すぐ叶わない夢を追う

ジャイネパール。
ネパールに来てはやくも6日が経ちました。

仕事の話がトントン拍子で進む国でもなく、ゆったりとネパール語と英語を思い出しながら、この2年会えなかった人たちと会う日々です。

日本人で生まれてるにも関わらずネパールにも友達がいてすごいこと幸せだなと感じています。

きっと人生での移動距離と成長は限りなく近いところにあって、やっぱり大学時代に留学とかしてるやつは何かとおもしろいところが多いのもこれじゃないかと。

それにしてもネパールというのは日本人からしたらちゃんちゃらふざけた国で、やっぱり落ち着くなと自分の変態さを感じてしまいます。

まあわかりにくい人にざっとあげるとこんな感じ

①クラクションが絶えずずっと鳴っている
→ダメな意味で鳴らしているのではなく「通るで〜」のテンション

②街中がゴミ箱
→車の中からでも外にゴミ捨てる、タバコも吸ってそのまま下へ、街中がゴミ箱の役割も担っている
→自治体ごとに掃除のおばちゃんを雇っており、市民たちでお金を出している。(なので権利と思って街中に捨ててる感じかな)

③頼んだことは2回言わないとやってくれない
→確実に目があって、首を縦に振っていてもなぜかやっていないことが多い。大事なことは必ず2回はいう

④自己肯定感高すぎ問題
→携帯のロック画面の待ち受けが自分の写真。そしてホーム画面は自分の笑顔の写真。

これはめちゃくちゃいい文化やなと思う。
自分を好きでわるいことなんてないからね。

⑤どこにいても携帯大音量で動画流してる
→バスだろうと、飛行機だろうと街中だろうと、TikTokとか YouTubeの動画を大音量でみている。
2,3日でその人の好みわかる、仲良くなるスピード早いなどプラス要素もあり。

この辺の"周りに気を遣わないスタンス"は日本人(特にぼくにとって)に非常に重要で、僕はネパールにいるときは一切病まない。

「在るべき人間本来の姿」がネパールには詰まっている。

2年ぶりに訪れたネパールで、ずっと関わりを持たせてもらっている孤児院のこどもたちが空港まで迎えに来てくれた。
その中でひとりの女の子が涙目で僕たちを迎えにきてくれた。

なんかこう、ビジネス界隈で会う「シナジー生み出して一緒に稼ぎましょう」が常な東京で過ごしていると忘れる"人の心の繋がり"を不感症のぼくでも思い出させてくれる。

そしてもう一ついいところをあげるとすると改めて日本の偉大さを感じさせてくれるところ。

朝起きて蛇口をひねったら普通に出てくる水、豊富な食料、明日のご飯に生命が懸からない環境、整った交通網、豊かな教育を受けれる当たり前の環境、あげだしたら日常のすべてに感謝がこみあげてくる。

せっかく生まれてきたからには、世界の色んなところをみたい、色んな感情を味わいたい、世界中に友達がほしい、英語で会話をしたい、超絶飽き性のぼくにネパールは飽きを与えてくれない。

たまには水を得るためにこうやって海外に定期的にいくのはぼくの人生に必要なことだ。

そしてネパールで事業をたちあげ、この国の人たちの人生が少しでも豊かになるように、エンジョイできるように、こんな心が綺麗なひとたちを見捨てるわけにはいかない。

難しい言葉を使って横文字で話すような人になりたいわけでもなく、日本を代表する会社を作りたいわけでもない、地元に残ってゆったりとした生活をするつもりもない。

いまならわかるが、結婚して落ち着く人がいるとしたらその人の本気度など最初から大したことないだけだ。

大学時代は何にも縛られず、社会を知らず、誰もが制限のない夢を見る。
そこから年々その気持ちと折り合いをつけるように現実に溶け込んでいく。
ぐつぐつとちょうどよく煮えたその鍋の中だけで自分の人生を終わらせていいものか。
一度くらい、火を自分で起こして色んな壁にぶつかってみてもいいのではないか。

ひと1人の人生、大した意味もなければ、死んでも世界は変わらないし日常は進む。
ひろゆきが「人間は世界の熱移動のために生まれてきただけ」という具合にぼくたちが生きている意味なんてない。

だからこそなにをやるのかにその人のおもしろさが詰め込まれて行くと思う。

本当におもしろい人はオーラで感じれる。
生き様が見た目にすべてでてくるからだ。

そんな本物の男になろう。
第1回目のネパール遠征はあと5日くらいで終わるが、しっかりと過ごしていこうと思う。

ほな、フェリベトウンラ。

もし1億円稼げるようになったらコンビニで100円のおにぎりじゃなくて200円のおにぎりが買いたい