忘れてた」
「怜佳さんの粗忽者。で、話はどうなったの?」
 元の位置にすわったミオが、興味深げな瞳をアイスと怜佳に交互にむけた。
 怜佳が応える。
「こうしてると、なんだか女子会みたいね」
「怜佳さん、マジメにやって」
「女同士のおしゃべり会に憧れてたから、つい。理系で実験に追われたり、家の仕事が忙しかったりで、あんまり遊んだ記憶がないのよ」
 血臭ただよう話から、ミオがいても大丈夫な話にシフトさせる。アイスもソフトな表現に変えた。
「怜佳さんの思いはわかったけど、それだけで賛同できるほど感傷的にはなれない」
「報酬は保証できると思う」
「相手が怜佳さんでも値引きはしないよ?」
 アイスは、小さなほころびが見えるソファや、使い込んで白っぽくなった黒板に視線をやった。
「あたしへの報酬を出せるほどの売り上げがあるようには見えないけど?」
「彩乃から——」
 言いよどむと、アイスではなくミオにむかって話した。
「彩乃から後見人の報酬を受け取っているの」
「怜佳さんはお金のために——」
「違う」すぐに否定した。
「彩乃たちの遺産は結構な額になる。その管理はもちろん、お金についてくるだろうトラブルすべて含めて、面倒をみてほしいってことだと思う。そのためのわたしの時間を買ったっていうこと。自分のオフィスをもってた彩乃らしい考え方じゃないかな」
 アイスに視線をもどした。
「彩乃からの報酬全額、佐藤さんに渡してもいい。窓からバラ園が見える一等地のオフィスを売って得た額よ。安くはないでしょう?」
「あのオフィスを……⁉︎ ほかのスタッフさんに継いでもらうんじゃなくて?」
「ミオと彩乃の思い出の場所でもあるよね。思い出も大事だけど、ミオの将来も大事だから……」
 アイスは素朴な疑問を投げる。
「友情って、そこまでできるものなの?」
「……彩乃の頼みならね」
「…………」
 ミオの表情が、嬉しいような、でも納得できない複雑なものになる。
 アイスも似たような心境だった。他人のためにという感覚が、実感としてわからない。
 そして、怜佳の提示にうなずくことが、まだできなかった。ディオゴを愛していないとしても、友人の遺産を守るためなら始末も厭わなくなるものなのか。
 唯一、よく会う知人に、怜佳のいう友情をあてはめてみた。
 確かに彼女になら、できそうな気がしないでもない。しかし彼女とは、互いの境遇が特殊ゆえに通じているところがあるから、一般論に当てはめていいものかは微妙だった。
 ——……彩乃の頼みならね。
 一瞬、言い淀んだように感じたのは、目の端でミオをうかがった素振りは、なんだったのか……
 すぐに怜佳に訊かなかったのは、ミオに聞かせられない内容かもしれないこと。そして、時間切れだった。
 アイスの膚が、ささくれ立つ空気を感じとっていた。
「ボスの指示を守らないやつが来たみたい」
 アイスは苦々しい気分になる。怜佳の依頼は断わるつもりでいた。しかし、それはそれで心臓を置き忘れた気分になりそうでもある。
 迷う時間は残っていない。


 アイスは援護を断っていたから<オーシロ運送>に来る者はいない。経年劣化で波型スレートにヒビが入っている外観の社屋が、事務所荒らしに遭うとも考えられなかった。
「まだ話をする時間があると思ったんだけどな」
 立ち上がった怜佳がデスクのひとつにかけよった。
「予想してたの?」
 ブラインドの隙間から外をうかがっていたアイスは訊いた。いますぐ突入してくる様子はないが、ゆっくりもしていられない。
「密告をよそおった電話を入れてから、うさんくさい人間を見かけるようになってた」
「警察を呼ばなかった魂胆は?」
「そう、魂胆なの。追い払うより有効な使い途を考えた」
 怜佳の表情が冷たくなった。鍵付きの引き出しから、また鍵を出す。
「待って」ミオが話をもどす。
「佐藤……さんは、どうして誰か来てるってわかったの? あ、透視能力があるとか、おちゃらけはなしで」
 妙に思うのは当然だ。しかし、用意していた回答は先回りして潰されてしまった。
「えっと……なんとなく?」
「…………」
「真面目に答えてる。言葉で説明のしようがないの」
 いつもの癖で笑みながら話してしまう。うろんな視線を返されてしまった。
「佐藤——さんの手下が心配して来たってことは?」
「ついでみたいに付ける敬称なら、なくていいよ。サトーでも、略名のアイスでも、お好みでどうぞ」
 呼び捨てにしたくなる職種の人間だ。年下から敬称をつけてもらえなくても腹は立たない。
「手下のことだけど、あいにく人徳がなくてね。ボスの指示無視してまで、あたしに付いてくるようなやつはいない」
「リスクを冒してでも来るなら、一太じゃない?」
 ディオゴをめぐる人間関係を間近で観察していた怜佳が候補をあげた。
「ミオを手柄にしてディオゴの気を引くぐらいやりそう。行動がわかりやすい点では良い子なのよね」
「そのひと、まだ十代なの?」とミオ。
「いえ、二〇代……三〇になってるかも。二〇を過ぎたら子どもじゃないとか、そんな単純なものでもないから『良い子』なの」 
「一太を鬱陶しく感じたりはしない?」
 愛人の息子をどう考えているのか、アイスはズバリと訊ねてみる。
「わたしにとっては不遇な立場におかれた存在。同病相憐むわけじゃないと思いたいわ。一太がしゃにむに仕事にのめり込んでいるのは、ディオゴじゃなく組織のためだと本人は思い込んでるんでしょうね……」
 怜佳の推測にうなずけることをアイスは聞いていた。
<ABP倉庫>を出る間際、備品管理をしているソボンから、チェ一太の動きを知らされている。
 ——チェさんが9ミリ弾を持ち出した。
 線状痕という証拠を残さないために、銃は使うたびに処分することを基本にしているが、経費面込みで実弾をつかう選択をした。そうまでしてディオゴに応えようとしているのか……。
「じゃ、ミオを頼むね」
 今度は壁際のスチール書庫から、怜佳がスポーティなデイバックを取り出した。ミオに手渡しながら、事務所奥のドアを指す。
「建物裏で待ち伏せされてなきゃ、休憩室から外に出られる」
「え、怜佳さんは?」
「依頼を受けるとは言ってない」
 ミオとそろって囁き声で訊いた。
「ミオは自分の身の安全をいちばんにして」
 アイスに向きなおり、
「ディオゴと育てた<ABP倉庫>に格別の感情があって当然だと思う。だからといって泥舟になっても一緒に沈んでやるの? 時間の猶予をあげる。あとから、やっぱりやめたなんて短絡的な回答聞きたくないから、しっかり考えて。いい答えを期待してるからね」
 話しながら社長机の横のキャビネットの鍵を開けた。
「怜佳さん、なにを……」 
 ミオが、いぶかしげな表情をむける。キャビネットから怜佳が取り出したのは、試薬容器だった。
「追っ手を足止めする。そのためのアイテム」
「赤リンなんて個人で買えたっけ?」
 ラベルを読んだアイスは、わざとらしく訊いた。個人では買えない薬品を用意した怜佳の企図をよみとる。
「武器は持ってないけど、仕掛けは準備してある。大学の友人に、農薬メーカーに就いた子がいてね。いろいろと融通してもらった」
 赤リンといえば、身近なところでならマッチの側薬に使われている薬品だ。床に散らばる錆の破片のようにみえたものも仕掛けの一部。どうりで床の掃除が放置されていたわけだ。怜佳はそれだけの決意を固めていた。
「先に渡しとく」
 社長机の引き出しから出した封筒を差し出す。
「前報酬の最低条件はミオを安全な場所、福祉局とかでもいいから連れていくこと。わたしが相打ちになっても料金の踏み倒しに——」
「そんなことしなくていい!」
 ミオが割り込んだ。
「相打ちってなによ⁉︎ 怜佳さんに危ないことさせたくない! 危険な連中がくるんなら警察に——」
「ミオ、よく聞いて」
 封筒を握ったまま子どもの両肩をつかみ、目の高さを合わせて訴える。
「ディオゴは警察の弱点も知ってる。きっと捕まることなく、ミオの財産に手をのばしてくる」
「お金より大事なものがあるんじゃない⁉︎」
「お金があれば自由が買える。バイトせずに勉強に集中できる環境とか、旅をして経験を積むこともできる。ミオの未来を拓く元手になるの。彩乃はそのためにお金を残した。彩乃の気持ちを無駄にしないで」
「レイちゃん、急いで」
 事務所奥のドアから、ゴマ塩頭の初老男性が姿を現した。くたびれたワークシャツの胸には<オーシロ運送>のネーム刺繍がある。
「こちら、わたしがここにいるってディオゴに告げた〝密告者〟の二谷《にたに》さん。オーシロが倒産しかけたとき、月一五〇時間残業の無茶で父を支えてくれた命知らずな人」
「『発注元の機嫌を損ねるのが怖い従業員』が二谷さん? ディオゴは自分が飼ってるような言い方だったけど」
「ディオゴの甘さは佐藤さんもわかってるんじゃなくて?」
 挑戦的な目がアイスに問うてくる。
「佐藤さんに益するのは、どっち?」
 ディオゴか、フリーになって動くか——
 アイスは時間をおくことなく判断を出した。
「<美園マンション>の<ゲストハウス・ファースト>にいる。フロントに話を通しておく」
「美園って、魔……あんなところに?」
「魔窟」と言いたかったか。巷間の誤解を鵜呑みのままにしているところからして、実際を知らないらしかった。
「慣れたらいろんな面で便利なホテルだよ」
 怜佳の手から封筒をとる。握り込まれてシワが入った報酬をパンツのポケットにねじ込んだ。
「駐車場にパレットが積んである。ミオと外に出たら、合図にそいつを崩して。そして二〇秒以内になるべく離れて」
 怜佳がセットした「歓迎用の仕掛け」は、味方がそばにいては使えないものだ。アイスは心残りで足が重いミオの肩をおした。裏口へと急がせる。
 得物を用意せずに手ぶらできていた。アイスは途中、ペン立てにあったハサミに手をのばそうとして、やめた。
 ミオを連れている。子どもの前でハサミを使うのはスプラッタが過ぎる。
「ここの本を一冊いい? たぶん、返せない」
 試薬容器とは別に、赤褐色の粉がはいった袋を二谷と用意している怜佳に訊いた。
「残ってるのは、なくなっても惜しくないものばかりよ。どうぞ」
 スチール書庫にまばらにある本やバインダーのなかから、古いハードカバーを手にとった。片手でつかめる厚さがいい。重さを確かめた。
「『交通実務六法』なんてどうするの?」
「護身グッズの代用。教育に悪いから、使ってるところは見ないで」
 ミオがムカデを見るような目をアイスに返したのは一瞬だった。すぐに視線を下にそらした。
「ごめん。わたしを護るためだってわかってるんだけど……」
「外道な行為をしようって人間に対する、ふさわしい反応よ。そこは気にしなくていいかわりに協力して。あたしの背中側について離れないで」


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