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「母性」と「怪物」

最近珍しく、立て続けに小説を読みました。

振り返ってみて、私なりに共通点を見つけたので記事にしてみます。

「母性」では母親と娘それぞれの思いが、場面を追って描かれています。同じ出来事を、それぞれ相手を思えばこその、受け止め方で。

近過ぎると(わかってもらえている)という思い込みがあるのでしょうか。私も子供達に対して、すべてを伝えなくても通じるだろうと思ってしまう事があります。

ですが、案外伝わっていないこともありました。伝わらないより、聞いてもらえてない😫

3.11の翌日、弟家族と連絡が取れないままニュースの映像だけ。
我が家も停電していましたが、改善してすぐに息子はゲームを始めました。
その姿にプッツン‼️

「○○(姪っ子)がどうしてるのかわからないのに、ゲームなんてしないで‼️」
感情のままに、言葉をぶつけました😭泣きながら😭

数年後息子とこの話題になった時、
「えっ?そんなことあった?」
😫😫😫
あんなに真剣にぶつけたのに😫😫😫


物語の中では、少しづつすれ違う相手への思いから歯車が噛み合わなくなる。悪い方へ悪い方へ走り出すと、始まりがどこだったのか見つけるには、時間と根気が必要になるようです。

「怪物」でもそれぞれの登場人物の想いや行動が、場面で語られます。
起きた事柄が、その人の立場になると色が違って見えてくる。

私は誰かと話す時に、その時は気づかず後になって「あれはどういう意味だったのかな⁉️」と思い出す事があります。
勝手に解釈する時もあるけど、相手とちゃんと向き合いたいと思う時は、戻ることもあります。

「この前の話は、こういうこと?私の解釈で間違ってない?」

「人は自分の見たいものを見る」
と聞いた事があります。
自分を振り返ってみて、納得する事が沢山ありました。
自分が見ている反対の方向には、意識がいかない、見えていないのです。

相手の背景を見ようとしなければ、自分本位の見えるものだけを見ているのかもしれないと、2冊の本から感じました。

裁判員制度が始まって間もなく、参加させていただいた事があります。
初めての体験でした。もちろん裁判員として。

事実関係を書面で見る時と、原告や被告、証人のそれぞれの意見を聞いてからでは見え方が変わりました。
新聞や報道の情報では、見えてこないものがあるのだと感じています。

背景を想像する力、思いを馳せる力が問われるのだなと、自分自身を振り返り、鍛える部分が見つかった気がします。

「なぜ?どうして?」


問い続けたいです🫡❤️

最後まで読んでくださり、ありがとうございます😊❤️

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