見出し画像

『後朝の別れ』と書いて、「きぬぎぬのわかれ」と読む訳。

寒くなってきたので、色っぽいお話を一つ。

『後朝の別れ』と書いて、「きぬぎぬのわかれ」と読む訳。

平安時代の貴族は、ご存知のように「通い婚」が一般的で、男女は一緒に暮らしてはいませんでした。
男性は女性のもとを訪れては、共に一夜を過ごし、翌朝のまだ暗いころに帰路に着きます。

平安時代、実はまだ現代のような布団はなく、貴族の寝具はなんと畳(重ね畳)と褥(しとね)でした。
褥は硬めの座布団のようなものですが、現代の様な綿は入っていません。
床の上に畳二つを並べてその上に御帳(みちょう)を立てて寝所をつくり、内部に茵(褥)(しとね)を敷き、枕をあてがい、衾(ふすま)をかけて休んだそうです。
衾は広めの布で、掛けぶとんに相当します。
夜具としては、衿や袖のついた直垂衾(ひたたれぶすま)、袿(うちき)、宿直物(とのいもの)などを用いています。
褥と衾以外は、どれも、衣装ですね。場合によっては、(真冬でない時期など)夜は互いの唐衣(表衣)だけを脱ぎ、後はそのまま衣を重ねて敷き、そこで逢瀬を重ねていたそうです。(全裸には、なりません)

しかしすぐに別れの朝はやってきます。共に過ごした時間を惜しみつつ、二人は互いの重ねていた衣を着て離れます。

帰宅した男性は女性の衣に焚き込められた香の移り香から、昨夜の逢瀬を思い出します。

一晩重なり合っていた二人の衣が離れ離れになる様を「衣衣の別れ」(きぬぎぬのわかれ)と言い、いつしかこの翌朝のつらい別れのことを読みはそのままで「後朝の別れ」と文字で表すようになったそうです。

和文化デザイン思考 講師
成願 義夫


よろしければサポートをお願いします。 着物業界の為、着物ファンの為、これからも様々に活動してまいります。