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今日から7月のスタート。上半期の振り返りとこれから。

こんにちわ。久々にびっくりするほどダラダラと過ごしている。今日1日です。2023年が年を明け、もう今日から7月。色々と月日が経つのが早すぎて驚きを隠せません。

そしてそんなこんなで、上半期、1月から6月までを振り返り、どう下半期はフォーカスしていこうかと振り返っていました。どういう上半期だったかと振り返ると「依存と執着の手放し」かもしれません。

私の父親はモラハラ、DV気質です。子供の頃はそれが当たり前だと思っていたので、父親の母親に対する対応、態度は当たり前だと思っていました。成人して社会人になってから、父親が母親へ接している姿を見た時に、初めてモラハラ、DVだと気付きました。本人はそういうつもりはないので、モラハラをしている、DVをしている自覚は一切ありません。一度バラバラで生活することになった両親。だけど金銭面的に厳しくなったこともあり、また住むことになった両親。そこからは毎日母親から泣いて電話がかかってくる始末。両親が別で住み始めた際も、母親からは毎日お金のことで泣いて電話がかかってくる。正直私自身も私の生活で一杯いっぱい、母親の面倒を見れるほど金銭的な余裕もありませんでした。そしていつしか、やりたいことをするための目標が、親の面倒を見るための行動に変わっていました。だから自分のやりたいことが分からなくなった、自分ではなく親のことばかり考えることにキャパオーバーになりどうしたらいいか分からなくなりました。

仕事の関係で関東から大阪へ帰省することになりました。実家には帰らず一人暮らしを選択しました。しかし、少し距離が近くなったということもあり、母親と会う機会が増えました。私自身もどうにかして母親を助けなければいけない、母親を楽にしてあげなければいけない。そう思い仕事時間の以外は母親と会う時間が増えていました。母親の顔が顔面蒼白、いつ自殺してもおかしくない精神状態。精神科に入院させた方がいいのではと思うほどでした。これでは限界だと、母親を父親と別で住めるように環境を整え、契約の話まで進みましたが、結局全て話は白紙。30年以上父親と過ごし依存してきた母親。ある種のマインドコントロール状態。支えてくれる友人、家族がいるのに、それでも、父親といる選択をしてしました。母親も父親に依存し、父親も母親に依存共依存状態です。

私自身母親に対しては、言葉も選び手紙を出し想いを伝えました。父親を選んだ母親に対して、怒りや悲しみなど多くの感情がこみ上げてきました。なんでこんな感情が湧き出るんだろう、朝目が覚めると共に「母親が自殺していたらどうしよう。」と朝から一人で泣いてしまう始末。なんでこんな気持ちになってしまうのだろう。そんな中で自分の気持ちをひたすら書き出し、母親への許せない気持ち、怒りの感情、悲しみの感情、ありったけの感情を書き出しました。

その時に私自身が気づいたのが母親への依存と執着、母親への思い込みでした。オーストラリアへ初めて行ったとき、初めて親から解放されやっと自分の人生を歩めると思ったことを思い出します。だけどネットが繋がる場所へ行くと、何十件とある母親からの連絡。だけどその時はそれに対しては何も思っていなかったので何とも思っていませんでした。だけど、海外にいる際も、これまでも、全て何かを決める時、何かをするとき、何かあった時、何か相談するとき、全て友人ではなく全部母親に一番に伝えていたんです。何かあれば、困ったことがあれば、母親に言えば助けてくれるだろう、そこに言えば大丈夫だろうと思っていたんです。現に困った時は全て母親に伝え、助けてもらっていました。何か意見決断を決める際も、母親に確認して、母親がOKと言えば決断していた。そして共依存状態にあったんです。

どういう状況であっても、自分自身で責任をもって何かを成し遂げるのはかなり難しい。だけど依存していると、別に責任を成し遂げなくてもいい、何かあったら母親に甘えたり、母親の責任にできる。それは母親だけではなく、そこから色々なことにも通じて言えることでもありました。

私は母親に対して依存することで、自分自身が果たすべき責任から逃げていたんだということに気づき、ここを変えないとずっと同じループのままだ。私自身が得たい目標がどんどん遠ざかってしまう。だったら今この執着、依存、思い込みを手放して、自分で覚悟を決めて、今私が出来ることを一つ一つ積み上げて責任もってやっていこうと決めました。

その覚悟を決めてから色々と、ほんの少しづつですが、進めたかった方向に物事が動き始めています。
それは

企画部署立ち上げ部門への異動。
副業でやりたいと検討していたことのチャンス到来。


です。

そして、母親に言わないとできないと思い込んでいましたが、別にそこに頼らなくても自分でできる、というか、やろうとしていなかっただけなんだということにも気づき、できることを考えるようになりました。そしてその部分を手放したとき、どこか「私はどうせできない。」と思い込んでいたのですが、私は出来るという自信がみなぎるようになってきました。

私自身ずっと求めていたこと、「自分に余裕が欲しい。」でした。今目の前に起きる家族の問題など、私自身の中でキャパオーバーになっていたこと、そして背負わなくてもいい、責任まで背負い、自分が解決しなければいけないと思い込み、自分を見失っていたんだということです。

自分自身が果たすべき責任と親が果たすべき責任は違う。別の問題のはずなのに相手の問題と自分の問題が同じになっていた。

今ようやく、自分自身の人生を歩み始めることができる段階まできました。やる気がでない、やらないといけないと分かってるけど手がつかない。それは悪い事ではなく、何かの自分自身へのSOSのサイン。それが私にとっての、依存と執着への気づきのきっかけと自分への余裕でした。

そしてこれから下半期は
部署の再構築への集中。
確実なキャリア、経験値アップ。
副業の再始動。
あとは環境や状況に左右されず、自分の価値信念を曲げず行動。

にフォーカスできるよう行動していきます。

不要な信念を手放して行動やパターンを変えていく。私はNLPを学び始めた2021年1月から意識していることですが、かなり時間がかかる。簡単には変わらない。だからこそ、焦らず時間をかけていくことが大切であると私は思います。

今日も読んで頂き有難うございます。