見出し画像

「価値観」の買い物をしよう 哲学を完璧に仕上げる方法

自分一人の力だけで価値を完結させ、自分なりの「完璧」への解答を創り上げるというのは素晴らしいことだ。
素晴らしいことなのだが、それでは幾つか論理を見落としてしまうことがある。
「見せかけの完璧」ってやつです。視点を変えないと発見できない問題というは必ず存在する。
例えば、小学生の頃に描いた絵。今見ると明らかに左右対称ではない。しかし、当時は作業に夢中で、そのことに気付かなかっただろう。それと同じで、自分の「哲学」という絵を凝視し過ぎてしまうと、最終的にはその哲学が不格好で、左右非対称なものになってしまうのだ。
では、これをどう回避するか。
外界と何かしらの形で触れることです。
ただTwitter(現X)をぼけーっと見るだけでもいい。兎に角、自分以外のもの、外界と触れよう。
外界と触れることで、自分の価値観から一歩離れて、それを俯瞰して見れるようになる。
「ハイキュー!」の「楽してこうぜ!」と同じ。バレーボールの打ち合いをしていくうちにどんどんラリーは速く、苦しくなっていく。しかし、そこで一度ボールを高く上げれば余裕が生まれ、自分たちの持ち味を活かせる。
自分の哲学、価値観の穴を補い、不要な角を削り、より美しくできる。

あ、因みに僕はこのことを「価値観の買い物」と呼んでいます。(タイトル回収)
価値観のデパートに出向き、どの価値がおいしそうか、楽しそうか選び、価値観を買う。
購入した価値観を食べたり、飾ったりして、自分の価値観を清めていく。
なんだか楽しそうでしょ?実際、誰からも指図されない買い物は楽しいものだ。なんせただ「見ているだけ」なのだから。それに、投稿している人も自分の作品を見て欲しいと思っているだろう。正にwin-winの関係。まあ、時間というお金は支払わなければならないけれども。

あ、他人と話をするのもありですよ。というかできるならそっちのほうがいいかも。
他人と話すことで、「自分の価値観」が更に鮮明に見えてくる。みえるというか、ズルズルと「引き出される」イメージのほうが近いかな。
他人に自分の価値観、感性を伝えるには、言葉で「体験」してもらうほかない。
言葉で「体験」してもらうには具体例を上げる必要がある。具象というのは時に抽象を上回る理解を促してくれるものだ。フワフワしている抽象を鮮明で見えやすい具象に「見える化」することで、自分でも気付いていなかった価値観が自分の言葉で更に理解できるようになる。

自分の経験 他人の経験(具体例)
→どう思ったか、どう感じたか(抽象化)
→より分かりやすい例を提示する(具象化)
→1度目では発見できなかった内容の発見 整理(抽象化)
簡単にまとめるとこんな感じ。

自分以外の価値と出逢うのは、すごく怖いことだ。
自分が井の中の蛙である可能性だってあるわけで、今までの価値を全否定されてしまうかもしれない。
しかし、それを乗り越えなければ、「絶対」は掴めない。「絶対」「超人」を掴みたいのなら、貴方は世の虎たちに立ち向かわなくてはならない。
でも、まあ、肩の力を入れ過ぎても視野が狭くなるばかりだ。 折角の「自分」 楽しくいきましょう!
大丈夫、辛くなったら僕のところに来てください。僕が貴方を肯定しましょう。

じゃあまた!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?