オリンピック

あのオリンピックがはじまったころ

酸性雨に怯えながらわたしはひとりブランコをこいでいた

ひみつの友だちだった わたしの雨

酸性雨はにんげんのひきおこしたわざわいだと毎日ニュースはつたえている

そのことの よるべなさにたじろいでいた

世界のあちこち いたるところで戦争といたましい死。身の毛のよだつようなおぞましい事件。動物殺しや陰湿な脅し合いがうまれつづけていて

学校では「シカト」の気配にたえず固唾をのんでいる

まるきり怯えて ガタガタふるえることもできないくらいなのに このからだときたら日毎あからさまに 未来へむけて準備をすすめていた

せっせとたえまないそのうごめき。そのうっとおしいあかるさ。えたいのしれないあかるさ。

これ等のことごとに なすすべもなくわたしはただ ブランコを激しくこいでいた

そしてあのオリンピックがはじまった

ゴルフ場みたいに遠いグラウンドに選手たちがあつまってゆく

国名と国旗の絵をかかげた見ず知らずのプラカードガールたちに導かれながら選手たちは

「なぜプラカードガールはその国のひとから選ばれないのだろう?」

超人的な身体能力をおとなしくスーツの内に包み隠し

「寂しく美しい挿し絵のメロスはほとんどはだかだった」

まじめな面差しで あるいは愛嬌をふりまきながらあるいは怒ったようなかおをして行進してゆき まんなかにどんどんたまってゆく

選手のにぎやかな国もあれば たったひとりしかいない国もあって かれの国の名前や国旗は謎めいていた

そういう国の選手はたいてい民族衣装を身にまとっていた

わたしは テレビに写しだされる まるで暗号のような国旗の絵とその国のひとの個性とにくぎづけなり はだしの足の甲は汗ばみ しっかりと畳のあとがついた

さまざまな国の魅惑的なドア

あのおそろしい おぞましい わたしを怯えさせる世界は祝福されながら魔法のようにすがたを変え ゴルフ場のように遠いグラウンドにあつまってゆく

そこにはひとびとの歓喜と期待とピュアな意欲があらわされていた

にんげんのひきおこしたわざわいは 世界をるすにして 小瓶の星の砂のようになって オリンピックになって あつまった

にわかにわたしは安堵した

すくなくとも。このオリンピックのおこなわれているあいだは大丈夫かもしれない

にんげんのたえまないおそろしい意識は祝祭となってこうしてあつまっているから

戦争といたましい死。おぞましい事件。動物殺し。「シカト」もわたしのからだもおとなしくなるだろう

ひとびとに紛れこんで おまじないをかけるように オリンピックをわたしは祝福した

一方で この がらんとした空いた世界でわたしはわたしの愛するなつかしいものと ひみつの友だちの雨とも 再会した

その世界をあるき ながめた

ひとりでブランコをこいだ

その世界にはわたしのようなひとも少なからずいたけれど そっと目くばせしあうだけ

けれど るすがちな世界には泥棒もはいった

世界をすっかりるすにしたひとたちはしらないうちに愛らしいものをいくつか盗まれた

オリンピックは ひとびとに希望をあたえる夢みがちな玉となっていった

そのボールはひじょうに煌めき祝福されたまま 古のオリンピアから継承された哀しい瞳をもつ どこかの国の選手のひとりによって

「おそらくあの謎めいた国旗の国の」

どさくさにまぎれてこの星からはじきとばされた

衛生はオリンピックをうつしつづける

永遠にさようならと見送り 願っていた

「けれどもわたしはほんとうにまだこの星にいただろうか?」

 そして数万光年たってオリンピックはおわった

はじまったときと同じゴルフ場のように遠いグラウンドで

寂漠をわたしは はじめてかんじた

くたくたに疲れきったオリンピックは油がテーブルクロスに滲んでゆくようにすがたをもとにもどしながら 世界にひろがってゆく

そうだ

わたしたちのオリンピックを宇宙が見逃しておくわけなんかなかったんだ

宇宙はその懐のふかさと容赦のなさとで仔犬のようにほがらかに 玉をキャッチし わたしたちの星に はじきかえした

酸性雨について しだいにニュースは伝えなくなった

「シカト」はいつもどこかの教室でおこりつづけた

わたしはブランコをこぎながら なつかしい世界にたずねた

酸性雨って去ったの?でも友だちの雨はどうしてまだもどってこないの?あの玉がまたできたときどうしたらいいの?宇宙はわたしたちのオリンピックをゆるしてくれるの?






















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