見出し画像

なぜ、読書感想文を書くのか?【江國香織著:泣かない子供】

頻度にムラはあるものの、今年の夏くらいから読書感想文を書いている。読んだ本全てについて書いている訳ではないし、読了後、思いがほとばしり過ぎて書ききれず、下書きのまま塩漬けになっているものもあるけれど、細々と続けている。

私は、読書感想文とは読書の感想を述べるものであって、書評や推薦文とは違うものだと思っている。もちろん、感想文きっかけで本を手にとってもらえたら嬉しいが、それを目的にはしないことにしている。

そんな文章を書く意味はあるのか?誰得なのか?noteという公共の場に公開するのはなぜなのか?ということを、実は自問自答しながら書いてきた。無料とはいえ、読んでくださる方の時間をいただくものだから、読んでくれる人に何かメリットというか、持ち帰ってもらえるものがなくてはならないのではないか、と思ってきた。

でも、もしかしたら、そういうことは私が考えることじゃないのかもしれないと、もう何度目になるかわからない、江國香織さんの「泣かない子供」を久しぶりに読み返して思った。

「泣かない子供」はエッセイ集だが、江國さんの読書日記がまとめられた章がある。取り上げられている本の多くは海外の小説で、そのほとんどを私は読んだことがない。江國さんの読書日記は、二十年近く、何度も何度も読んでいるのに。読んでみようと思ったこともなかった。

では、江國さんの読書日記に価値はないのか?そんなことは断じてない。価値がなかったら、何度も何度も読まない。

そうやって考えてみると、私が江國さんの読書日記を好きな理由は、彼女の読書体験を垣間見るのが楽しいからなのだと気付いた。

読書とは、とても個人的な行為であり体験だと思う。

同じ本を読んでも、全員が同じ感想を持つ訳ではないし、同じメッセージを受け取る訳ではない。小説だって、ノンフィクションだって、童話だって同じ。ある本を読んで、江國さんが感じたこと、見たもの、行った場所は、私も同じ本を読めば感じれる、見られる、行けるとは限らない。江國さんだけのオリジナルな景色なはずなのだ。

恋バナや旅行記なんかも、「その人ならではの話」であることにおもしろさがあると思う。そこから教訓や役に立つ情報が得られなくても、興味深く、おもしろく読むことができて、それは私にとって価値のあることだ。
(まぁ、Amazonレビューなんかを見ると、「役に立たないのは悪」みたいなコメントもあるから、何事にも役に立つか立たないかで良し悪しを判断する人もいるのはわかるし、それはそれでいいけど)

さらに付け加えると、「その人ならではの話」をおもしろがる時、「その人」が有名かどうかはあまり関係がない。もちろん、話し手がどんな人かは気になるけど、匿名の人でもおもしろい話はおもしろい。これは、noteや個人のブログなんかで、個人情報出さずに書かれたものがおもしろく、ファンになった人たちが証明してくれている。

私が読書感想文を書く理由。それは、私の読書体験を話したいからだ。ある本を読んで感じたこと、見たもの、行った場所。物語を通過する前と後とで、私に起こった変化。そういうことを、知ってほしい。

もし、おもしろがってもらえたり、役に立ったと思ってもらえたら万々歳だけれど。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

読書感想文

最後まで読んでくださり、ありがとうございます!サポートいただきましたら、別の方をサポートします。