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村上由佳「星々の舟」 幸福とは呼べぬ幸せも、あるのかもしれない。

作者:村山 由佳 むらやま・ゆか(1964年7月10日 – )
小説家。東京都出身。立教大学文学部日本文学科卒業。社会人生活を送ったのち、『天使の卵-エンジェルス・エッグ』にて第6回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。代表作に『おいしいコーヒーのいれ方』シリーズや、第129回直木賞を受賞した『星々の舟』などがある。
あらすじ
家族だからさびしい。他人だからせつない──禁断の恋に悩む兄妹、他人の男ばかり好きになる末っ子、居場所を探す団塊世代の長兄と、いじめの過去から脱却できないその娘。厳格な父は戦争の傷痕を抱いて──平凡な家庭像を保ちながらも、突然訪れる残酷な破綻。性別、世代、価値観のちがう人間同士が、夜空の星々のようにそれぞれ瞬き、輝きながら「家」というひとつの舟に乗り、時の海を渡っていく。愛とは、家族とはなにか。03年直木賞受賞の、心ふるえる感動の物語。

「星々の舟」とまで題された本なので「家・家族」「舟」と表現して描かれた作品。

この表現自体はそこまで難しいわけではないし、

「そうなんだ、上手くいけばいいね。」という考えの基に読みはじめた。だが、読破し、改めてこのあらすじを読んだ後に思うことは、

「誰も救われなくてよかった。」

誰一人として完璧には救済されずにあるからこそ、この舟は奇跡的にバランスを保って沈んでいないんだ。魅力的なんだ。

誰か一人が救われた瞬間。この家族を乗せた美しい舟は転覆する。そう感じてしまった。


また、この小説を読んで今まで自分の中で言語化できなかった感情に説明がついた部分があったので少し紹介したい。

「理解ができなくて恐ろしい。」と思う感情は、「美しい。」と思う感情と似ているのかもしれない。

作中。兄と禁断の恋をした妹が、ある男性と婚約をしたが、それを忘れられず婚約を破棄し、男性が別れの際にその女性にある言葉を言い放った場面がある。

「なんか俺、」「怖いよ、お前」       「・・・そう?」ひっそりと微笑んでみせた。

この女性の気持ちを理解するのは難しく、僕自身この男性と同じく怖いと思う。

それと同時に「今この瞬間、この人は世界で一番美しい顔をしているはずだ。」 と、何故か感じた。

結局、「美しい」の定義なんて主観でしかない。

だが、この作品には全く毛色の違う人物がたくさん登場する。それぞれの「美しい」と感じる定義に刺さる部分がある作品だと思う。

最後に、本作の終わりにこの家族の家長、重之。また、作者の村山由佳さんからのあとがきでも語られていた「幸福とは呼べぬ幸せも、あるのかもしれない。」という部分を考えた。

村山由佳さんは

人間、「自由であること」を突き詰めれば、「孤独であること」にも耐えなくてはならない。でもそうして自分だけの足で独りで立つことができてこそ、人は本当の意味で他の誰かと関わることができるんじゃないか。そうすることで初めて、何にも惑わされない自分だけの「幸せ」を見つけることができるんじゃないか。」


なぜ、彼女はここで「幸福」ではなく「幸せ」という言葉を選んだのだろう?

辞書で改めて意味を引いてみた。

「幸福」・・・満ち足りていること。不平や不満がなく、楽しいこと。    
「幸せ」・・・その人にとって望ましいこと。

幸せとはその人にとって望ましいことなのか。普段使い分けなど考えてもいなかった意味の違いに膝を打つ。

確かに、そう考えると「幸福とは呼べぬ幸せも、あるのかもしれない。」


これ以上の言葉は思いつかない。

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