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矢萩多聞 齋藤陽道 往復書簡『100年先にも残る写真集をめぐって』


『100年先にも残る写真集をめぐって』

2024/02/08(木)

矢萩多聞さん。

こんにちは。齋藤陽道です。熊本は明るく暖かく、花粉も漂いはじめているような感じがありまして、花粉症もちのぼくとしては実にいや〜な感じです。今年の熊本の冬は、なんだかとても短かったです。京都の寒さはいかがだったでしょうか。


まずは、先日、恵比寿で『神話』の打ち合わせの時間を本当にありがとうございました。


前代未聞の巨大な写真集…! 多聞さんのめくるめくきらめきピカピカな提案の嵐に、うひゃひゃと高揚すると同時に、あまりにも壮大でどうなるのかな、いくらかかるのだろうか、本当に完成するのかしらんと尻込みする自分もいます。

でもやっぱり多聞さんとの筆談を読み返して、そこにかかれた自分のことばを見ながら、「100年後にも、それ以降にも残りうる写真集を」と考えると、やっぱりこの形であり、この大きさしかないよなとも思います。


「ないものとされるほどに小さくて弱いと思われがちな存在と、無辺のイメージが結びつながるような写真をいつも意識しているんですが、この写真集は、ぼくの写真人生におけるこの思いの集大成にしたいと思っています」

2024/01/22 恵比寿のカフェでの筆談より


そのとき、「往復書簡を始めたらどうだろう。なんかやばい写真集がやってくるぞというワクワクどきどきをみんなにも伝えちゃおう!」という多聞さんの提案をうけて、こうして書いています。ぼく自信が本当にワクワクしています。


「神話の物語は気まぐれで無意味で不条理です。とにかく見たところはそうです。にもかかわらず神話の物語は、世界的に反復して現われるように思われます。ある地点の人が頭の中でこしらえ上げた『奇想天外』の作り話ならば、一つしかないのがあたりまえ――つまり、まったく別の場所に同じ作り話が見出されるのはおかしいはずです。私の問題は、この外見上の無秩序の背後に、ある種の秩序があるのではないかと探ってみること、ただそれだけでした」

『神話と意味』レヴィ=ストロース、大橋保夫訳、みすず書房、P15



僕自身、なにか確信があるわけではありません。2015年、子どもの誕生をきっかけに、ただたた突き動かされるようにして始まった作品でした。

2011年の原発事故で知った放射能の半減期の途方もない年数に対するショックはいまだ和らぎません。今も立ち入れない地域がこの日本にあるということを思うにつけ、胸が塞がります。24000年というとほうもない数字にどう抗えるのかというもどかしさに応えてくれるような写真はどんなものがあるだろうかという着想から始まりました。


しかし、原発のことを追求していくにしても、電気による発展があったからこそ、パソコンでやりとりができ、スマホでより詳細にまともにものごとも考えられないと嘲られてきた「つんぼ」もとい、ろう者である僕が、いま、写真で活動できているのです。子どもを迎える人間としての喜びを、ごく普通のものとして、受けることができています。その矛盾にも、苦しく思っています。


「人間の心のなかに起きることが基本的生命現象と根本的に異なるものではないと考えるようになれば、そしてまた、人間と他のすべての生物―動物だけでなく植物も含めて―とのあいだに、のりこえられないような断絶はないのだと感ずるようになれば、そのときにはおそらく、私たちの予期以上の、高い叡智に到達することができるでしょう」

『神話と意味』レヴィ=ストロース、大橋保夫訳、みすず書房、P32


『神話』というテーマで撮ってきた写真は、ひとことでまとめてしまうと「自然とむつみあう子どもの姿」という素朴なものです。でも、この素朴さが、正直、いつ失われるかともわかりません。僕の感じている根源的な恐怖はこれにつきます。

こんなことを書くのもほとほとはばかられるのですが、能登半島地震を受けての志賀原発の被害、その対応を知るにつけ胸が塞がります。


大きくて丈夫で、バラけても手で縫って直すことができて、100年先にも渡るような本。そんな本をもしもつくれたら、100年先に生きる人々は、「100年前も、100年後の今も、またここから100年後も、変わらない光景」を感じることができるのではないかと思います。写真が、未来の人々にとって「のりこえられないような断絶はないのだ」と感じるきっかけになれたなら、と夢想します。


僕は、そうした希望を作って残しておきたいのです。

多聞さん、ぜひご協力いただけるとうれしいです。

写真たちをどうぞよろしくお願いいたします。


矢萩多聞さん。恵比寿のカフェにて。



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