「音を止める。音が、始まる」

(※昨年9/30に投稿した作品の再投稿になります)

 曲が終わってアンプのノイズだけが響く地下スタジオ。少しの間だけ、そのノイズを耳の中で響かせた後、適当にコードを弾く。ジャジャーンと鳴るそれが、僕のいつもの最後の合図、というわけだ。

「お疲れー」

「お疲れ様」

 それが鳴り終わるちょっと前に、それぞれが決まった挨拶をする。いつもの流れ、これが無いと終わった気がしない。練習後でも、ライブ後でも。

 スタジオの防音室に吸い込まれていくそれが消えたあと、各々動き出してアンプの電源を切ったり、ドラムスティックを仕舞ったりする。拭き終わった楽器をケースに入れて、分厚い防音ドアの外に、メンバーが出て行く。

 最後に残った僕はギターケースを持ち、振り返ってスタジオを一瞥する。なんとなく、この光景を見るのも最後になるかもな、なんてことを思ってしまった。

 壁際にあるスイッチを切って電気を消す。さっきまで大きな音が鳴っていたこの部屋も今はもう暗く、しんとしている。

 扉を閉めて受付に行き、煙草を吸っている他のメンバーを横目に、いつもの店員に挨拶をしてから代金を払い、出入り口に向かう。気が変わってしまったのは、おそらくその時なんだろう。

「じゃあ、また」

「また」

「またね」

 挨拶を交わし、メンバーと一緒にスタジオの自動ドアを出た瞬間に、僕は音楽をやめることを決意した。

 理由はあると言えばあるし、無いと言えばない。しかし、あえてひとつ選ぶのであれば、僕は、もう音楽に対して興味が無くなってしまった、ということになるのかもしれない。自分勝手な言い訳だ。

 バンドはチームであり、同じ目標を持つ運命共同体でもある。だから、僕がやめると言ったらメンバーは激怒すると思う。でも、もう決めた。

 同じチームとは言え、スタジオを出たらあとは他人、みたいに勝手に帰っていくメンバーの対応が、今日はとてもありがたかった。

 家に向かわずに行きつけの楽器屋に足を向ける。個人商店の小さな楽器屋、ここから僕の音楽は始まったんだ。終わらせるなら、やっぱりここだろう。

「こんばんは、まだやってますか?」

 営業時間が印字されたドア、閉店まではあと三十分と言ったところか。でも、こういうところは今くらいの時間から閉店準備を始めるだろう。

「大丈夫ですよ。いらっしゃいませ……、今日はどうされました? 調整か何か?」

 僕は手に持ったハードケースをカウンターに乗せる。ハードケースにはギブソンのロゴ、特徴的なフォルムで、このケースを見れば、中にどんなギターが入っているか一目でわかる。

「買取で」

 この店に飾ってあって、中古で買った、ギブソン・フライングⅤ。名前の通り、飛んでいるようなフォルムや、特徴的なミドルの音、ボディが体に当たる感じやネックの握り具合。全部が好きだった。

 そう。『だった』。

「はい……? もう一度、よろしいでしょうか?」

「買取で、お願いします」

「買取ですか? 買い替えの下取りではなく?」

「はい。それで。もうやめるんですよ。全部」

 そう言った僕の顔を、店長はじっと見ていたが、目を逸らすと何度か頷いた。

「じゃあ、査定に入らせてもらいます。少々お待ちください。いつも見てましたから、大体のことは分かっていますから……」

 僕は頷いた。頷く以外に、何ができる?

 このギターは、三年前にこの楽器屋で買ったものだ。頭金だけバイトで貯めて、あとはローン。何度この店に弦を買いに来ただろう……。

 弦なんて、ネットで買った方が安くて良いんだ。でも、この店には来るだけの理由みたいなものがあったんだ。

 いつもならこう言う時(もちろん買取ではなく、ギターのメンテナンスで見てもらっている時)、別のギターを見て時間を潰していた。ライバルメーカーである、あのギターを使ったらどんな音がするのだろう? なんて想像しながら、自分のギターの出来上がりを待っていた。

 でも今日は違う。そんな気持ちには全くならずに、もうこの店に来ることもないだろうな、と思っていた。家にはアンプがまだ残っているけれど、それは安物だ。どこで手放してもいい。

「お待たせ、しました」

 金額も確かめずに、書類にサインをする。これでもうこのギターは僕のギターではない。調整された後、店頭に並ぶのだろう。明日か、明後日か……。それを見る機会も、多分、無いだろう。あまり見たいもんでもないしね。

「今まで、ありがとうございました」

 その台詞は、一体誰に向かって言ったのだろうか? 店長? それとも、今までの自分?

「私は貴方の作る楽曲がとても好きだったんですよ」

 楽器屋の店長と言うだけあって、彼は時々、僕たちのライブに来てくれていた。

「だから、こういう決断をされたことがとても、残念です……。貴方の気持ちもわからずに、こんなことを言ってはいけないのかもしれませんが……」

 遠慮がちにそう言う、店長の想いは、きちんと僕にも伝わった。

「どうもありがとう、でも、もう決めたんです」

 受け取ったお金を財布に入れながら店を出る。誰に何を言われても、もう僕自身が音楽をやる気がしないのだからどうしようもない。

 自動販売機で缶コーヒーを買って、閉店した店のシャッターに寄りかかりながらメンバーに『バンドを辞める』と連絡を入れた。ヴォーカル/ギターの男と、ベースの女からは、怒りの文章が送られてきたが、唯一冷静なドラムの男からは少し間を置いて、淡々とした文章が送られてきた。

 彼だけは、もしかしたら僕が辞めるかもしれない、と予想していたらしい。もし、彼がこうなる前に言ってくれていたら……なんて考えが浮かんだけれど、そんなことを考えても誰かのせいにするだけだ。コーヒーと共にそんな感情を飲み干す。

 家に帰る気にはならなくて、さっきまで練習していたスタジオに戻る。さっきと違い、持っていたギターはもう無い。気持ちも持っていない。

「どうしたの? 何か忘れ物?」

 さっきの店員が話しかけてくる。彼女の顔を見て、顔馴染みだから当たり前かもしれないけれど、こういう気持ちになって初めて、少しの寂しさを感じた。多分もう、彼女に会うこともなくなるだろう。

「忘れ物というか……挨拶というか。多分、最後だから」

「挨拶? 最後?」

 彼女はそう言いながら、僕が何も持っていないことに気がついたみたいだった。

「もし知っていたら、どこか働けるところを紹介してもらえないかな?」

 彼女はそれについては何も言わなかったけれど、楽器屋の店長と同じような目をして僕を見ていた。

「ああ……うん。あてはあるけど……。音楽と関係ないところがいいよね?」

「できれば、そうだと嬉しいね」

「じゃあ、ちょっとあたってみるよ、連絡先教えてもらってもいい?」
 僕はスマートフォンを差し出した。彼女の連絡先が僕の携帯電話に登録される。こういうところで働いているだけあって、横の繋がりは多いんじゃないかと思っていたんだ。

「大きくなるバンドだと思っていたんだけれど、外からじゃ何も分からないものだね。近くにいたつもりなんだけどね」

 僕は曖昧に頷いた。その可能性は、言うまでもなく思っていたことだった。だけど、僕が思っていた以上に脆いものでもあった。どんなに強く見えても、信頼関係なんて絶対に目に見えないものなんだ。小学校時代に実感したことを、十年以上たってまた経験したという訳だ。

 ロビーにある自動販売機でまた缶コーヒーを買う。彼女は、僕のそんな様子をカウンターから見ていたけれど、僕がコーヒーを飲み終わる頃になって出てきた。知らないバンドが入っているスタジオからは、籠った音が少しだけ聞こえている。きっと、良い曲なんだろうな。

「吸う?」

 彼女が差し出した煙草を一本もらう。煙草なんて、今まで一度だって吸う気になんてなった試しがない。でも、唇にくわえて、借りたライターで火をつけた。ホープ・ライトという銘柄だった。希望、だけど軽い。

 ……違うか、軽くて、自分が取り扱えるくらいの希望、って考えたほうが幸先が良い。

 吸い込んだ煙は、美味くもなんともなく、ただの煙でしかなかった。これっきり二度と吸うことはないだろうけれど、何かの区切りには、ちょうど良いのかもしれない。

 微かに聞こえるメロディが耳に入る。他の人がどんな音楽をやっているのか、さっきまでの僕だったら気になったのかもしれない。でも……。

「人生って、わかんないもんだね」

 彼女が灰皿で煙草を消しながら、そんなことを言う。

 違うんだ、わかんないんじゃなくて、わからなくすること・・・・・・・・・が、人生なんだよ。

 だけど、僕はただ、頷くことしか出来ない。人差し指と中指の間で、煙草が灰と煙になっていく。

 どんなことにだって、きっと、終わりは来る。この煙草を吸い終わったら、家に帰ろうと決意した。

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