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初稿で思考を働かせてはいけない理由

本日、土曜日も、あいかわらず眠気に襲われております猫目です。みなさま。こんばんは。みなさまはどのような時に眠気を感じますでしょうか?

猫目の場合は
やはり午後が多いですね。

これは、定期的に申しあげていることですが(自分でも忘れてしまいがちなので)脳が疲弊したらやるべきことはたった1つです。

それは、寝ること。

これに尽きます。

脳の疲弊には「眠る」ことがいちばんの薬であり、回復方法です。

ほかにも

・気分転換に音楽を聴く
・ウォーキングに出かける
・甘いものを食べる

などの方法があげられますが、睡眠に勝るものはありません。

それを猫目はたびたび実感いたします。

そして、
往々に忘れてしまいます。

その結果

つい、脳が疲れていてもがんばってしまおうとします。とくにスケジュール通りに熟そうとするあまり、ぼんやりした脳のままで作業を進めてしまいがちです。

しかし

正直いってこれでは効率が悪い


そんなわけですので猫目は睡魔に抗わず、許される限りは、そっせんして仮眠をとっていきたいと思っております。

はい、それでは本題です。
本日は【創作(小説)】についてのお話です。


思考が邪魔をする


普段

私たちが生活していくなかで思考を働かせるというのは大切なことです。

とくになにも考えないで仕事に挑むことはあまりにリスクが高いですし、友人との会話ひとつ取っても思考を働かせないということは、まずあり得ません。

つまり

日常において
思考が邪魔になるという場面は
ほとんどないわけです。

私たちは常になにかしら考え、選択し、行動をしています。

ですが

こと小説(いわゆる純文学と呼ばれているものを除く)の初稿においては「思考」というのはマイナスに働くことが多くあります。

とりわけ

猫目は、作者というのは単なるカメラマン的な存在だと考えています。カメラを抱えて木の影からこっそりとキャラクラーたちの動向を観察し、映していく作業こそが作者の仕事です。

ですので

執筆時、キャラクラーたちに

「このように立ち振る舞ってくれたら自然なんだけど・・・」
「そこは、こう言い返してくれるとインパクトがあるんだよね」
「そっちに走らないで、こっちの角を曲がってくれると話がスムーズに展開できる」

など、こちらの思考を押しつけるのは筋違いと考えています。いうまでもなくキャラクラーたちはその世界(舞台)で生きています。

それなのに

こちらのご都合主義で、かれらの感情や、本人そのものを殺してしまっては世界(物語)全体が不自然になってしまいます。いわば、つくりモノ感が出てしまうといことです。

次いで、かれらは役者ではありません。そして猫目は監督でもなければ、もちろん神様でもない。たんなる傍観者であって記録係りです。

初稿の執筆時。
そこにしっかりとキャラクラーが生きていれば、かれらはかれらの世界(舞台)で、かれらの意思で、話し、動き、生活していきます。

そういうかれらの行動をありのままに写し書いていく。
そこにこちら(作者)の思考はありません。

むしろ、邪魔です。

【通知オフ】で環境づくり


ちなみに

猫目は小説執筆(とくに初稿)のさいはいっさいの邪魔がはいらないよう、WiFiを切ってしまうことがしばしばあります。パソコンでしたらすべての通知をオフにすることはもちろん、Wordテキストしかひらかないようにしています(山奥の旅館などは執筆にあつらえむきの好立地ですね)。

調べものをするのは、あとから。

もしくは、先に済ませておく。

そうでないと、せっかく流れていた世界(カメラをまわしていた)がプツンと途切れてしまいます。

そうすると
なにが起るか?

これは本当に惜しいことです。猫目がカメラをとめていたそのあいだに、キャラクラーたちは彼らだけで行動をおこないます。

つまり、猫目はひとり迷子です

かれらは右へ進んだのか、左へ進んだのか。それとも真ん中?

かれらは、猫目がカメラの電源を落としたからといって、止まっていてはくれません。生きているのだから当たり前といえば、当たり前です。


カメラをとめてしまった猫目は当然、
その間のかれらの行動を追えていません。

そうなると

あとで

「あのとき、いったい、なにが起っていたのだろう?」
「かれらは右と左、どちらの道へ進んだのだろう?」
「あの言葉はXくんが発言したわけじゃなかったのか?」
「もしかして、あの空白の10分でだれかが彼らに接触したのか・・・?」

などなど

それこそ、あとから、思考を働かせて推測していくしかありません。こうした作業は初稿ではなく、つぎの段階である【添削時】などに考え、確認すべき事柄であると猫目は考えています。

「このセリフは、本当にXくんがいったのだろうか?」
「この違和感はなんだろう?」
「場面がとんでいる。なにか見逃してしまったのかな?」
「このシーンはお話の展開からして削ったほうがいいかもしれない」
( ↑ 当然ですが舞台で生きるかれらの行動すべてを書き写してしまっては1冊の本では事足りなくなります )

これらはすべて初稿ではなく【添削時】に立ちどまって考えます。


思考を働かせるのは、この2つ

では、小説の創作においてはいっさい思考を働かせる必要はないのか?

といわれると、それはNO 。

たとえば・・・

〇 プロット(構成)づくり
〇 添削または改稿時

にいたっては頭が熱くなるまで思考を働かせる必要があります

とくに、プロットづくりは物語そのものの土台をつくっていくという創作の中で最も肝心な作業といえます。また、添削は編集作業と考えてもいいかもしれません。物語として成立させるために【必要な部分】【不要な部分】にわけていく作業はとくに大切です。

・不自然な場面や、セリフの言い回しはないか
・視点がブレていないか
・時系列がごちゃごちゃしていてわかりづらくないか
・文字(表記)の揺れはないか
・適切な表現になっているか
・起承転結になっているか
・時間(物語)は滞りなく進んでいるか
・すべての伏線をちゃんと回収できているか
・誤字脱字

などなど

考えることはいくらもであります。

(これらはあくまで【構成】【添削】【改稿】のときに限ります。初稿でこれらを考えることはマイナスに作用することがほとんどです)


文章が「先」ではいけない

美しく整った文章や、文体があって、キャラクラーたちの「行動」があるのではない。まず、かれらの行動があってあとから文章や文体がついてくる。猫目はそのように考えています。

ですので

「あれ、これ、文字の形容や表現ばかり考えて書いているな」と思ったらいったんその場で立ちどまります。

ひとまず

かれらの行動をそのまま映してしまえば、表現などは、あとからいくらでも直せると考えています。

初稿時、表現ばかりにとらわれていてはいけない。

これが今の猫目の課題です。

表現ばかりを気にかけ筆をとめていては、いったんカメラを止めたも同然です。いくらWiFiを切断しようと、通知をオフにしようと、それでは意味がありません。

肝心なのはしっかり目で見ること

今、あなたの目の前の世界(物語)で
時間は刻一刻と流れています。

肝心なのは・・・

いかに、美しく描写するか
いかに、たくみに表現するか

でもなければ・・・

どのようにして整った文体を意識して進めていくか
どのようにして極限まで誤字を減らしていくか

でもありません。

まずは、目でしっかり【見る】ことです。

耳で【聴き】
鼻で匂いを【嗅いで】
口で【味わい】
肌で【感じる】

それをありのままに書き写す。

これさえ出来たら、表現や文体などはあとでいくらでも修正することができるはずです。

とにかく、カメラをとめない。

そのための工夫をこらしていくことが
初稿でいちばん大切なことだと猫目は思います。


本日もさいごまでお読みいただき
ありがとうございました。



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