見出し画像

6. 人生の意味を知らない弟

その年の夏、千葉の弟から手紙が来た。チヒロは高校を卒業した後、千葉の国立大学に通った。彼は私と比べてずっとスマートな頭脳を持っていた。そして、私よりはるかに歪んだキャラクターを持っていた。

「私はもはや人生の意味を知らない。どうにかして管理しようとしても、状況は改善されるとは思えない。生きているのはいやだ」

彼から時々この種の手紙を書いた。私も別に生きる意味なんて持ってない。私自身の意味なんて誰も知らない。そういうものだ。しかし、彼は自分の意味を必要としていた。

おおよそ、彼の精神は不安定だった。

彼にはすぐに承認の欲求を満たせる恋人はいないだろう。そもそも、友人の存在さえ疑わしかった。

だから、私のような人間が、「あなたは大丈夫です。あなたは生きているだけで十分な価値があります。自分の生を冒涜するようなことは言わないでください」と言う必要があった。

親も本当のところは、心配している。だが、弟に電話かけたりメールを送ることをどういうわけか控えていた。遠慮をしていた。

ということで、私の役割はますます重要になってくる。彼と彼女ができることは、定期的にカップラーメンやレトルトカレーなどを詰め込んだダンボールを届けることだ。それで弟への愛情を表現していた。

✳︎

"私の兄へ

あなたがこの手紙を読んでいるということは、もはやこの世界いない。ちょうど3日前、天皇陛下は自身の退位について語った。それで私は「ああ、これは平成が終わるということか」とごく当たり前のことを思った。

それに合わせて、私が死ぬことについて考えた。平成の霊を鎮めるための武士道的な死というわけではない。

私には理由がある。考えるべき時期なのだ。私の人生を終わらせるということの。あなたはそれを突然の話だと思うだろう。このケースは単なる機会だった。

私は機会を延々と探していた。私は私の人生に終息を迎えたい。どうして私が長々と生きることに意味があるのか。

私には恋人がいない。友人もいないだろう。友人として私が認識したいと思っても、先方がそう認識していないだろう。

また、両親も見ていると、こう感じるのだ。私が生きていても死んでいても、どちらでもいいのだろうと。必要とされているような気がしない。

だから、私は基本的に人間に対して不信である。私の兄に対しては、何かと私と関係してくれるから例外だ。私はそう信じたい。

中学生の頃には気づいた。私は自分の人生への欲望はないと。私はただただ生きていた。健康で若ければそれは苦痛ではない。

しかし、将来のことを考えると話は変わる。私はこれから就職をするだろうが、私は働くのが好きではない。

いずれ歳を取り、徐々に体が思ったとおりに動かせなくなる。退職する。私の人生はみっともないものだと思う。病気になり、いずれ死ぬ。

これの一体何が楽しいのか?
私はそのように生きたくない。

じゃあ何をしたいのか?と己に問いかけても、答えはない。私には、他の人間たちよりも優れているものは何もない。用意されているオプションは、奴隷のように働く。それだけだ。

私は働きたくない。私は何もしたくない。あなたには将来を含め、生きていくのに良い材料があるかもしれないが、わたしには、既に死ぬこと以外に選択肢はない。

私はそのような気持ちで死に直面した。結局ところは、恐怖がそこにあった。私は気味が悪いと感じた。

たとえば、祖父や祖母の死を見ると、失った悲しみがある程度準備されてきたから、それは劇的ではない。

あるいは、多くの人々が死亡した歴史的事件。映像化され目の当たりにすると、たとえそれが近代の物語であろうと、ローマ時代の物語であっても、私は非常に悲しい気分になる。

そう考えると、人々の気持ちはとても便利だ。都合によって容易く変えることができる。

ところでなのだが、この手紙最初の方に、私はこの世界から消えると書いた。あれは嘘だ。忘れてくれ。すまない。

私はまだ死ぬことはないが、この手紙を書く前には、相当疲れていた。もう生きる価値がないと思っていた。

決して「いつものことだな」とは思わないで欲しい。今回は深刻だったのだ。

ではまた

マエダチヒロ "


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?