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なでと君むなしき空に消えにけん 1 序

1

「とりま、やることやっちゃおうよ」
思いつめた表情でつぶやいた彼は、おもむろにアンプの電源を落とした。
軽い破裂音のようなものがしてノイズが消える。圧迫感から解放された鼓膜が、じわりじわりと膨張して、むずがゆかった。
昔からメタルと呼ばれる類の音楽のよさがわからなかったけど、この子の下手くそなギターをあんまり長く聴いてきたせいで、今では勧められるどんなバンドの曲も工事現場の騒音となんら変わりないものに思えてしまう。普通より低くチューニングしたうえに、低音を効かせたギターの放つ騒音を毎晩のように聴かされる私の身にもなってほしい。
この子がギターをはじめて、もう三年は経つだろうか。ギターと一緒に買ってあげたバンドスコアのうち、通しで弾けるようになったのはたったの3曲。それも、素人の私が聴いても明らかなほどに、とんでもなく下手くそだ。
高校生なんてそんなもんだと言ってしまえばそうなのかもしれないけれど、ここまで上達する気配が一切ないのは、生来のこの子の性格も多分に関係しているはすだ。ある程度、それもとても低い自分の中のハードルを超えて形になってしまえば、それで満足。好きを極めるつもりは毛頭ない。そのくせ、自信だけはこちらが気圧されてしまうほどに持っている。小さな頃から、ずっとそうだ。
ちらと彼を見ると、指先でつまらなそうにシールドを弄んでいた。
「後のことは、やっちまってから考えりゃいいだろ?」
ふと彼が顔をあげ、いたずらっぽく笑った。
そのスタンスを続ければ、近い将来ひどい目に遭うことは明らかだ。現に、今までもその考え方がこの子の首をしめ続けてきたのだから。
破天荒と言ってしまえばロックスターみたいでかっこいいのかもしれないけれど、この子はただ、考えることから逃げてるだけなのだ。向き合うことが、怖いのだ。
けれどどちらにせよ、今の状態のままじゃ、私たちに将来はない。
「そうね」
ため息混じりに相槌をうち、私も肩をすくめて笑ってみせた。
「そうだよね」
自分に対して念を押すように、もう一度つぶやく。
「んじゃ、まずは美夜姉(みやねえ)の親父からだな。そんで田宮。最後に神父で。境内に埋めりゃ、県外に出るくらいには時間稼げるだろ」
脳裏に、苔むした小さなお社の姿が浮かぶ。誰も知らない、2人だけの秘密の場所。
「父親に神父様に・・・。私たち、地獄でさぞかし歓迎されるでしょうね」
「悪魔はすでに俺たちの顔なんて見飽きてるよ」
「そうかしら?」
すると彼は眉根をよせ、目を吊り上がらせた。
「いつまでここにいるつもりだ?てめらのしけたツラはもううんざりだ。とっとと天国へでも失せやがれ」
トーンを下げ、わざとらしくしゃがれされた声でそう言いって、椅子に座ったまま、この子風に言えば『ケツを蹴り上げる』ジェスチャーをしてみせる。
「あほね。こんなしけたツラのやつらは天国もお断りに決まってるじゃない」
「じゃあ怨霊にでもなってこの町を呪ってやるよ」
言いながらぱっと立ち上がり、畳に無造作に放ってあったスタジャンを拾い上げる。
袖に腕を通しながら、彼はスタンドに立てかけたアイバニーズのギターを眺めていた。
「これで最後だな」
急に神妙な顔つきになり、つぶやいた。
「なにが?」
「音楽を楽しめるのも」
「本気でやるつもりがあるなら、また買ってあげるわよ」
私がそう言うと、彼はわざとらしく肩をすくめてみせた。
「明日から何したってあいつらの顔が浮かぶことになんだよ。楽しいことも好きなこともやりたいことも、全部なくなっちまうんだ」
そう言いながら、彼は私のバッグから車のキーを取り出しポケットに突っ込み、部屋を後にする。
「変な小説の読みすぎよ。あんたバカのくせにあんなもの読むんだから。気にしすぎると病気になるよ!」
彼の後ろ姿に、震えを抑えながら、努めて明るく、私は言った。


続く

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