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スポーツ通訳になりたいけど、目標に向かって頑張るほど遠ざかる気がする人へ

私のSNSや取材していただいた過去の記事を読んでいただいている人には既に知っていただいていると思いますが、私が「通訳になりたい!」と意気込んでスポーツチームに入った当時、私は通訳ができるほど英語が話せませんでした。

現在、スポーツ通訳になりたい人に向けてオンラインサロンを運営しながら、チームに紹介できる人材を育成中ですが、日々頑張るサロンメンバーから送られてくるメッセージで一番多い内容が

「自分に通訳ができる自信がありません‥」

というものです。


その気持ちが痛いほど分かるので、私も同じように感じていた時のことを書いておきます。

当時、私は大阪の語学スクールでスクールマネージャーをしていました。

しかし、
「英語とスポーツに関われる仕事がしたい!」
「通訳を目指してみたい!」

そんな気持ちが強くなりました。
その気持ちを抱えながら働いていたのが2ヶ月間ほど続きました。

自分に英語力が無いことは分かっていました。
通訳になるには英語力は必須です。
まずは関西にある通訳者の養成スクールを調べ、資料請求や説明会にいきました。

記憶が曖昧ですが、この段階くらいで会社の上司に「スポーツの通訳を目指すので勉強する時間や、ボランティアで通訳に挑戦する時間が欲しいです。」という相談をし、正社員からアルバイト雇用に変えてもらいました。

その後、勤務先と自宅の間にある通訳養成スクールに通うことに決め、クラス分けテストも受験しました。
通訳コースにさえ入れてもらえない英語力でした。当然の結果ですが、とてもショックでした。
とりあえず、フリーで会話をするスピーキングクラスを週1回、
そして、時事問題を訳すクラスで、レベルに関係なく受講可能なものがあったので、それを週1回受けることになりました。

通訳養成スクールの授業が始まる前、既にアルバイト雇用だった私は自由に仕事の休みも取れるようになりました。

とにかくインターネットで

“通訳 ボランティア” みたいなワードを調べまくりました。

そしたら、東京で子供向けの国際映画祭が行われ、そこに海外からの映画監督を呼ぶのでボランティアで監督の通訳をしてくれる人を募集している記事を見つけました。

すぐに応募。そして「一度会えますか?」と連絡が来たので
自腹で関西から東京まで会いに行きました。
その結果、「ぜひ手伝ってください」と言ってもらい、その映画祭でボランティア通訳をすることになりました。

これが悲惨な結果を招くことになるとは、この時はまだ知りませんでした。


映画祭は10日間。ボランティアなので交通費も宿泊費も出ません。私は全て自腹で新宿に宿泊していました。

私の担当はイギリスのアニメーション監督でした。日本でいうと宮崎駿のような存在だと聞かされ、ワクワクしていました。

しかしそのワクワクも初日に打ち消されました。
まず、監督と顔を合わせた挨拶の段階で監督が何を言っているか分かりませんでした。
色んな挨拶のパターンを準備して覚えてきていたけど、緊張で全部吹っ飛び「ナイストゥーミーテゥー」しか言えませんでした。

同じようにボランティアで参加する人の中には、英語もイタリア語も流暢な帰国子女の子もいて、完全に私は萎縮モードでした。

しかし、そのイギリスの監督も、その帰国子女の子も、映画祭のスタッフの皆さんもとにかくみんな優しくて、私が困っているときは手伝ってくれたり、一緒にご飯食べたり、京都弁かわいいねって言ってくれたりして和気藹々と過ごしました。

監督と私

会場には内田恭子さんもいて、とても綺麗で、英語と日本語を交えて進行をしていて「かっこいー❤️」なんて思って楽しんでいました。

舞台で進行される内田恭子さん

映画祭が進むにつれて、色んなイベントがありました。
中には、監督と一緒に舞台に上がって舞台挨拶を通訳する任務もありました。
緊張しました。心臓バクバク!!!!!
しかし、子供向けの映画祭ということもあって、会場には子供たちもたくさんいます。監督は子供達に向けた短い簡単な挨拶をしただけだったので、なんとかそれっぽい日本語の挨拶に変換し、事なきを得ました。

サイン会の対応をしたり、監督と天丼食べたり、言葉はあまり通じなくてもなんだかみんなとは仲良くなりました。


ただ、最終日まで監督が何を言っているのかはあまり理解できないまま終わりました。
ジョークを言われたりしましたが、一言も聞き取れませんでした。
監督はそんな私を見て笑っていました。

カメラを向けるとふざける監督

とにかく毎日自分の英語力の無さを痛感する10日間でした。

しかし、とあるスタッフとのこんな会話が今も心に残っています。

スタッフ「なんでわざわざ自費で関西から来てるの?!交通費とホテル代すごいでしょ?!」

私「全部で10万以上かかってますね‥。でもどうしても英語の仕事をしたくて。だからとにかく何か行動したくて。」

スタッフ「そんな人、なかなかいないよ。その行動を起こしている時点で周りとは違う。絶対これから人生変わるよ。」

その人の言うとおり、ここから人生が変わったと思っています。

英語が通じず、ズタボロの心を抱えて関西へ帰り、なんだかんだしている間に通訳スクールが始まりました。

英語力が全然足りない状況を目の当たりにしたけれども、とにかく勉強するしかない。

時事ニュースを訳すクラスは地獄でした。
出てくる単語のほとんどは調べないと分からないし、調べたところで何を言っているのか分からない文章がどんどん出てきました。
クラスは私を含めて3人だけ。この3人でひたすら順番に訳さなければいけない拷問のような時間でした。

次の授業までに宿題を頑張ってやって、なんとか自分で訳してみて、意味の通っていない文章を披露してダメ出しされて、、、というのが3週間ほど続きました。

できない自分が辛くなってきて、学校に行きたくない気持ちが日に日に大きくなっていました。

やればやるほど知らない単語がわんさか出てきて、目指していた夢がどんどん遠ざかる感覚でした。毎日少しずつ、深い海底にジリジリと沈められているようでした。

「とにかくまたボランティアでもなんでも良いから、英語を話す場所が欲しい」
と思い、またネットでいろいろ検索していたら

ホッケーの国際大会が岐阜県で開かれるので、そのアテンドを手伝ってくれるボランティアを募集していました。

これも全て自腹ですが、行くしかない。

そう思い、履歴書を送ろうと準備していたところでたまたま大阪エヴェッサの求人を見て、応募し、マネージャーとしてそちらに入団することになりました。

※その時のお話はこちら↓


周りから見たらすんなりスポーツ業界のお仕事が決まっているように見えるかもしれません。
ただ、当時の私の心境は、この先どうなるかも分からないのに、フリーターになってしまって、ボランティアと通訳スクールにお金が吸い込まれていくという終わりのないどんよりした気持ちに支配されていました。

通訳になりたいと思い出したのが、6月ごろ。そして大阪エヴェッサに入団したのは10月です。たった4ヶ月ではありますが、自分の英語力に落ち込みながら過ごす期間は後半につれてどんどんしんどくなっていました。

通訳になる自信なんて毎日削がれていきました。
頑張れば頑張るほど、自分にできないことが多いことに気付かされました。

同じように不安になっている人がいるとしたら、
そんな時に取るべき行動はただ一つです。

目標に向かって、とにかく勉強を続けるのみ。

既に英語が流暢な方や、英検1級を持っているような人でも通訳者になるために通訳養成スクールに通って準備するような世界です。

私のように、そもそも英語力が低い人間が目指そうとすると、時間がかかるのは当たり前です。1年、2年どころではなく、本来はもっと時間がかかるはずです。

簡単になれるものではありません。

でも、だからこそ頑張って目指す価値があるし、必要とされるお仕事です。

今焦ってしまって、暗い海の底にいる気分になっている人がいたら
どうか諦めることなく、ゆっくり着実に力をつけて
チャンスが来た時に掴む準備をして欲しいなと思います。




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