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あのこは貴族 in Paris

フランスで邦画「あのこは貴族」が公開された。私はパリ市内で賑わってる地区の大きな映画館で観たのだけど、土曜の夜ということもあってほぼ満員だった。ちなみに隣のスクリーンは濱口の新作で、こちらも開場前から大行列だった。フランスの邦画への関心の高さが嬉しい。
そんな話題邦画、連れのフランス人とも鑑賞後感想を話し合い盛り上がったので、そんなことをこの記事に書こうと思う。

個人的な話になるが私は東京の西側で生まれ育ち、中高は中堅私立女子校(進学校)、大学は慶應でないほうの私学のわりとエリート学部いう『あのこは貴族』で描かれるような華子と美希の中間地帯を、その時の家庭の経済事情と自分の気分で行き来するような感じだった。なので映画を見ながら登場する全員に知り合いの名前をぼんやり当てはめてしまったし(「お嬢様」にかぎっておもしれー女パターンもわりといるけど) ここで描かれている社会がとてもリアルだと思った。

①お洋服

日本人がいかに着る服に気を遣っているかというのはフランスでも評判なのだけど(パリだってお洒落な人というのは一部であとはみんな簡素なものだ) この映画でもお洋服を見ていて楽しかった。

この映画は冒頭から毛皮や着物の話が出てくるのだけど、その人が身につけているものと社会階層の結びつきは当然強い。華子はふだんとっくりや襟付きのお嬢様ファッショだが、「カジュアルな格好で」参戦した運命のお見合いの日に赤いプリーツスカートを身につけている。

「カジュアルすぎる」と家族から不評だったこの同じ、より少し短い赤いプリーツスカートを美希はというとめかし込んで気合いの入った同窓会で着用している。この対比、同じ赤いプリーツスカートでも値段は全然違ったりするのだろうか。

そしてもう一つ印象的なのがボーダー柄である。映画の中では多分2回、華子が初めて幸一郎に会う時、そしてラストシーンでも華子はボーダーを着ている。
ファッションには全く詳しくないけれど、ボーダーとは=囚人柄でもあり、またトリコロール=革命の象徴でもある。そんなボーダーは華子は2回、一度目は嫁入りの転機となる場面、二度目はラスト、離婚後に彼女に自由と解放が訪れるようなシーンで着用している。

繰り返しみたらもっと細部にまで気がついたのかもしれないので、ぜひこの映画は2回目観たい。

②幸一郎とは

華子と美希が交わることのない世界線でガチガチに固められているのに対し、幸一郎がダントツで貴族でありながらもそこの間を自由に移動できるのは彼が男だからである。華子が庶民的な居酒屋で狼狽ても、幸一郎ならあの場にもすんなり馴染めるのだろう。

彼は悪者ではない。どちらと言えば彼自身も窮屈さを感じているボーダー服のような存在である。
この映画は涙を誘うようなものではないけど、唯一私がホロリとしたのは美希が幸一郎に別れを告げる時「親友だった」という言葉を使ったことだった。ヤることやってはいても、あの言葉によってある種のクィアというか、階級に加えて男女という社会的なカテゴライズによって引き裂かれていく2人の人間を見た気がした。いや、実際に幸一郎が幸一郎だったら日本ももうちょっとマシになるんじゃないだろうか…

③シスターフッド
この映画は女性を分断することなく、華子にも美希にも、押し付けがましくないやり方でシスターフッドという希望を照らす。

わりとその中で重要人物が華子の友達で、周囲から少し浮いているバイオリニスト、逸子である。東京出身の同世代として、私があの中で誰に1番近いかといったら自由と自立を求めてヨーロッパに行っちゃう彼女だ。しかし何が問題って私はバイオリン弾けない。

④あるフランス人はこの映画をどう観たか?

この映画には、慶應幼稚舎とか松濤とか沢山の固有名詞が散りばめられており、その辺りをフランスの観客はどの程度理解しているのか?とは当然浮かんでくる疑問である。なので連れに感想を聞いてみた。
この彼(以降Kと呼ぶ)パリ出身の移民ルーツとかではないフランス人で、とはいえ郊外のわりと貧困家庭で育ち、そこから奨学金でフランスのエリート養成校である名門グランゼコールに通い今はエンジニアという仏国内での人気職業という、酸いも甘いも経験しているタイプである。

そんな彼曰く、松濤とか幼稚舎とかはそこまでピンと来ないが、それでもここで描かれているような階級差というのはフランス社会にも現存するので、この映画をよく理解したと語っていた。
というのも、フランスは日本に劣らずエリート学歴社会であり、社会を牛耳っているのはグランゼコール出身のエリート層であるが、ここに入るのがまず大変である。選抜のため日の目を見ないほど猛勉強しなければならないし、そうなると当然子どもに割けるリソースの大きい富裕層で構成されることになる。名門中学、高校は選抜ではなく居住場所で決まってしまうので、まず「近くに住むこと」が必須条件になるのは、ある意味ペーパー選抜より難しい。
Kくんは貧困家庭からグランゼコールに行ったこともあり、入学後周りとのギャップを大いに感じてつらかったこともあってそうだ。彼はある意味美希だったのだ。

しかしKは美希と同じ道を辿らなかったし、仮にKが女の子であってもそうだと思う。彼は返済義務のない奨学金を利用し、学業を治めたのである。
私は私大に通っていたけど、周囲の子が利用しているような奨学金はしばしば成績の良さに紐づいたようなものであり、時に実家が太くて成績の良い子がさらにボーナスとして更にお金を貰えるという事態まで目撃した。

映画では美希は父親が失業し学費が払えないとなるとすぐさま夜の世界に飛び込み、あげく大学を中退してしまう。女の子が1人で生きていくには東京は高すぎる。しかしここでもし美希が真っ当に学業を続けられる手段があれば、と思わずにいられなかった。
※ちなみにグランゼコールではない大学はフランスはほぼ登録料・学費が無料で、学生への手当も厚い。私はレストランで週20時間ほど働きながらそれでも楽しくやってるし、休みの日は無料の美術館や優雅な公園でQOL高く過ごしたりしている。水商売や売春が大学生のありふれたバイトである現代日本とは大きな違いである。

またKはじめフランス人の想像の外にあるのは、おそらく華子や幸一郎は男女別学の環境で育ってきただろうという事実だ。フランスで男女別学といえばおばあちゃんが小さかった時、くらいの大昔の出来事のように認識している人が大半で、私自身中高と女子校だったことを話すと驚かれる。
私はエンパワメントという意味で女子校にいたことを感謝しているが、一刻も早く男女平等が実現されること、そのためにまず真っ先にエリート養成ホモソーシャル男子校システムが撤廃されるのを日々祈っている。フランス人は、エリート階級社会の話というのはあっても、ここまで男女が分断されているというのは身近ではなかっただろう。


以上が邦画『あのこは貴族』の感想である。とりあえず私は逸子になるべくフランスで努力して、芸を磨こうと思いました。おわり

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