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親と子と。関係は変わる。

「ママ、・・・私友達いなかったよ」

その時は突然に。

2022年9月18日。
会社で休み(正確には人と会っていい休み)が取れ、奇跡的に弾丸で実家に帰ることができた。

とにかく慌ただしい帰省だったのに、その滞在時間からは想定しえない大きな変化があった。

その出来事について、忘れないうちに、温かいうちに吐き出しておこうと思う。

扉を開けた、卒業アルバム

最近自分の過去について振り返ることがあり、そういう時期だったことも相まって、私は長いこと触れていなかった卒業アルバムを手に取った。

ふぅん、私って図書委員だったんだ。


小学生の頃の記憶、中学生の頃の記憶というのは恐ろしいものだ。
自分では結構覚えていると思っていても、全く記憶にない写真がたくさん出てくるし、自分が書いた卒業文集の内容なんて一行も覚えていなかった。


そんな気持ちで楽しく見始めたのだが、徐々に、徐々に気持ちが苦しくなっった。
それもそのはず、私の幼少期は決して明るいものではなかったからだ。


どの写真でもうまく笑えていない。
端っこの方に写っている。
自分に自信のなさそうな顔。



興味本位で開いたのに、色んな記憶がフラッシュバックして、鬱々とした気持ちになってアルバムを閉じた。


しかし、それも良かったのかもしれない。そんな気持ちになった後だったから、だからこそ、次に書くような変化が起きたのであろう。

子煩悩だった母

私の母は子育てに自分の全てを注いでいた。

鍵っ子なんてもってのほか、帰った時に母がいない日なんて絶対になかった。朝は誰よりも早く起き、1日たりともお弁当を作り忘れたり間に合わなかったことはなく、完璧に家事をこなし、夜も誰よりも遅く寝る。疲れた、辛いなんて言葉は漏らさない。
そのうえ、母個人としての私欲は一切ない人だった。
全てを子供に注いでくれるから、その愛が嬉しかった反面、どこか「うまくいっていない」ということを絶対母に言ってはならない、という本能が働き、無意識に学校でうまくいっていないことは隠すようになっていた。
(ここについては、二つ上の姉の存在も関係しているのだが、本旨と逸れてしまうので割愛する。)


大人になった今でも、
「本当はこうしたかった」とやんわり言おうとしても、
「そういうのもさっちゃんはうまくやれちゃうタイプだったもんね」と、
私が否定する前に"間違っていなかった"という事実で上書きする。
もちろん彼女に悪気はない。
なぜそのような言動をするのだろう?と考えていたが、少し解が見えた。

自分の全てを子育てに注いだ母だから、「子育てに失敗した」と認めてしまうことは母にとって自分の人生・生きた意味の全否定であり、それだけは絶対に認めたくないという恐怖心や抵抗があるのだ。

「愛されたい」という気持ちが強かった幼少期の私は、母に愛されたくてすがる思いで、必死で”うまくいっている”自分を装っていた。

だが、今回の帰省で卒業アルバムと正面から対峙し、ひいては自分の過去に向き合って、今は正直に「あの頃はきつかった」と言いたいと思った。


仰々しく呼び出して「お話があります」なんてやりたいわけではなかったのだが、期せずして話すタイミングはやってきた。

それは父と母との食事中のこと。
私の従兄弟は医師家庭に生まれ、中学受験をして名門に通っているのだが、彼の育てられ方から派生して、果たして教育において「国公立」がいいのか「私立」がいいのか、というような話題になった。
案の定母は、「さっちゃんはずっと公立だったけど、お友達には恵まれたよね。転校もあったけど、どの学校でもうまくやってたし」というようなことを言った。

今までの私だったら、「そうだね」と一言答えていただろう。
だが、今回は違った。
うーん、と少し唸って、宙を仰いだ。

そうしたら驚いたことに、それまで黙っていた父が「さっちゃんも色々大変だったんだよ」と言った。

「そんなことないでしょう、」と母はやはり抵抗を少し見せたが、私がまっすぐ目を見て「いや、中学の時とか友達いなかったよ」と伝えたから、少し苦い顔をした後で、まだ受け入れきれていない表情ではあったものの、「そうだったんだね。」と呟いた。

なんとなしの短い会話だったけれど、私にとっては大きな一歩だった。
あの頃とは違う、私は強くなった。初めて、1人の足で立った気がした。本当のことを言えた気がした。


今の思考を持って当時に戻ったら、それはそれでやはり母には言えないのかもしれないし、言ったところで何も解決しなかったかもしれない。
ただ一つ言えるのは、今になって伝えてみたら、母との関係が悪くなることなどなかったし、過去の自分の言いたかったことを代弁することで、当時の自分を救ってあげられたような気がした。結論、勇気を出して言ってみて良かった。

父は旅人

今回のことに付随してもう一つ、最近になって変わったことを綴りたい。
それは、父との関係だ。

父は破天荒で精神年齢自称16歳、子供の人生より自分の楽しみ、愛してると言いつつ世話は焼かない、母に迷惑ばかりかけるデリカシーのない気の合わない大人。

物心がついた頃からずっと、そんな風に思っていた。


奇想天外な行動をする人だから、友人からは「面白いパパだね」と言われることが多かったが、こちとら一緒に住んでると大変やぞ、なんて心の中でいつも思っていた。


ところがどうだろう。
私の父は、旅人だったのだ。
旅人、というのは比喩表現である。物理的に旅をしているわけではない。心が、旅人だったのだ。

それは、私が旅人になったから理解できるようになった。父に思考が追いついた。


破天荒に見えていた父は、ある意味子供に依存していなかった。自分自身の人生をしっかり楽しんでいた。常識に縛られず、やりたいことをやっていた。


今年、私が仕事で悩んでいる時、初めて深い相談を父にした。あんな弟のように思っていた父に相談した自分にも驚きだが、それ以上に真剣な回答が父から返ってきたことに驚いた。
私が思う以上に、父は父親だった。世界を知っていた。

今回の帰省で私が母に本音を吐露した時も、「でも実際高校からは自分で選んだりしてたよね?そこからは大変じゃなかったでしょ?」と"成功"に向けて軌道修正しようとする母に対して、父は一言だけ、「さっちゃんも色々あったんだよ。」と言った。


なんだかまだ言語化できていないのだが、その時すごく、父を近くに感じた。
じんわり、温かい、少し泣いてしまいそうな感覚。

世間一般のお父さん像ではないかもしれないけれど、頼れる大人が一人増えた。


今回の帰省は、両親との関係が変化したことをくっきりと感じるものになった。
それはとても短くて、とても、大きかった。



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