そすんすかました

3月末締め切りだった新人賞に応募した。
新人賞に応募するのは初めてだったし、そもそもまともに小説を書き上げたこと自体ほとんどなかったので、何だかとても達成感がある。
プロットなんかはよく浮かぶ。
出だしを書き始めることもよくある。
でもその後に書き切ったことはほとんどない。
そんな僕が一つの作品を完成させることができたのが少し不思議な感覚だ。

今回の作品は、僕がずっと逃げ続けてきた自分の問題に立ち向かうために書いた。
楽しいから書いているというよりは、書かなくちゃって使命感が強かった。
書いている時は吐きそうなくらい苦しい時もあって、実際吐いたこともあったけれど、不思議と辞めようとは思わなかった。
それに、書いていない時間にも常に頭の中は今回の作品のことが支配していて、書かなきゃ、書かなきゃって、そればかり考えていた。

完成してからは、肩の荷が降りたって言葉がぴったりの気分になれた。
完成させたこともあったが、ずっと逃げ続けていた問題を原稿用紙の上に言語化することで客観視できたのか、もう全て過ぎたこととして、よくやくはっきりと認識することができた。
書くまでは、頭では過ぎたことだとわかっていても、何だかずっとネチネチ根に持ち、事あるごとに思い出しては動けなくなり、体を傷つけてみたりとだらだらと引きずっていた。
でも小説にしてみてようやく、自分がいかに無駄なことをしていたのかを認識できた。
前を向けたのか、と言われるとよくわからない。
確かに過去と向き合えたし、230枚(多すぎ笑)の小説を書き切ったとこへの達成感も重なって、今はとてもスッキリしているけれど、1ヶ月後にはどうなっているか分からない。
でも、自分の問題を投影した小説を書き、それを第三者に読んでもらえたことは少しだけ自分の力になっている。
完成させた作品は友人や恋人にも読んでもらった。
僕はこれまで人に頼るってことができなかった。何というか、人間を信頼することができなかったから。
だから表面上の付き合いで、ある程度は社会に溶け込んでいるように見せかけていても、本気で誰かに心を許すなんてことができなかった。
でも作品を書いている間に、自分を支えてくれている人たちがいるってことを、知ることができた。
これも、今回書いてよかったと思える理由の一つ。
僕の憂鬱は根深いから、すぐにまた陰惨な心理状態に戻ることもあるかもしれないが、今はこれを完成させることができたことを、誇りにしようと思った。

今回の作品は、方向性としては太宰の「東京八景」のような小説にできたらな、なんて出すぎたことを考えていた。
特に意識したのは、東京八景のようなスマートさだった。
まあ、僕にはそんな才能も技量も微塵もなく、後から後から伝えたいことや盛り込みたいテーマが増えていき、230枚というえげつないページ数になってしまった。
正直うまくまとめ上げれた自信が全くない。
僕にはテーマを絞り無駄を省く、という能力が全くないらしい。
僕は自主映画なんかも撮っていて、そちらでもいつも想定していたページ数を超えてしまう。
短編の勉強をしようと思った。
そもそも僕は、昔から太宰や安吾や梶井の短編が好きだったのに、なんで自分で書くとスマートにまとめあげることができないのか。
根本的に小説を書くのが下手なのだ。
才能もないし、向いていないかもしれない。
でも書くことは好きだし、どうせこれからも自己満で何かしら書いていくのだから、せっかくならうまく書けるようになりたい。
これからは、短編を中心に習作を書いていくことを目標にしようと思う。

とにかく疲れた。この作品は、去年の六月ごろから、当時通っていた映画学校の課題で書いた脚本をライトモチーフにして小説として書き始めた。
完成したのは、締め切り日当日、31日の朝だった。ものすごく時間がかかった。
それから誤字脱字などの最終チェックをしていたのだが、実はその日、完成のお祝いもかねて友人と飲みに行く予定になっていた。
昼ごろからあって遊ぼうということになっていたのだが、最終チェックが終わらず、待ち合わせの吉祥寺に昼前に着いていた友人は、夜の8時過ぎまで待たされる羽目になった。
友人からしてみたら迷惑千万な話だが、8時過ぎに友人と合流した僕に彼は開口一番
小説完成おめでとう、おつかれさん
と言ってくれた。
申し訳ない気持ちと、僕には今こんなに素晴らしい友人がいるんだという頼もし気持ちと喜びがないまぜになって、胸が爆発しそうだった。
感謝が溢れて止まらなかった。

僕たちはそのままコンビニでビールを買い井の頭公園に向かった。
僕たちが飲むとなった時の定番のコースだ。
緊急事態宣言があけ、夜桜を楽しむ花見客などで賑わっていた公園の片隅のベンチで、僕たちはいつものように乾杯した。
少し甘い匂いを含んだ生暖かい風と、突き抜けるように高い夜空の下、久しぶりにとてつもない開放感を感じた。
僕は自由だった。今の僕は、何も怖がる必要なんてなかった。

僕たちはそのままカラオケに向かった。
久しぶりにカラオケでオールをすることになった。
書いている時は追い込まれ過ぎて発狂寸前で、何度も絶叫したい衝動に駆られ、その度自分を落ち着けるためにも体を傷つけた。
そんな悪習慣のことすらも、何だか今は自分の生きてきた証の一つのようにすら感じられた。
とにかく大声で叫んだ。歌った。
気持ちよかった。
すっきりした。
今まで経験したことのないような、開放感あふれる、自由な夜だった。

深夜も深夜、テンションがえげつないことになっていた僕は、銀杏やナンバーガールでひとしきり叫んだ挙句、大好きなアニソン縛りを始めていた。
のんのんびよりのオープニングを歌っている時だった。
ふと、ソファに寝転がりながら選曲をしている友人の姿が目に入った。
自分でも思いがけなく体が動いた。
次の瞬間には、僕は友人にまたがり、彼の鎖骨をこれでもかというほどつきまくっていた。
そすんす。
のんのんびよりのキャラクター、れんちょん。
彼女が姉に対して行った連続鎖骨突き。
曰く、そすんす。
そしてそのそすんすの使い手のことを、人はこう呼ぶらしい。
そすんさー。

そすんさーとして、覚醒した夜だった。

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