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僕の記憶や体験と重ねると民藝とはパンク・ロックだと腹落ちしているところ

#先日の余談

先日、とあるカフェで読み込んでしまった書籍『サヨナラ、民芸。こんにちは、民藝。』(里文出版:初版 2011年)を購入してしまった。 

読み終えて感じ取っていることとして、僕の記憶や体験と重ねると民藝とはパンク・ロックだと腹落ちしているところ(特に共感は求めないけど...)。柳宗悦は「信を語る聖句は同時に美の密意を囁く言葉」(美の法門)と書き残しているという一節もある。

2011年と言えば、僕は作品づくりを辞めており、ホームページ作成のサービスを始めた頃で、自ら商品(作品)を生み出すのではなく、手工芸に関わる職人さんや店舗の販売促進や広報活動を支援する立場で仕事をしていた頃になる。今でも深く関わっているは金属工芸の領域で、その企業の裏側でいろいろとお手伝いしている。

民芸という言葉を知ったのは、いつの頃だろうか余り記憶に残っていない。

民芸運動とは、1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・濱田庄司らによって提唱された生活文化運動とされているが、おそらく僕が美術大学という環境でものづくりに関わっていたことが大きく影響していると思うんのだが、美術史の一コマであって、自分の創作活動と文脈が重ならない限り知る機会もなかった。

京都には河井寛次郎記念館もあるが、僕の中で河井寛次郎は民芸よりも陶芸家という認識の方が強く、民芸運動以前のモノや、工業製品として生み出されたモノを分け隔てなく見ているせいか、「民芸」を特別視することはなかった。むしろ、功罪のひとつだろうか、京都という環境のせいもあるが、土産物屋に並んでいる粗野なモノという側面も強く印象にあって、興味すらなかったと言ってもいい。

天童木工のバタフライチェアや公共施設のプロダクトデザインなど「デザイン」において多くの仕事を残した柳宗理の方が、圧倒的に存在感があったが、その父親が柳宗悦なんだと後から知ったぐらいである。

話をちょっと戻して、、

とあるカフェとは「民藝と古い器のカフェ FUDAN」のことだ。夷川通にある「古美術いもと」の姉妹店のような感じで、趣のある器などを普段使いとして用いられている素敵なカフェである。そのカフェのベンチシートに僕が関わっている椅子敷き(赤穂ギャベ)を使っていただいていることもあって、ご挨拶を兼ねて珈琲をいただきに訪問した。

FUDANの本棚に目をやると、民芸やタオ(老子)に関わる書籍などが並んでいた。今思うと、民芸は思想的な側面から見ていくといろいろ深そうだと思える。その本棚に比較的カジュアルなタイトルで『サヨナラ、民芸。こんにちは、民藝。』があったので、すっと手に取った。その表紙に「志村ふくみ × 近藤高弘」という名前が目に入り、今日の珈琲のお供に決めた。

その書籍は2010年前後に行われた対談や鼎談を描き起こしたもの。そうそうたるメンバーなんだけれど、志村ふくみさんは京都を代表す染織家として知られているが、その工房での取り組み(徒弟制度のような)も有名なんだと思っている。近藤高弘さんとは、2017年秋、何必館で行われてた展覧会のオープニングトークに寄せてもらう機会があって、近藤さんの作品に向かう姿勢を話されていたんだけれど、それから数日後、僕は金工に取り組む若い作家のヒアリングために金沢を訪れた際に感じ取ったことと繋がることが多く印象に残っていた。(その時のメモ書き

全般的に対談・鼎談形式で、読みやすいだけでなく、その人がそのままそこにいるような感じが生っぽく、ドキュメンタリーとしても貴重な肉声だと感じながら読み進められるが、ところどころ「柳宗悦」に触れる節が印象に残る。全般的に柳宗悦の言及を肯定している様子でもなく、民芸運動としての広がりや分裂、そしてその後の世代に至っても柳宗悦は欠かせない存在のようで、各世代の生き様が言葉として綴られているような感じ。そして、自分だとどう思うかなっという余地を残しているような内容だと思う。

一つの頂きを異る面から見つめていた

僕にとっては、柳宗悦は未だに知らない人という感じである。もともと宗教に関わる人だったようで、その後「民藝」に傾倒するようになっていたらしく、形而上と形而下とも解釈されそうだが、ご本人の書籍に残っている「一つの頂きを異る面から見つめていた…」という言葉が染みて、このあたりが僕の記憶や体験と重ねると民藝とはパンク・ロックになる。

パンク・ロックを簡単に説明すると基軸は音楽で、ドラム、ベース、ギターの単純な旋律に加え、簡単な言葉を綴る歌詞として表現されている。1970年代のムーブメントとして反体制・反政府(アナーキー)な表現が全面にあって、先進国がそれぞれ発展したことで生まれたカウンターカルチャーなんだと理解している。僕は1971年生まれで団塊ジュニアという枠組み、何も考えずとも比較的豊かな暮らしを過ごせた時代、たまたま美術大学に入ったことで、自分に向き合う時間をつくったり、他者や世間を見つめ直す機会があった。そんな思考を増長したのも、友人がいつも聴いていた「ハードコア・パンク」。パンク・ロックの音楽性やファッション性が痛々しく目に付きやすいけれど、その内面には思想があって、そのアウトプットがただただ激しいスタイルなのだ。多感な時期であった僕にとってのパンク・ロックは、心の拠り所でもあったし、今でも大事にしたい思想である。

捉え方としては、1990年代後半、Appleが広告として打ち出した「Think different」というキャッチフレーズも僕にとってはパンク・ロックと同じ線上にある。

さて、民芸というものがあまりに漠然としていて、先程も述べたように、安かろう悪かろうの品も市場にあった印象もあって、積極的に知りたい領域ではなかったのが正直なところだけれど、モノづくりに関わる仕事をしていることもあって、少しずつ触れる機会も増えてきている。

そう言えば、白洲正子の書籍が積読の一つとして埋もれていたと思うので、また掘り起こして読み返してみようかと思っているが、その前にせっかくなので、もう少し民芸を理解しておこうかと思って、柳宗悦の書籍『民芸四十年』(岩波文庫)をポチッとしておいた。


『サヨナラ、民芸。こんにちは、民藝。』(里文出版:初版 2011年)

対談1 民藝はすでに終わっているのか?
濱田琢司(南山大学人文学部教授)× 久野恵一(手仕事フォーラム)
対談2 骨董と民藝に違いはあるのか?
尾久彰三(文筆業・元日本民藝館学芸部長)× 豊島愛子(骨董愛好家)+鄭玲姫(李朝喫茶「李青」)
対談3 用と美の間で作家は何を思うのか?
志村ふくみ(染織家・随筆家)× 近藤高弘(陶芸・美術作家)
対談4 柳宗悦はなぜ利休をせめたのか?
岡村美穂子(鈴木大拙館名誉館長)× 千宗屋(武者小路千家官休庵十五代家元後嗣)
対談5 手仕事の市場は女性がつくるのか?
五十嵐恵美&星野若菜(エフスタイル)× 田中敦子(編集者)
対談6 民芸と手仕事に未来はあるのか?
馬場浩史(スターネット)× 北村恵子&テリー・エリス(BEAMS)+ 南雲浩二郎(BEAMS)


#民芸 #民藝 #パンク #思想  



僕のnoteは自分自身の備忘録としての側面が強いですが、もしも誰かの役にたって、そのアクションの一つとしてサポートがあるなら、ただただ感謝です。