考えることは実は考えてない
「すぐに答えなくてもいい、一度じっくり考えてみればいいさ」
おどろくような提案がされたときに、よく聞くセリフ。だいたいドラマで出てくるイメージ。
海外転勤が決まった交際相手にプロポーズされたでもいいし、友人から起業に誘われたでもいいし、そういう感じの大きな意思決定。
個人的見解をいえば、こういう決断をするとき、たいていの場合、メリットとデメリットを比較して、論理的な結論を導くことはほぼないです。
これがしたいか、これをしたくないか、という感情的なところで結論を出すことが多いです。
メリットやデメリット、論理的な説明のようなものというのは、相手に説明するために後付けで必要なもの。
決断を過ごすまでに、仕事をしているときにでも、風呂に入っているときにでも、ぼんやりとテレビをみているときにでも、
「どうしようか、決めなきゃなあ」
という思考を何度も繰り返します。
「どうしたいかなあ、Aをすべきか、Bをすべきか」
という思考を何度も繰り返します。
そして決まる瞬間というのは、わりと早い段階です。
「Aをしたいかな、でもBを捨てがたい」
という気持ちに傾いた瞬間だとおもいます。
そこから、
「うん。Aにしよう」
と決めるまでに実はけっこう時間がかかります。
なぜなら、感情的な結論は決まっていても、それを説明するための理由や納得できる答えがわからないからです。
それを一般的に「もやもやした状態」というわけで、
そのときに人に相談する、という行為をわたしたちはするのだと思います。
いわゆる「考える」という行為は、感情的な結論にたいする説明理由や答え方を探すプロセスではないのかと思うのです。
それに気づいたとき、「考える」ことがすこし軽くなったというか、カジュアルになりました。
むずかしく考えすぎなくていいと思いました。
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