貧困スタディーツアーに参加して①
みなさんスタディーツアーなるものを知っていますか?普通のツアーとの違いは、その場所の抱える課題について学ぶことがテーマであることです。
興味を持ったきっかけは、バングラデシュのラナプラザ倒壊事故。
私も愛用していた有名ファッションブランドも受注していた縫製工場が倒壊し
中で働いていた従業員4000人以上が犠牲になりました。
犠牲者の多くは私のような20歳くらいの女性だったそうです。
生まれた環境の違いだけで搾取側にも搾取される側にもなり得る残酷な世界です。
高校生の時からラナプラザ事故を原動力に今まで活動してきていたので、
実際の貧困の現状を自分の目で確かめたく、コロナが明けるのを心待ちにしていました。
私が選んだのは、7泊8日でフィリピン都市部の貧困を学ぶツアーです。
費用・現地の人との関わり・ディスカッションの多さ等を考慮しました。
スタディーツアーの様子はこちら
ツアー中の外出先は、スラムへの家庭訪問インタビュー、小学校での日本紹介、戦争の歴史物などでした。
宿舎の中では、貧困に関するレクチャー、スラム出身の方のライフストーリー傾聴、地元の大学生との意見交換など多くの人と交流の機会をいただきました。
貧困に対する感想を端的に述べると
①自分はめちゃくちゃ恵まれている
②フィリピンの前向きさに勇気づけられた
③問題解決はちーーーーーいさな一歩の積み重ね
①自分はめちゃくちゃ恵まれている
スラムに入ると、自分が思うよりも怖くも暗くもないことに気づく。
笑顔で手を振られたり、男の子がバスケで遊んでいたり….
でも、やっぱり問題は抱えている。
お金がないから進学できないなんてよくあること。見出しのお母さんは小一までしか学校に通えなかった。旦那さんもドライバーの仕事を失ったため、夫婦でゴミ集めを仕事にしている。
どの家族も夢は「こどもに教育を全うしてもらうこと」
なぜなら教育だけが貧困から抜け出す希望だから。
子どもたちの夢は「スチュワーデス」「先生」「医者」….
職業の数をそんなに知らないからなのかも知れないけど、自分も精一杯な生活状態なのに他の人を助けたいと思う姿勢に胸を打たれた。
恵まれた自分はもっと大きな力になれるんだから、恵まれた分頑張らなきゃという気持ちが芽生えた。
②フィリピンの前向きさに勇気づけられた
フィリピンの貧困を学ぶ中で、政府の在り方に正直絶望した。
例えば、ゴミ処理の方法が「埋立」であること。ごみが山ほど積まれ、有害物質を出したり、崩れる危険性もある中、貧困層は価値のありそうなゴミを売り生計を立てている。
フィリピンでは「大気を汚染するから」という理由でごみの焼却が法律で禁止されている。
なら日本のように有害物質を出さない焼却施設を作れば?と思うが、
現地職員によると「政府は根本的/長期的な解決策を取らない」らしい….モヤ!
そんな政府でも、国政選挙の投票率はなんと80%超えなのです。
地元の大学生によると、理由は「投票日は休日になるので、みんな投票くらいしかやることがない」そう。
でもよくよく聞いてみると…..
「田舎では特定の人に投票するよう武力で脅されることもある」
「(国民は)自分の声を届けようという姿勢があるけど、自分の意見を伝えるだけで満足してしまっている」と顔を曇らせる。
彼は加えて、「政府が間違った方向いきそうな時、それを摘発し軌道修正することが国民としての義務だ」と言った。
ただフィリピン政府に対し諦めていた私は、その状況下でもポジティブに改善できると考えている彼の言葉にハッとさせられた。
同時に、日本にいる私たちも政治への不満を嘆くだけじゃいけない、と思った。
③問題解決はちーーーーーいさな一歩の積み重ね
ツアー主催NPOさんのお話しを聞いていると、葛藤の多さに圧倒される。
新たな地域で支援を始める時、毎日そこに通い、住民の信頼を得るところから始める必要がある。そこから実際に支援開始まで6ヶ月もかかるそうだ。
また、建設した幼稚園は、現地スタッフとのコミュニケーション不足により運営できないことになったり。(運営されていた時期もあったが、コロナで資金不足に陥り現在は閉業中)
似たレベルの貧困でも困っている人全員は支援できないから、優先順位をつけなくてはいけないこと。
思い通りいかないことが山ほどある中で、希望を持って数十年かけて少しづつ進めてきた結果、302人のこどもたちに教育を、8人の女性に雇用を与え、多くの日本の若者がスタディーツアーをきっかけに貧困課題に取り組むようになった。
貧困は果てしなく大きな課題に思えるが、そのように前を向いている人を見て、
私も問題の一部でなく解決の一部になりたい、と改めて思いました。
とりあえず今日はここまで!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?