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「どうして自分の心が女性って確信出来るんですか?」という哲学的問いの怖さ

自己の存在が揺らぐおもしろい投稿を見つけました。

高校生の娘が「もしうちのクラスにトランス女性がLGBTの話しに来たら、『女性に生まれた状態を1秒も経験したこと無い男性が、どうして自分の心が女性って確信出来るんですか?』『心が女性、ってなる必要条件は何ですか?』って質問してみるわ」って言ってるが、どんな返答が返ってくるのだろう。


どうやらこの女子高生はトランス女性に対してあまり良い印象を抱いていないようです。
質問の意図を変えずに別の言い回しが出来たはずですが、攻撃的な言い方に見えます。
投稿者である親もこの発言をたしなめていないようであることから、おそらく似たような思考を持っているようです。

この女子高生による攻撃的な問い掛けは、とても哲学的な問い掛けであると感じたため本記事を書こうと思いました。
「自分の心が女性(男性)と確信出来るには何が必要か」
この問い掛けには重大な問題が含まれています。
ひとつひとつ考えてみたいと思います。

■女性に生まれた状態を経験していないのに心が女性だと確信するには

生まれた時の性別、生物学的な性別に違和感を抱く方々がいます。
男性に生まれたけど男性性が合わない、女性に生まれたけど女性性が合わない、というような。
また、好意を抱く対象へ向けられる感情が女性に生まれたけど男性的であったり、男性に生まれたけど女性的であったりする場合があります。

この「男性性、女性性」「男性的、女性的」というのはバイアス(偏見、先入観)でしかありません。
例えば野球や鉄道、AV女優が好きだったり、論理的思考や体力仕事が得意であれば男性性。メイクやファッション、男性アイドルが好きだったり、美的感覚や裁縫仕事が得意でれば女性性、というような偏見や先入観があるでしょう。
好きなものや得意なものは性別とは無関係だと理解していながらも、「男っぽい、女っぽい」という漠然とした判定基準がいまだにあります。
※個人的には「男女平等」を過剰なまでに強いたり、言葉の揚げ足の取り合いをしたり、「自分の方が配慮してる」というマウント合戦が様々な議論を貧相なものにしていると感じます。

「性別バイアス」とも言えるこの漠然と抱いている感覚は、「女性(男性)の心はたぶんこういうものだろう」という曖昧なものです。
女性(男性)の肉体があり、その肉体に違和感を抱く心がある。
当事者ではないとしても、「トランスジェンダーの心はたぶんこういうものだろう」という曖昧な感覚はご理解いただけるのではないでしょうか。
アニメ映画『君の名は。』を始めとする「男女入れ替わりもの」など、エンタメ作品として描かれたものを日常的に接する機会が多い我々にとって、トランスジェンダーを理解するのはおそらく容易なはずです。
経験をしていないとしても。

■そもそも男性に生まれた人が自身の心が男性だと確信することは可能か

ではなぜ人は自身の心がその性であると確信しているのでしょうか。
冒頭の女子高生の問い掛けが鋭いのはここです。
僕の答えは「なぜかは分かりようがない」というものです。

例えば「男女入れ替わりもの」のように男性に生まれ心も男性の人が女性の肉体に感覚が移ったとしましょう。
この場合、女性の肉体を体感することはできますが、女性の心は体感できません。
あくまで体感できるのは「肉体が違う」ということだけです。
そしてトランスジェンダーの方々が訴えていることもこの「自身の肉体に違和感がある」というものです。

自身の肉体に違和感が無い人たちにとって、違和感がある、という感覚は確かめようがありません。
『女性に生まれた状態を1秒も経験したこと無い男性が、どうして自分の心が女性って確信出来るんですか?』という問いの鋭く恐ろしいところは、トランスジェンダーのみならず、我々自身さえも、「どうして自分の心が女性(男性)って確信できるのか」を言い表すことができないところにあります。

僕は男性として生まれ、心も男性だと思い込んで生きてきました。性的指向は女性です。メイクやファッションに興味が無く、青年漫画やSF映画・社会派映画が好きです。
ですが僕の心が男性かどうかを誰にも証明できません。
僕は自分の心が男性だと思っていますが、女性の心を知らないため比較できず、この心が女性ではないと確信出来ないため、男性だということも確信出来ません。
さらに、他の男性の心とも比較できないため、やはりこの心が男性かどうか確信できません。

つまり冒頭の女子高生の問いは「人は誰も自分の心の性別を確信出来ない」という衝撃的な問いなのです。

■まとめ

人は自分の心の性別を確信出来ない。確信する方法が存在しない。
ですがこれは「比較によっては確信出来ない」という意味です。
偏見や先入観(バイアス)によってのみ心の性別を確信出来ます。
すなわち、僕が男性だと思い込んでいるように。男性として生まれたトランスジェンダーが、心は男性ではないと違和感を抱くように。
僕が感じている心が男性かどうか、トランスジェンダーが感じている心が女性かどうか、どちらも対象と比較することが出来ないので確信出来ません。ですが違和感があるか無いかははっきりしています。
僕には心と身体に違和感が無く、トランスジェンダーは違和感がある。

『女性に生まれた状態を1秒も経験したこと無い男性が、どうして自分の心が女性って確信出来るんですか?』
『心が女性、ってなる必要条件は何ですか?』
という素晴らしい哲学的問い掛けをしてくれた女子高生へ。
あなたは男性に生まれた状態を1秒も経験したことが無いのに、どうして自分の心が男性ではないと確信出来るんですか?自身の心に違和感が無いからですよね?この世には自身の心と身体に違和感を抱く人が存在し、男性ではないとしたら女性だろう、という曖昧な言い表し方しか出来ません。
心が女性(男性)、ってなる必要条件など存在しません。
そもそも我々は自身の心の性別すら他者に証明することなど不可能なのですから。

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