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職業訓練校で保育士資格を取って気づいたこと

保育士を養成する職業訓練校では、さまざまな国籍やバックグラウンドを持つ仲間たちと、切磋琢磨しながら2年間を過ごし、なんとも濃い日々だった。

クラスメイトには、身体的な虐待や心理的な虐待(暴言、叱責など)などとても過酷な環境を生き抜いてきた友人が何人もいた。

私は、暴力を受けたことはなかったという点から親のしたことは虐待というほどではない思っていたが、学んでいくなかで虐待の定義(子どもの心を傷つける親の行いバリエーション)の幅広さを知ることとなり、

“夫婦喧嘩を子どもに見せること”
“子どもの容姿をけなすこと”
“性的な映像を見せること”
など、当時すごく嫌だったと記憶に残っていることは一種の虐待だったんだと腑に落ちた。

あぁ、私傷ついていたんだ、、傷ついてたとしても間違いじゃないんだ。
私の生きづらさはアスペルガーとか発達障害のようなものだと思ってきたけど、もしかしたら愛着障害に近いのかもしれない。

そこから、不登校になった原因など、過去の自分を分析するようになって、子どもの頃に身につけてしまった処世術が、今の自分の思考の癖にも大きく影響を及ぼしていることに気付いた。

自分の弱さや不器用さ、失敗を無意識に脳内で責めてしまう。些細な失敗でも、繰り返し脳内でダメ出しすることから、たいしたことをしてないのに1日が終わるとぐったり疲労感があること。

その都度“そんなことないよ、できるだけのことをしたよ”と脳内で自分を慰めたりストップをかけたりするが、フォローも虚しく泣きたくなるときがある。
どこか、自分が人として欠落しているという感覚があり、自分の感じることよりまわりの人たちや常識が正しいという思い込みを無意識にもっている。

正しいかどうかではなく、自分の感じることにはもっと自信や確信を持っていいのに。
どんなに黒い感情も、思うだけなら誰にも迷惑かけないし自由なのに。

口では自分を卑下しても、実はぜんぜん自分を責めないとか、そういう図太さがないのだ。

自分の妊娠、出産、通して、親へのわだかまりから産後鬱のような状態になり、アドラー、NP、毒親カウンセリング、ヒプノセラピーなどありとあらゆる講座やセッションを受けた。

4年ほどもがいて、もうこれ以上親へのマイナス感情に人生を支配されるのはウンザリ、と万策尽き、やりきった頃に学校に入り、親を恨み責めるフェーズは終わった。

そこを抜けると、自分自身がだいぶ身軽になっていることに気づく。
過去への恨みのフェーズを抜けない限り、きっと“支援する側”にはまわれないのだと思う。

不適切な養育をする親を見たとき、子どもに感情移入して、親を自分の親と重ねてしまったら、親を支援することはできない。

子どもの最善の利益とは何かを徹底的に学ぶだけに、もっとこうしたら‥など思ってしまう部分もあるけど、自分も親だからこそ、いつも適切な親でいることの無理さもわかってる。

でもやっぱり虐待で子どもが亡くなるニュースはもう見たくないし、適切なんかじゃなくても、とにかく親子の間で笑顔で過ごせる時間や、子どもがかわいいと思える時間が1秒でも増えたら、と願う。

人が前に進んだり、幸せになるには、気づきと癒しが必要不可欠。

傷ついていることに気付いて、癒すこと。

虐待をしてしまう親の多くが、癒しを必要としているんじゃないかと思う。

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