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133. パレスチナのピアニスト 【映画】

ちょっとやる気になったので、一日遅れの更新です。

モハメド・ミシャ・アーシェイクは、パレスチナ人の父とロシア人の母を持ち、パレスチナ自治区に住みながら、エルサレムにいるイスラエル人の先生の元へ通いピアノを習っている。
レッスンに行くには検問所を通って3時間かけて行かなければならず、検問所が閉鎖されてしまった日は行くことができない。そんな時は携帯電話を傍らに置いて、先生とビデオ通話しながら練習する羽目になる。

将来はプロのピアニストになりたいと夢みるミシャにとってこの環境は過酷で、もっと練習に専念したいと悩んでいます。
それでも懸命にピアノを弾くうちに、周りに才能を認められ、国際ピアノコンクールで優勝を果たし、イスラエルのオーケストラとの共演(?)も決まり(コロナにより延期になってしまったらしい)、着実に前進していく。
正直言ってわたしにはピアノの良し悪しなんて分からないので、彼の才能がどれほどのものなのか理解することはできないのですが、ピアノの先生を始め周囲の人々が環境によって諦めるのではなくその才能を多くの人に発見してもらおうとできうる限りのことをしている様子を見る限り、人を動かすだけの力のある演奏なのだと思います。(このピアノの先生というのがかなりパンチがきいていて、ステレオタイプな音楽家、という感じ。感情の昂り方がすごい)
作中で留学もしたいと言っていたがその話はどうなっただろうか。

パレスチナとイスラエルとロシアという、端から見ると”大変そう”な出自を持つミシャだが、本人はそういうことはあまり気にしていなさそう。とにかく、ピアノに集中したい、ピアノをもっと学びたいという情熱が、思うまま発散できない状態が辛い様子です。
両親も祖父母もピアノの先生も、考えは様々でもミシャを大事に思っているのは変わらず、本人がより良く幸福に生きられるよう願っているのがひしひしと伝わってきます。(彼らの思い描く幸せの形とミシャの希望が一致しないことは往々にしてあるようですが)

彼がこれから思うままピアノを弾いて生きていけたらいいなと思います。
それが、個人間では恨みも憎しみも存在しないのに、大きな括りで隔てられると間に壁が立ち塞がってしまう、ということに悶えている全ての人々が、生きたいように生きられる未来へと繋がりますよう。


ところで映画の公式ホームページに寄せられているコメントが、ピーター・バラカンとX JAPAN/LUNA SEAのSUGIZOからなのが謎で面白い。


今日のBGMはクラシックとは全然関係なくゴス・ポジパンで、Specimen、Cinema Strange、Ausgang辺り。

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