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伊勢湾・三河湾は栄養塩の貯金箱。意見交換会その4


【誰もが食べていた水産品が、珍味に】

鈴木:実は私もコウナゴが好きで、春の味覚として楽しみにしているのに全く獲れなくて残念です。
 
会長:私はアサリの天ぷらも好きでね。昔はよく食べていましたが、最近は作ってもらえるところが少なくて。大きいアサリが獲れなくて、天ぷらにできないそうです。
 
鈴木:伊勢湾・三河湾はおいしい魚の宝庫ですから、それが食べられなくなるというのは、本当に寂しいことです。
 
会長:生のアサリを串に刺して干した串あさり。炙って食べると美味いですが、今、市場で見なくなりました。獲れなければ、作る人もないし、その味を知っている人もない。
 
鈴木:全くその通りで、本当に水産物は貴重な食料になってしまった。
 
会長:珍味になりますね。
 
教授:本当なら誰もが普段にもっと食べられるものが、どんどん高級になり一定の人しか食べられなくなる。日本人の食生活が、平均的に質が下がっている感じがします。
 
会長:最近は海苔がちょっと美味しいもので (笑)。愛知県の美味しい海苔を非常に勧めています。知多の海苔は、日本で一番巻き寿司に合うよと。有明の海苔が割れるからもう一つ高い海苔はないかと言われる方がいると、いや、それはダメですと(笑)。逆にもう少し値段を下げてもらって、この知多の海苔をお持ちください。絶対割れることはありませんよ、と勧めています。値段じゃなくて目的に応じてお客様に勧める、そういう勧め方をしています。
 
それとよく、伊勢湾を図に描いています。木曽三川、木曽・長良・揖斐の三本の一級河川が伊勢湾に流れてきて、その流れの線にある海苔が非常に美味しいですよと。桑名から始まって、知多のセントレアのほうですね。
 
鈴木:正にその通りですね。
 
会長:それが流れて答志島ですね。そちらの方へ流れていくから、そのラインで採れる海苔は非常に美味しいですよと、お客様に説明します。
 
 
河村:そうですね。
 
会長:三河湾は矢作川があり、知多半島と陸に近いために北西の風が吹いてもとても穏やかです。だから海苔もお客様みたいに穏やかで、非常に美味しいですよ、という話をするのです。
 
鈴木:全くその通りで、伊勢湾・三河湾は入口が狭いのに奥行きが広く、閉鎖性海域と環境の専門者は言います。入口が狭くなおかついろんな栄養が入ってくるというのは、一つの財布みたいなもので。伊勢湾・三河湾は栄養塩の貯金箱です。
 
アサリの幼生は2週間ぐらい水の中に漂いますが、湾口が空いていたらあっという間に太平洋へ出て黒潮に流されてしまいます。入口が狭い湾の中で幼生がぐるぐると留まり、かついろんな川の河口の干潟がたくさん広がっているから、愛知県のアサリ生産量が日本一になるわけです。
 
入口が狭いということは、海にとっても海苔にとっても、最も豊かな条件なのです。こういう着眼点で、伊勢湾・三河湾ほどの海をどこかに見出そうと思っても、ありません。ましてや、出口が西に向いている海っていうのは、三河湾だけです。

【伊勢湾・三河湾の地形は、漁業に好適】

鈴木:豊川の河口でアサリがあれだけ大量に発生するのは、三河湾という地形と、豊川という川が西側を向いて湾に入っているからです。これを地勢学的な利点といいます。
 
冬の北西の季節風により、秋に生まれたアサリの赤ちゃんが豊川の感潮域の中にどんどん入っています。感潮域では真冬の川の水温は海よりもやや高くなるのが早く、かつ小さなアサリの赤ちゃんのエサになる微小な植物プランクトンが豊富で、海で着底したアサリよりも成長がいい。4月頃にどんと雨が降り一挙に感潮域から干潟に出てくると、ずっと海にいたアサリは小さくて、川の出口付近の感潮域にいたアサリは大きく育ってどんな大きさの植物プランクトンでも食べられるように育って数千トンもの大きな資源に拡大していくのです。
 
伊勢湾・三河湾は漁業にとって非常に好適な地形をしていて、有明もそう。東京湾もしかり。入口が狭くて奥行きが広いあのような海でないと生き物は育たないのです。従って今は、閉鎖的な海だから環境が悪いと言う人は随分少なくなりました。伊勢湾・三河湾は、誇るべき海です。
 
会長:昔、牟呂(豊橋市)で採れた海苔は非常に美味しかったですね。先生もご存知かと思います。牟呂、前芝、梅藪組合の海苔を、昔はよく買いに行きました。牟呂で千本口という海苔も出て、私、買ったことがあるんですよね。非常に美味しかった記憶ですが、今は全然採れないので、寂しいなと。工業と漁業を比べられると、やはり工業には負けてしまうかなと思ってきました。
 
鈴木:今、港湾の人たちも漁業や海の大事さをよくわかってきつつありますよ。だから、漁業者の方々の声次第です。人手の話もあり大変ではあるけれど、漁場の有効な活用が一つの明るい展望だと思う。私は決して悲観的にはなりません。逆にこういう時こそチャンスかもしれない。

【日本人が伝えた養殖技術が、中国で評価】

会長:弊社が出資している中国南通市にある南通協和食品有限公司では、会社組織で海苔を養殖しています。最近、南通市の漁場の調子が悪いということで、青島の方へ漁場を移しました。コロナでしばらく行っていませんが、年中人を雇っています。
海の少し遠い所に船を浮かべておいて、海苔を採る専門の人が毎日船で通い海苔を積んで持っていく、そういう養殖方法をしています。昔、知多の組合長さんたちと一緒に現地に行きました。
 
早川:そうですよね、今の漁連の会長が一緒に行きましたよね、今もその話をよく聞きます。行って非常に良かったと。今は向こうのほうが分業化として進んでいるような感じですよね。
 
会長:後からできた分だけ、いいとこ取りしているというか。加工工場は非常に工場らしい工場です。その辺りが日本と少し違うので、もし機会があれば見に行かれるのもいいかと思います。
 
河村:ええ。
 
会長:南通共和食品の指導を最初にしてもらったのは、千葉県の水産試験場を退職された先生です。冬の間、南通に行って、そこで独自にそこの品種を作って、網の畳み方とかそういったものを全部指導されました。
 
鈴木:やはり日本人が教えているんだ。
 
会長:そうなんです。他にも海苔養殖をしている会社はたくさんあるのですが、他の会社が不作でも南通共和食品だけは利益が上がっているという。なぜだと。そこの董事長によると、うちは日本の偉い先生に指導してもらったので利益が上がっている、と。そんな話がございました。
 
鈴木:世界的に日本食ブームと言うけど、日本食の底辺にあるのが、海苔ですからね。ところが、魚とか海苔が日本でとれないのは、これはある種パロディだよ。
 
岩瀬:本当にね。
 
鈴木:マスコミも、例えば後継者の問題でも、ちょっと真剣に取り上げてくれれば。テレビでも海関係の番組はすごく多いんですよ。
 
早川:そうですね。
 
鈴木:テレビを見て子どもたちも海にものすごく興味を持ってくれるけど、いざ海や漁業が抱える問題といった話になるとマスコミはあまり取り上げない。
 
岩瀬:うーん、そうですね…。

【未来のため、海を適切に管理する時代へ】

会長:子どもは磯遊びをものすごく喜びます。私自身、磯遊びが好きで、子どもを連れて木曽岬町の入り江にカニとかを捕りに行きました。未だに近所の子どもを連れて行きますが、そこで捕ったカニが面白かったと言います。磯遊びが今は密漁になる可能性もあってなかなかできないのでしょうが…。
 
鈴木:私も父方は渥美の赤羽根町の出身で、子どもの頃には赤羽根の浜でよく遊びました。夜、大量の亀が浜に上がってきて産卵するのを見た時代です。
まだ海水浴場が賑わっていた時で、おもちゃみたいな四手網を渚に少し沈めるだけで、ガザミやカレイやハゼとか、いろんな魚が山ほど獲れてね。そういう豊かな時代を、我々は目にしているのです。
伊勢湾・三河湾がどれほど豊かだったか。我々は分かっているけど、今の人たちはへぇ~、へぇ~って言う(笑)。
 
岩瀬:僕もへぇ~、のほうね(笑)。
 
鈴木:そうだね、50代だったらへぇ~だね。
 
河村:そうですよね。
 
鈴木:だから私、希少価値なの(笑)。
 
司会:50代と70代で知っている海が違うということは、20年ほどで急激に変化したということですか?
 
鈴木:そうです。これだけ都市に囲まれ、かつ大きな河川がたくさん入っている所は、人為的な影響は他よりも強く出るのです。この20年、30年です、海が大きく変わったのは。自分の人生で、現在のような海を見るとは想像だにしなかった。栄養不足が本当に起こるんだ、というのが実感です。
 
下水道を整備した当時、どうしてⅡ類系にしたのか。Ⅲ類系だったら今これほどみんなが苦労しないと思うけれど、当時は下水道を整備しても海全体が変わるわけはないという気持ちもあったと思う。
けど実際は、海は正直だから、変わるのです。それだけ人為的な水質コントロールが強く効くのです。なので、これからの伊勢湾・三河湾は、適切に管理する海にしておかないといけない。時代は変わったのです。
 
早川:そうですね。逆にまた回復するっていうのも然りですね。
 
鈴木:アサリなんか、3000tくらいまで3、4年で回復したわけだから、まあ早いといえば早い。
 
早川:そうですね。
 
鈴木:陸の生態学者が一度壊した自然は戻らないと言いますが、私は海に関しては、一度壊してもその原因がわかればすぐ元に戻ると言いたい。
まあ、漁業者の努力にかかっている。漁連が少し大きな声で話をすれば変わります。
 
早川:今うちも会長が、自らそういうアクションを起こしているところです。鈴木先生の話を聞くと、明るいという未来が見えてくるので、我々も漁業の火を消さないようにやっていきたいと思います。
 
司会:社長、最後に一言お願いします。
 
社長:本日は長い時間、個人的な現実問題や将来的なお話を聞かせていただきました。また鈴木先生からのお話は去年以上に、私の血となり肉となりました。今後も、皆さんのご協力を得ながらやっていきたいと思います。
本日は誠にありがとうございました。
 
一同:ありがとうございました。