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かけ離れているようでそうではない

アゴタ・クリストフの『悪童日記』を読んだ。そしてちょっと、もうちょっと知りたいなと思って『文盲』も読んだ。でも、もう少し、もう少しと思ってしまい、図書館で『昨日』と『どちらでもいい』を借りた。ちなみに『ふたりの証拠』と『第三の嘘』のことはうっかり忘れていた。

本当は書評とか論考とか、そういうものもあった方がいいかと思って手に取りかけたけど、それを読んだら絶対に引っ張られる自信があるのであえてやめた。訳者のあとがきと文庫解説だけ。それだけにした。

格好つけていえば、多様な解釈。そうでなければ、ただの素人の感想。でもそれでいい。最初からそのつもりで始めたのだし、これからもたぶんずっとそうだ。これはただの一人のアゴタ・クリストフを読んだ人の感想。ただそれだけだ。

私は今のところ日本語でしかコミュニケーションが取れなくて、そしてそれは誰かに強いられたことではなく、なんとなく環境がそうだったからであり、それに対して今のところ不満や不便はない。未だに訛りが抜けなかったり(しかもそもそもの訛りから中途半端なので余計に変)、朝ドラの方言を吸収したりするので日本語さえもゆらゆらしているのだが、それでも一応なんとかやれている。

他の言語を学ぶことは好きだけれど、それは普段使わない顔や喉の筋肉を使って普段出さない音が出ることが新鮮であったり、日本語にはない表現や単語から文化の違いを感じたり、外国の映画がなんとなく聞き取れたりすることが楽しかったりするからであり、その言語を使って誰かと会話がしたい、とか海外旅行がしたい、とか思うことはほとんどない。

そんな人間であるところの私が、しかも現代日本でのほほんといきている私が本書を読むと、母国語とか敵語とか、何語で紡ぐかとか、命の危険とか戦争の恐ろしさとかはやっぱり書いてあること以上のことはよくわからず、どうしても「理不尽な境遇を生き延びる子供の物語」として捉えてしまう。大人の都合で生きるために望んでもいない行動をしなければならない。そうしなければ生きていけなかった子供たちの記録。そう思って読んだ。

子供は弱い。大人に比べて身体も小さく、お金も社会的な力もない。あるといえば時間くらいだが、それすらもない子供もいる。その状態で大人たちをどう相手するか。対等に扱ってもらえるようにはどうすればいいか。気を抜けば命を落としてしまうような状況で、いかに危険を回避するか。その苦しさと残酷さをまざまざと見せつけられる。

詳しい描写は心が痛むため割愛するが、生きることや世界と正面から向き合う子供の物語を読むと、私はいつも角田光代のある文章を思い出す。

「ぼく」の本気の日々は、私も本気で生きていた幼い時間を思い出す。(中略)バスの後ろの席で、友だちとお菓子を食べていたら運転手に叱られ、世界が終わるくらいにこわかった。ちょっとしたことがおかしくて、立っていられないくらい笑い転げた。母親の大切なものを勝手に持ち出してなくしたときは、どうしても打ち明けられず死すら考えた。

これは、西原理恵子『いけちゃんとぼく』(角川文庫)に収められた文庫解説の一部だが、何度読んでも泣き、この引用のために読み返してまた涙がにじむ。子供にはいつだって世界に対して真剣で、ほんの少しのことで大きく絶望したり、世界が輝いてみえたりする。誰もがそうなのかはわからないけれど、少なくとも私はそんな子供だった。

ままならない現実に息がつまりそうになり、寝たら明日が来る、また現実が来る、と思うとこわくて眠れなくなったこともある。一生懸命やったことが軽く扱われ、悔しくて隠れて泣きに泣いたこともある。そしてそんな日々に疲れ、少しでも心がダメージを受けないようにと、笑わず話さずひっそりと生きていたこともある。

もちろん、『悪童日記』に出てくる彼らと同じにはならないけれど、彼らの日々の苦しみと葛藤の、描かれている部分を読むと同時に描かれていない部分を想像してしまう。幼い子供が痛みや苦しみに慣れる、というのはどれだけのことなのかを考えてしまう。子供たちの感じる辛さというのは、事情は一人ひとり違っても、本人にとってはどれもとてつもなく苦しいことだったりする。時代や場所が違っても、きっとそうだと私は思っている。一見かけ離れているようで、意外とそうではないのだと。

もうキリがないのでこのあたりで終わりにするが、続編の『ふたりの証拠』『第三の嘘』でもきっと苦境は続くのだろう。いつか全てを読んで、彼らの結末を見届けたいと思う。

さて、それで次は何を読もうかな、ということなのだけれど、とりあえずアゴタ・クリストフではない。前から決めていた本があって、それは何かというと。ついに、ミヒャエル・エンデの『モモ』を読みます。本当は『はてしない物語』にしようかなと思っていたのだけれど、結局迷って迷って『モモ』にしました。なぜこの作品を通ってこなかったのかは謎なのだけれども、私、これからあの名作『モモ』を読みます。

「児童文学といえば『モモ』。これ鉄板」と言い切る夫に見つかるといろいろ面倒くさそうなので、こっそり読みたいと思います。情けないですが、知っているのは「時間のはなし」ということだけです。なぜ読まずにいたのか、その謎も解けるのでしょうか。思わず口調まで変わってしまうほど、今からビビっています。


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