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カウンセリングを受けているうつ病が思う事の話。

精神科や心療内科でのカウンセリングを検討している人に向けて、検討材料になればと思いこの記事を書く。
何かの役に立てば幸いだ。


私が現在通院している病院にはカウンセラーがいる。
そして私自身、通院初期に「自分のうつ病はカウンセリングが必要である」と理解していた。
なので主治医と相談し、普段の診察+カウンセリングを開始した。

はっきり言おう。
バッチバチに吐きそうだった。

通院初期にカウンセリングを開始したからだと言う見方もあるが、それ以上にカウンセリングの持つ特徴が吐き気の原因だ。
カウンセリングとはもちろん治療の一環であるが、通常の診察とは異なり「自分の内側にある傷口」をこれでもかと見つめ直す事でもある。
過去にあった嫌な事、自分のコンプレックス、忘れられないトラウマ。
そう言ったものに真正面から向き合う事は非常に体力も気力も消耗する。

「止めた方が良いのでは」と思う事も正直あった。
「何でこんなつらい思い出を振り返って見つめ直して苦しい思いをしなきゃならないのか」と何度も思った。
「別に見なくたって生きていけるじゃないか」と何度も思った。

生きていけていないからうつ病になったし死のうとしたのにだ。

そんな状態がカウンセリングの開始当初は続いた。
カウンセリングが終われば気分が悪くなり、食欲も落ちるような状態だった。
病院の日は自分へのご褒美として外食をしているのだが、食べる気もなくなるくらい気分が悪くなる。
吐くものもないのに吐きそうな状態で飯なんざ食えるか。

そんな「うっうっ……もうやだつらい死にたい……」みたいな状態を繰り返していく内にようやく、「カウンセリング後はすっきりする」の状態に移行出来た。
ある日突然「なんかすっきりした気がする!」となったのだ。

実際問題、カウンセラーにしか話せない事は皆が思っている以上に存在する。
重い話・暗い話・現実的な話・非現実的な話。
それら全てを仲の良い友人に話せるか?目の前で号泣しながら話しても許されるか?
ほとんどの人の答えは否だろう。
そこで「相手はカウンセラーと言う職業で収入を得ている人」だと言う安心感が重要になる。
明け透けに言うと「金払ってんだから気を遣わなくて良いや!」と言う安心感が心を楽にしてくれるのだ。

それに回数を重ねる毎に「自分の中で何が大きな問題として残り続けているのか」を理解する事が出来た。
心に傷を負っていると、存外その傷の本質を見抜けていなかったりもする。
うつ病が悪化していれば尚更だ。
傷と言うラッピングを見るだけでパニック状態になり、そのラッピングを剥がして箱を開けて中身を確認するにまで至らない。
もちろんこのラッピングを見るのも剥がすのも箱を開けるのも中身を確認するのも、どれも吐きそうになるくらいつらいものだが治療には必須だと私は思う。

よくマーケティングの話で「客はドリルを求めているのか?穴を求めているのか?」と言ったものがある。
「ドリルを買いに来た客はドリルを求めているのではなく穴を空ける事を求めている。その本質を見誤ってはいけない」と言うものだが、カウンセリングでの治療はこれに似ていると思う。
心の傷をAとして、必要な治療はそれに適合するAなのに、Bは良いですよCもここが良いですよDはどうでしょうでは全く意味がない。
きちんとその人の中で「何がどうしてそうなったのか」と言う本質を理解した上で根本的な部分から治療しなければならないのだ。
そしてその問題の本質はカウンセラー以上に本人が理解しなければならない。

ここを理解出来た時、カウンセリングはぐっと楽になると私は思っている。


以上の通り、カウンセリングは正直に言うとキツイものではある。
だが明確な原因(ストレス)が分かっていない、もしくは分かってはいるがどうしたら良いのか分からない、と言う人はカウンセリングを受けてみるのが良いだろう。
ただしある程度状態が落ち着いてから無理のない範囲での開始をお勧めする。

「苦しい時は一旦休憩」が合言葉だ。

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