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9.幼少期の記憶の断片

私が3歳の時、幼稚園に行きはじめた。とにかく落ち着かず騒々しい子どもだったらしい。通学には電車を使っていた。キノカワ線という私鉄だった。日常的に利用していたはずだが、その当時の記憶はほとんどない。今では、運営する会社が変わっていて、ずいぶんと様相が違う。

いわゆる赤字ルートだった。私が中学生のとき、それを廃線にするかどうかで揉めた。キノカワ市とワカヤマ市が関わり、論争が繰り広げられた。そして、どういうわけか大阪の鉄道会社がキノカワ線を買収し、争いは終わった。

通園には家から一番近い駅に向かった。昭和の香りがする駅舎だった。駅の職員が改札を管理していた。私はそこから電車に乗り、4つ目の駅で降り、少し離れた幼稚園まで歩いた。

年長の者は年少の者の手を取って歩いた。年中の者は一人で歩いた。ほとんどの場合、私は年少の女の子を連れていた。その人が好きだったという思いが残っている。

それが私の最初の愛というべきものに、最も近いものであるように感じる。ままごとをしたり、ゲームをしたりするうちに時間が経過していったように感じる。

 「感じる」という表現は、当時の日常生活についてはっきりと覚えていないからだ。私に残されているのは断片にすぎない。が、私の父は家族の思い出を作るために一生懸命画策していたのを記憶している。

あれは桜の季節だった。花を見るために公園に出かけた。その日、死に絶えたはずの冬がぶり返していてとても寒かった。私たちの家族はこごえる天候の下、青いピクニックテーブルのおしりに優しくない椅子に座っていた。

近所に出来たばかりのコンビニエンスストアで、おにぎりやお菓子を買った(新しいお店ができると騒ぎになる田舎だった)。スーパーで買うよりも値段が高いとのことに不満を述べながら食べていた。

しかし、1時間も経たないうちに、父は「寒いので帰ろう」と決めた。思い出をつくるよりも身を守るほうが得策だと判断した瞬間だった。それから家族でその公園に出かけることはなくなった。ピクニックテーブルも倉庫で待機することが増えた。



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