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2023/10/09

おはようございます。スポーツの日ですね。
スポーツ嫌いすぎる。

私はいまだにドッチボールのことを「野蛮人の野蛮人による野蛮人のためのスポーツ」と呼んでいます。
私が小学生の時ドッチボールが大流行していて、クラス全員で休み時間にやるレクリエーションが毎日毎日毎日ドッチボールでした。運動音痴で協調性もなく、強制されることが大嫌いな私は1人で図書室に逃げて担任の先生や学級長に怒られていました。当時の教育というものは、個々の適正を尊重するものではなかったけれど怒られるのはずっと意味わからんかった。だから私が副級長となって自由参加にしてやりました。
子ども会主催のドッチボール大会まであって最悪でした。土日が練習と試合で潰れる。気が狂ってる。ありえない。勝ち負けとかどうでもよすぎてすぐに当たって終わるまで外野に突っ立ってました。
何人かに何やってんだよ!やる気出せよ!とか言われたけど、お前らこそなにやってんだよ!これのなにが楽しいんだよ!やる気なんかあるわけないだろ!ボールも触りたくないわ!あー早く帰ってりぼん読みながらカルピス飲みたい…って思ってコートの隅で黙っていました。ほっといてくれ、まじで。
頭に当てるのは禁止というルールだったのに当てられてお気に入りのヘアピンが割れたのにみんな試合に夢中で誰も謝罪も弁償も心配もしてくれなくて(なんて野蛮なんだ…)と思ったことに由来します。

いいですか、スポーツの秋の人間もいれば芸術の秋の人間もいるのです。

私は小さい頃から漫画も小説も詩もエッセイも音楽も絵画も大好きで大切です。それらを味わっている時間は幸せそのものです。

最近、新しい趣味が増えました。映画鑑賞です。
詳しくないしサブスクで見てるし今さら感はありますが、1日1本以上見ていたら映画だけの良さがわかって見たい作品がどんどん増えてこれは趣味と言っていいだろう、と思い堂々としています。

映画だけの良さは、内なる自分と対話できるところにあると考えています。
フィクション、ノンフィクション関係なく生身の人間が演じていることが私の頭と心を刺激して想像力を掻き立て言語化できなかった出来事や気づかずにいた感情にやっと触れることができるんです。
私ってこう考えていたんだなって生きている実感みたいなものが芽生えます。

躁鬱になって仕事を辞めて人間関係も希薄になって私が今なにを考えてどうなりたいかがさっぱりわからなくなって不安になって自暴自棄になっていたけど、映画を見ることは健全な現実逃避で心が落ち着きました。
集中力の回復も、私に自信を取り戻させました。

どんなジャンルでも映画を見ている間は、嫌なことを思い出して落ち込むことがありませんでした。
好きな俳優ができたら他の出演作を、劇中歌が良かったらそのアーティストの楽曲を、監督も脚本も美術も気になったら次から次へと派生して見るべきものがどんどん出てくるのです。
人生には限りがあると思わされ、過去なんかに気を取られている暇がなくなります。

さらに、映画の中で私の代わりに仕事をしたり恋愛をしたり怒ったり泣いたり銃を乱射したりしてくれているような感覚になって私はさらに映画鑑賞にのめり込みました。

なんであれ、何かを知って
いいと思ったこと
見たこと
感じたことは絶対、私を裏切らずに私を形成するひとつになってくれます。

芸術の秋、芸術の日々。今日も明日も。