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八ツ橋村 全文



【辰也】
 Y県M村からひと山越えた辺りに、通称『八ツ橋村』と呼ばれる村があった。大きさは東京ドーム36個分と聞いていたが、私にはどう見ても両国国技館48個分位にしか思えなかった。
 私は普段、東京都六丈島という大都会に住んでいるので、こんな田舎を訪ねるのは随分と久しぶりの事であった。
「えー、コンビニもないのかよ」
私がその村に一歩足を踏み入れた時の第一声がそれであった。

 今回私がこの村にやって来たのには訳がある。
 ある日一通の封書が我が家のタワーマンションに届けられた。差出人は弁護士口部田難世くちべたなんよと印字されていた。
 封を開けてみると青い便箋に青いインクで文字が書かれていて、非常に読みづらかった。
 しかし、時間をかけてゆっくり文字を辿って行くと、私に遺産相続の権利があるとの事で、至急ご来所下さいと結んであるのが見て取れた。
 元来欲の無い慎ましやかな生活を望んでいる私は、翌日にはいそいそとその弁護士事務所に足を運んだ。
「けっ、薄汚い小さな事務所だなぁ」
 それがその弁護士事務所に足を踏み入れた時の私の第一声であった。里親にしっかりと教育を施されて育った私は常に気品のある言動をする事で評判が高い。
 口部田弁護士はかなり年配の白髪男で、口の周りもたっぷりと白い髭で覆われていた。
 弁護士は私を見ると、嬉しそうな顔をしてソファに座らせ、ドブの様な色をしたお茶を出した。
「で、遺産相続とは、なんすか?」
 私はさっさと用件を聞き出し、とっとと出て行きたかった。部屋はすえた加齢臭に満ち溢れていて私は頭が頭痛になりそうだった。
「八ツ橋村を知っていますか?」
「はっ?」
 いきなりそんな事を訊かれた。知る訳ねえよ。
「あなたが産まれた土地です」
 初耳だった。大体私は物心つかない内から今の大富豪の家に貰われて育って来たのだから。
「その村にあなたと唯一血が繋がった原賀減太はらがへったさんという九十を超えたあなたの双子のお兄様がいらっしゃいます」
「ちょ、ちょい待てよ。九十を超えた双子なんている訳ないっしょ。俺まだ二十歳だし」
「いえいえ、九十を超えたと言いますのは体重の話でありまして、年齢は辰也たつなりさん、あなたと同じでございます」
「紛らわしい、言い方だな、あんた」
「ああすみません。何しろ口下手なもんですから」
「分かったから話を続けろや、このボケ!」
 再び言っておくが、私は至って言動は上品で……。
「減太さんがまもなく亡くなりそうなのです。ヘルニアで」
「そんなんで死ぬのかよ!」
 弁護士はドブのようなお茶をひと口飲んだ。
「はあ、田舎の事ですから。それて、遺産はすべて辰也さんに相続される事になっております。どうかこの遺言書を持って早く村に行って下さい。でないと……、うっ!」
 そこまで言って突然口部田弁護士は胸を押さえてその場に踞った。そしていきなり大量の血を吐き出しその場に倒れ込んだ。
「お、おい、爺さん、どうしたんだよ!」
「いや、これは冗談ですけど」
 口部田弁護士はニヤニヤ笑って起き上がった。
「ウソかいっ!」
「いえいえ、こんな事も充分有り得る程危険なのです。さ、早く、これを持って八ツ橋村へ行きなはれ」

 そんな経緯があり、私は今こうして八ツ橋村に来ている。これから原賀家を訪ねるのだが、その前に通りの茶店を見つけたので、アイスでも食べようかと暖簾を潜った。
 店番をしているお化けみたいな婆さんに「これ頂くよ」と言ってアイスキャンディーを取り出し、小銭を出して渡した。婆さんはその刹那ギロッとした鋭い目で私を睨んだ。
「な、何だよ」と私が言うと、
「十円足りないよ」と言う。
 ふん、ケチな婆さんだ。誤魔化せるかと思ったが銭の勘定だけはしっかりしてやがる。仕方ない、私は渋々十円玉を出して手渡した。
 それはともかく、アイスは美味かった。私は目の前に広がる村の風景と青空を眺めて、これからの事を夢想した。莫大な財産を受け取り、村の娘達を手篭めにし、用が済んだらさっさと島へ帰ってキャバクラへでも通うかと目論んでいた。もう一度断っておくが、私は欲の無い平和で慎ましやかな生活を望んでいる青年なのだ。
 アイスを食べ終え、キャンディーの棒をどこへ捨てようかと、ゴミ箱はどこ?と婆さんに尋ねると、いきなり婆さんは白髪混じりの髪の毛を振り乱し、怖ろしい顔で私を指差し、
「アタリじゃ〜、アタリじゃ〜」と狂ったように繰り返した。
 見るとそうかアイスの棒にアタリと印字されている。けれど私はもうそれ以上アイスを食べる気がしなかったので、その場にアタリ棒を投げ捨て、通りへ走り出た。
 それでも婆さんはしつこくも大声で「アタリじゃ〜、アタリじゃ〜、戻れ、戻るのじゃ〜」と叫び声をあげ、蓬髪を振り乱して追いかけて来ようとする。
 とんでもない所へ来てしまったなと私は後悔した。

 さて、そんなトラブルに見舞われ、方角が分からなくなった私は道に迷ってしまった。原賀家はこの村で一番大きな屋敷なので迷うことはないと思っていたのだが、両国国技館48個分の広さを私は甘く見ていたのかも知れない。細かな路地が迷路の様に入り組んでいる。
 ようやくちょっと広い道路に出た時、後ろから軽自動車が近付いて来て私の隣に停まるとウインドを下げた。
「あなた、原賀辰也さんでしょ?」
 運転していたのはこの村に来て初めて見る若い女。
「そうですが、あなたは?」
 女は黒いサングラスを外すと大きな瞳を輝かせて笑顔を見せた。魅力的でセクシーな女性だ。私はすぐにヤリタイと思ったが、今はまだそれは口に出さないでおく。とりあえずズボンのベルトだけ少し緩めておこう。
「私は、屋良世手代やらせてよ、あなたを迎えに来たのよ」
 私はその名前に惹かれて即助手席に乗り込んだ。
 車は村の目抜き通りを突っ切ると少し小高い丘を上がり、村全体が見渡せる場所で停まった。
「この村はね、大きく分けると原賀家とそれに対抗する新興勢力の飯尾めしを家に二分されてるの。ほら、村の中をうねうねと流れる蛇のようにいやらしい川があるでしょう。その川の東側が原賀家、そして西側が飯尾家の陣地なの。因みに川には八本の橋が架かってていてね。それがこの村の名前の謂れだわ。元々は原賀家のお爺ちゃんが作った『八ツ橋』という名前の焼菓子がこの村の名産だったんだけど、焼き方が硬くてね、年寄りには噛めないから、人気は直ぐに衰えて行ったわ。そこに現れたのが飯尾九央めしをくおうで、柔らかい生の八ツ橋に餡子を包んで売り出したの。それが大人気でね、今じゃ立場が逆転してしまったのよ」
 私は殆ど世手代の話を上の空で聞いていた。何しろ彼女はとんでもないミニスカートを穿き、ムチムチの太腿を曝け出していたからだ。最早、私の興味は生菓子ではなく生太腿の方にあった。
 手を出しても良いのだろうか? いや、出さねば失礼だろ、といろんな事を考えている間に世手代はさっさと車を走らせて、原賀家へと私を連れて行った。

 落ちぶれたとは言ってもそこは村の名士、原賀家の屋敷はなかなか立派な日本家屋であった。
 世手代の案内で奥の座敷に入ると、そこに布団が敷かれ当主の原賀減太が横たわっていた。
 布団はこんもりと大きく盛り上がり、名前とは裏腹に減太は巨体の持ち主だった。
 減太は私を見ると、
「た、辰也か?」と私に呼び掛けた。
「はい、そうです。兄さん」
 私は初めて会う兄の存在に感動していた。流石に体重は九十キロを超えると言うだけあって、その顔は赤みがかってとても病人とは思えないほど、良い顔色だった。果たしてこれで余命幾許も無い状態なのかしらん。
 私は口部田弁護士から預かった遺言書を取り出して見せた。
「おお、そうじゃ、辰也、どうかわしの亡き後、この家の財産を引き継いでくれ」
 減太の喋り方は私と同じ二十歳だと言うのに年寄り臭かった。だが、そこは一先ず、減太の手を握り、私はうんうんと頷いた。
「よし、それでは今晩は村の者達を多勢呼んで宴会としよう。原賀家の跡取りが決まった事を皆に披露するのじゃ」
 減太はヘルニアのため起き上がれないので、布団に横になったまま右手の拳を振り上げた。



【万画一】
 さてさて、このままこの調子で書いていると万画一探偵の出番が無くなってしまいそうなので、ここらでカメラを万画一探偵側に切り替えてお伝えしたいと思いまーす。
 万画一道寸まんがいちどうすんが相棒の白猫ホームスと共に八ツ橋村を訪れたのは、口部田弁護士からの依頼である。
 依頼内容は八ツ橋村で起こる原賀家の遺産相続を巡る連続殺人事件を解決し、辰也の身柄を無事に六丈島に送り返す事とされていた。
「なあ、ホームス、一週間程只で飲み食い出来て、その上お金まで貰えるんだ。こんなうまい話はないぜ。なあ」
「ニャーオ」ホームスも喜んでいる様子だ。
「しかし、なぜまた遺産相続を巡って連続殺人が起こるなんて弁護士さんは思ってるのかな?」
「ニャンニャン」
「ホームス、ネコ語で喋られても分かんないよ、あっはっは」
 万画一探偵は口部田弁護士が用意してくれたタクシーに揺られ、八ツ橋村の飯尾家に入った。
 飯尾家は洋風の大きな建物だった。リビングに通された万画一とホームスは飯尾家の当主・飯尾九央めしをくおうと対峙した。
「あなたが探偵さんですか?」
 九央がそう尋ねたのも無理はない。くたびれたセルの袴にお釜帽のネコを連れたその貧相なもじゃもじゃ頭の小男を、誰も世間に名の知れた名探偵とは思いもしないだろう。
「ええ、そうなんです。あっはっは」
「ニャンニャン」と一人と一匹はすっかり寛いだ様子だった。
「ああ、そうですか、じゃ、とりあえず今晩は、川向こうの原賀家で跡取り襲名のお祝いパーティーがあるので、一緒に行きましょう。村の主だった所は皆一同に集まりますよ」
「そうですか、それは有り難い。ぜひ、ご一緒させてください、ニャンニャン」
 万画一は座り心地の良いソファで丸まって寝転んでしまったホームスの分もまとめて返事をした。
「じゃ、それまでまだ時間がありますから、温泉でも行きますか?」
「あ、温泉があるのですか! そりゃ良いですね。行きましょう。行きましょう」
と万画一は九央と出掛けて行ったので、ホームスは一人、いや一匹、ぶらぶらと村の中を探索する事にした。

 村の中は迷路の様な小径がうねうねと広く複雑に入り組んでいて、知らない人がうっかり足を踏み込んでしまったら絶対迷子になるに違いない、そんな場所だった。
 ところがどっこい、ホームスにとっては格好の遊び場。スイスイスーイと行きたい場所に身軽に足を運び、時には壁伝いに歩いてみたり、屋根の上に飛び乗ったりとやりたい放題であった。ホームスは決して迷う事などないのであーる。
 暫くすると、ホームスはちょっとした広場を見つけ、そこに黒猫とトラ猫が日向ぼっこをしている姿を発見した。
 ホームスは彼らに近付き、お互いに肛門の匂いを嗅がせ、敵意の無いことを知ると、直ぐに打ち解け合い、村の情報収集に取り掛かった。

 一方、万画一は温泉にゆったり首まで浸かり、そこで知り合った寺の住職、穴多堕亜蓮あなただあれん和尚と九央を交えて三人で世間話に花を咲かせていた。
 話題はもっぱら新しい原賀家の当主として現れた辰也の事であった。
「しかしなあ、原賀家のあの焼菓子はもう終わりじゃろ」
「そうですねぇ、みんな私んところの生菓子が大好きですからね。それにしても、あの減太に双子の弟がいたなんて、私は知らなかったです」
「ああ、あれは産まれた当時に、わしが他所におやりなさいと指図してやったのよ。和尚としてのアドバイスじゃ」
「そうだったんですね。まあ確かにあの家に双子を育てるだけの経済力は無かったすからね」
「先代の原賀伊帯はらがいたいさんも、連れ合いの華結かゆいさんも大変苦労されて亡くなられた。今度また減太が病気じゃと聞いて、私が辰也を呼び寄せる様に教えてやったのよ」
「ああ、和尚さんのお口添えがあった訳ですね」
「これから辰也がなんとか原賀家を立て直してくれるといいんじゃが……」
 二人の会話をなんとは無しに聞いていた万画一だったが、ひとつ質問をしてみる事を思いついた。
「あのう、ちょっとお伺いしてもよろしいですか?」
「ええ、何なりと」
「はあ、その、焼菓子を売られてる原賀家と生菓子の販売を始めた飯尾家の間では、敵対する様な関係なのでしょうか?」
「あ、いやいや、それはありません。少なくとも私の方は両方売れてくれれば、それが一番だと思っていますので」
「そうなんですね。それは原賀家でも同じお考えなのでしょうか?」
「さあ、それはどうだか、わかりませんが……」
 すると和尚がこう言った。
「原賀家の先代は、焼菓子が売れなくなった原因を生菓子のせいだと考えていたかも知れぬぞ」
「なるほど、減太氏もそうだったのでしょうか?」
「あの男は、生来の怠け者じゃ」和尚は苦々しく言った。
「商売気がまるでなくてのう。遊びまくりじゃ。あの何て言ったかな、あの女」
「屋良世手代さんです」
「そうそう、その女にゾッコンで商売そっちのけで振り回されておる。ふぁっふぁっふぁ」
 最後のふぁっふぁっふぁは和尚の笑い声である。
「その女性は誰ですか? この村の人ですか?」
「いやあ、都会の女ですよ。万画一さん」九央が説明する。
「数年前に減太が連れて来て、それからこの村に住み着いているのですが、素性の知れない女です」
「減太さんの奥さん、あるいは恋人という訳ではないのですか?」
「でもないみたいです。村のあちこちの男と遊んでいますからねぇ」
「なるほど、一度お会いしてみたいものです」
「今晩、原賀家のパーティーに行けば会えますよ」
「そうですか、そりゃ楽しみですな」
「和尚さんも行かれるのでしょう? 原賀家のパーティー」
「ああ、そうじゃな、わしにも招待状が来ておった」
 温泉にゆったりと浸かりながらそんな会話が交わされたが、この後、あんな怖ろしい事態が待ち受けているとは、この時は誰も想像だにしなかった。


 原賀家での宴会は午後七時から行なわれた。五十畳はあるかと思われる縦長の和室に、次々と村の者達が集まって来て腰を据えた。
 台所では多勢の女達が割烹着姿で大わらわな状態である。
 酒や焼酎、ビール、ウイスキーが振る舞われ、焼き魚、煮物、汁物、海の物、山の物がそれぞれ小鉢に分けられ、各人の前に置かれた膳に配置される。
 一渡り見知った顔が並んだ頃に、当主の減太が上座から皆に挨拶をした。持病のヘルニアを耐え、なんとか宴席まで駆け付けたのであった。
「今日は、皆さん、お忙しいところ、お越しいただき、誠に感謝致します。もうすでに、お耳にしている事とは存じますが、この度、原賀家は新しい当主として、私の双子の弟である辰也に第代わり致します。今後ともご指導の程宜しくお願い申し上げます。今夜は形ばかりではありますが、宴席をご用意させて頂きましたので、お時間の許す限りお寛ぎくださいませ。では乾杯の音頭を村長、よろしくお願い致します」
「はっ、では、僭越ながら……」
 と立ち上がったのは八ツ橋村の村長綿舎偉ヰ念わたしゃえらいねんである。村長は、
「思い起こせば、えー、何でんなぁ、あれはいつやったかな……、わすれもせーへん……」と、語り出したのであるが、
「かんぱ〜い!」と、まだ村長が話してる最中に誰かが大声を出すと、皆はそれに従い、いぇ〜っと歓声を上げ、一斉に飲み食いが始まった。誰も村長の話は聴いていなかった。
 万画一探偵は末席でみんなの様子をゆっくり観察していた。ホームスは土間の片隅で他の猫に交じってご馳走のおこぼれに預かっている。
 上座には、新しい原賀家の当主となった辰也氏が流石に神妙な佇まいで畏まり、その横で巨漢の減太が、さも愉快そうに笑っている。そしてその隣にいるのがどうやら謎の女・屋良世手代らしい。
 なるほど、あの美貌ならば、この村の若い衆の間では引っ張りだこになるに違いない。しかも。かなり露出度の高い衣装で、さらにアルコールが入ると、乱れた肢体を顕にする。
 一方、別の席では、温泉で会った住職・穴多堕亜蓮和尚、そして、飯尾九央とその夫人である久枝くえさん、一人娘の来栖らいすさんと並ぶ。他にもたくさん人は居たが、ま、後はその他多勢としときましょう。
 あと、ここにはいないが、村の入口近くで茶店を出している婆さんがいて、本名は誰も知らず、みんな濃茶の婆こいちゃのばあと呼んでいて、何かと人騒がせな婆ぁとして名高いという。
 ま、これでザッと村の人間は総浚いしました。後は野次馬やのら猫が多くいるとの事である。なのでホームスも退屈はしないだろうと思う。
 さて、宴もたけなわとなって、万画一は辰也氏に挨拶に向かった。
「はじめまして、僕、万画一と言います」
「はじめまして、原賀辰也です」
「辰也さんはこれから原賀家の当主として、この家に住まわれるのですか?」
「誰が住みますかいな、こんなド田舎!」
「えっ?」
「あっ、すみません。つい本音が出てしまいました。六丈島の家を片付け次第、こちらに居を構える予定です」
「あ、そうなんですか、それは大変ですね」
「万画一さんはこの村の方ですか?」
「いえいえ、僕は東京の大森に住むしがない探偵です」
「えっ? そんな方がどうしてこの村へ?」
「あ、いえいえ、別に深い理由はございません。今は飯尾家の方にご厄介させて貰ってます」
「あ、そうなんですか、ではその間よろしくお願い致します」
「はい、こちらこそ」
その後、万画一は減太や世手代にも挨拶を交わした。しかし、彼等は胡散臭そうな顔で万画一を見るばかりなので、そうそうに会話を切り上げた。
 ホームスは何をやってるかなと土間を覗き込むと、他の猫達と身を寄せ合って大欠伸をかいて丸まって皆で午睡中だった。
 仕方なく、元の席に戻って手酌でつまみを突いてみたりしていると、突然、大きな声が聞こえた。
 二、三人の娘がキャーッと声を上げてドタバタと走り出す。
 何だろうと思ってそちらを見ると、穴多堕亜蓮和尚が喉を掻き毟り、口からごぼごぼと真っ赤な血を溢れさせ、呻き声をあげている。
 そして身体をピクピクっと痙攣させたかと思うとドサリとその場へ倒れ込んだ。
 周囲の者が大騒ぎする。
「医者だ。医者を呼べ!」と誰かが叫ぶ。
 すると部屋の片隅から「わしは医者じゃぞ」と立ち上がる者がいた。
「お、薮さん、来てくれ! 和尚が倒れた」と手招きされる。
 薮医師やぶいしが駆け付けた時、すでに和尚はもう既にこと切れており、手の施しようも無く、薮医師は直ぐに「ご臨終です」の言葉を口にした。
 皆は驚愕し、一斉に騒ぎ出すものだから、その後の顛末は大変だった。
 とりあえず、派出所から巡査が駆け付け、現場を保存し、「誰も動くな」だとか、「何も手を触れるな」だとか、「怪しい者はいねえか」とか「泣く子いねぇか」だとか触れ回った。
 ド田舎と言えども八ツ橋村は東京のはしくれ、本庁から駆け付けたのは万画一探偵お馴染みの小泥木警部であった。
「いや、小泥木さん、やっとこれで助かります」
「おや、万画一さんじゃないかね。こんな所で何をやっておられるんですか?」
「いやね、これにはかくかくしかじか……、それより、ずっと二時間も足止め食ってるんです。ここでは私は余所者扱いで、怪しい目で見られてるんです」
「ああ、そうでしたか、詳しい事はまた後でお聞きするとしまして、先ずはガイシャを見ましょう」
「はい、案内します。こちらです」
 現場はそのままの状態で、堕亜蓮和尚もうつ伏せで倒れたままになっている。すぐに鑑識課員達が周りを取り囲み、慎重に毒物等を捜索を始めた。
 検視官が現れて死体を診る。やはり毒殺と判断される。和尚が倒れる直前に呑んでいたものが葡萄酒だと判明した。
 その葡萄酒について捜索が始まった。「どの瓶か」「誰が持って来たか」「他に呑んだ者はいないか」「グラスはどれだ」「泣く子いねぇか」等々。。。

 それから警部は、別室において一人一人順番に事情聴取を行なう事にした。もちろん万画一とホームスもそれに同席したが、調査は深夜遅くまで続けられた。


【辰也】
 さて、ここで再び、私、辰也が語り手を引き継ぐことにしよう。
 八ツ橋村にやって来てそうそう大変な事ばかりが起きている。
 相続分だけ貰ってちゃっちゃと六丈島へ帰ろうと思っていたのに、双子の兄がとんでもないデブでヘルニアで死にそうだからと、いきなり当主にされてしまった。
 ただちょっと屋良世手代というお姉さんは色っぽいので、ここにいる間になんとかならないかなとは思っている。ちよっとやらせてよとでも言えば良いのだろうか?
 それはともかくとして、宴会が行われて、その最中に誰だかよく知らない爺さんが口から血を噴いて死んじまった。
 どうせまたあのクチベタ弁護士みたいにウソだろと思っていたら、今度は本当らしくて、大騒動になってびっくりだ。
 万画一とかいう変な探偵が現れたり、本庁から警察がどっとなだれ込んで来やがって、事情聴取されたり、いろいろと慌しい。
 一体、この村、どうなってるんだ?
 さて、警察の方々は今もこの原賀家の一室であーだこーだ議論をしている様だが、こっちはそうそう付き合ってもいられないので、離れに部屋を用意して貰い、寝具を敷いて床に就くことにした。
 田舎の事だけあって、ここも結構部屋数は多い。元々は農業も手掛けていて倉庫まである。まだその当時の名残りもいくつかあって、私が普段目にしない珍しい物も数多く残されていた。
 それにしてもこんなド田舎の夜は何だか薄気味悪い、殺人があったからという訳ではないが、寝苦しい。
 それでも部屋の明かりを消して布団に包まっていたらうつらうつらとして来た。
 そして、あれは、何時頃の事だろう。ふと障子越しに窓の外を見ると、ふわふわとした二つの灯りがゆっくりゆっくり通り過ぎて行く。
 うわっ、お化けだ、と思って一旦は布団に潜ってみたが、やはり気になって、恐る恐る、もう一度外を覗いてみる。
 障子を細く開けて外の庭を見ると、何と不気味な! 腰の曲がった背丈の低い白髪頭の老婆が二人、手に提灯を持って、それをゆらゆら揺らしながら、池のほとりを歩いて行くのだ。
 暫くその様子を見ていると生垣の隙間から裏通りの小径に出て行く、気になって私も大急ぎでコートを羽織り、その後を追ってみる。
 二人の老婆はよろよろと曲がりくねった細い路地を右に左にゆっくり進む。
 どこへ行くのだろう?
 そして十五分も過ぎたであろうか、二人の老婆は少し開けた広場に出た。横には小さな小川が流れて水の音がさらさらと聞こえる。空には満月が出て、月明かりが老婆の姿を映し出す。私は物陰から様子を伺う。
 すると道の左側から、また二つの灯りがふわふわとこちらに向かって来る。見ているとそれも二人の老婆だ。老婆が四人。
 と、また右の方から、それと同時に奥の古道からそれぞれ二人連れの老婆がまたも、ふわふわと提灯の灯りを漂わせ広場に集まる。合計八人の老婆!
 老婆達は集まると円陣を組む様に向かい合って中央に提灯を掲げると、中の一人が「見回りご苦労様!」と嗄れた声を出し、その他の者もふぉーい、ふぉーい、と掛け声を合わせた。
 しかも八人の老婆は全員同じ顔!同じ姿!
 そして何事も無かった様に隊列を組み、あはは、あははと歯の無い口を開けて大笑いしながら、川の上流に向かってよろよろと歩き出した。その隊列は一歩進む毎に姿が薄くなり、とうとう先頭の老婆が闇に消えてしまうと、後の者も次々とその姿を消していくのだった。
 なんじゃこりゃ!
 悪い夢でもみてるのかしらと、私はとっとと帰ることにした。
 そこではたと気が付いた。ここはどこだ?
 右に左に思いつくまま進んでみたが、帰り道が分からぬ。私はまたもこの迷路に嵌まり込み、帰り道がとんと分からなくなった。
 ウロウロと同じ様な通りを二度三度回っていた私の目の前に、今度は突然、白猫が現れた。
 うわっ、右と左で目の色が違う、不気味な猫だ。
 怖がる私に白猫は、ニャオと一声かけると私の前を歩き出す。着いて来いと言わんばかりだ。
 釣られて私も後に続いたもんだが、どこに連れて行かれるやら分かったもんじゃない。ここらでバッくれてやろうと横道に逸れる。
 するとフーッと怒りの声を出し、白猫が私を追いかけて来て、飛び掛かると前脚でぽかぽかと私の顔面を叩く叩く。
 そしてまた地面に飛び降りると、ニャッとさっきよりキツイ調子で着いて来いと一鳴きする。
 仕方ない、言われるままにすごすごと後に着いて歩く。
 するとやがて、出て来た所の屋敷の裏庭の生垣に出た。助かった。道案内は正しかった。疑って悪かったよとお礼を言おうとすると、白猫はさっさと屋敷伝いに軒下を通って消えてしまった。
 ま、変な夜だが仕方がない。寝るか寝るかと私は部屋に入り込み、再び布団に潜り込んだ。

 翌朝、遅く起きて、兄の減太の様子を見に行く。内心、早くくたばってくれねぇかなと期待していたのだが、割りとピンピンしてやがる。がっかりだぜ。
「お兄さん、おはよう御座います」
「おう、辰也か、昨夜はよく眠れたか?」
と訊くので、私は深夜に見た老婆八人組みの話をしてみた。
「ああ、それはこの村の守護婆様じゃよ」
と、減太は平然と言う。
「何よ、守護婆様って?」と、横から屋良世手代が口を出した。
 それにしてもこの女、どこで寝起きしてるのだろう? まさかこの部屋で減太と……?
 いや、こんなヘルニア野郎にこの精力旺盛な女の相手が務まる訳がない。それにしても朝から妖艶な格好をしてやがる。
「まあ、言ったらこの村の守り神みたいなものよ」
「守り神? あの人達は人間ですか?」
「う〜む、それがよく分からんのじゃよ。言い伝えみたいなものだしな。でも、辰也それを見たのならお前は幸福者じゃ。良かったのぉ、ひっひっひ」
 何が幸福者だよ、変な笑い声出しやがって。
「ところで、昨日の宴席でお爺さんが亡くなられた事件、犯人は捕まりましたか?」
「いや、それはまだ分からんみたいだな。葡萄酒に毒が入れられていたと聞いた。あの時は人がたくさん入り乱れていたからな、誰にでもチャンスはあったさ」
「何だか、あの警部といい、もじゃもじゃ頭の探偵といい、私を疑ってる様な目で見るのよ。そんなに私って怪しいかしら」
 と、屋良世手代が言う。
 たぶん、怪しいじゃなくて妖しいんだろうけど、ま、ここは一先ず黙っておいた。
「それはともかくな、辰也。今日は川向こうの飯尾家に挨拶に行っておけ」
「飯尾家ですか、ああ昨夜来てた、あの紳士ですか」
 私はあの紳士ヅラしたイケスカない野郎と言おうとしたのだが、そこは抑えておいた。
「そうだ。今はあの人がこの土地の名士だ。生菓子の販売でたっぷり儲けておる。昼時に行けばたんまり飯を食わせてもらえるぞヒッヒッヒ」
 こいつ、人の家のメシを食って、こんなにぶくぶく太ってやがるのだなと私は思った。
「それなら、私が車で案内するわ」
 屋良世手代がそう言ったので、私は即座に頷いた。これはチャンスだ。ヒッヒッヒ。

 そんな訳で、私は屋良世手代の運転する軽自動車の助手席に乗り込んだ。世手代は今日もまたレザーのミニスカから太腿をあらわに露出させている。これでは触って下さいと言ってる様なものだ。黄色の革のショルダーバッグもよく似合っていた。少し邪魔だけど。
 そんな私の思惑とは裏腹に世手代の運転は細い路地を右に左に荒っぽく揺れ動く。これならドサクサに紛れて胸に手が触れても言い訳が出来る。
「何で和尚が殺されたと思う?」
 突然、世手代は昨夜の殺人事件の話をし出した。
「いや、私はまだ、この村に来たばかりですから、そんな事はとんと……」
 世手代は私の返答などお構いなしに一人勝手に喋り続ける。
「あの爺さんはいろんな事を知り過ぎてたのよ。第一あんたの存在だって村の多くの人達は知らなかったんだから。あんたを呼び寄せるように仕組んだのはあの爺さんだって話よ」
 それは知らなかったが、そんな事はどうでもよかった。車の振動に合わせて揺れる世手代の巨乳が気になって仕方がない。
「さ、着いたわ」
 気がつけば洋風の立派な館の前に車は横付けされている。しまった、頭がくらくらして、触る暇も無かった。まあ、帰りがあるか。
「ここが飯尾家よ。素敵なお家でしょ。生菓子御殿とも言われてるわ」
「生菓子御殿?」
 ああ、確か生菓子を売り出して一儲けしてるという話を聞いたな。
 あの気位の高そうな偉ぶったおっさんだったな。いい男ぶりやがって、今日は一発何かぶちかましてやろうかな。私はそんな殊勝な心持ちで飯尾邸の玄関ドアに向かった。あれ? 何だ?
 屋良世手代がポケットからドアの鍵を取り出し、勝手に中に上がり込んだぞ。
「あれ? 何で世手代さん、こちらの家の鍵を持ってるんですか?」
「あら、私はこの村の大抵の家に出入り自由にさせて貰ってるのよ。ここも我が家みたいなものだわ」
 驚いた。何だ、この女!
 勝手に入り込んだ世手代はサッサと廊下を突っ切り、ダイニングキッチンのドアを開ける。
「あら、おはよー、久枝さん、お昼の用意?」
「あ、せっちゃん、おはよ。そうなのよ。昨夜は大変だったわね」
「そうなのよー、全く、本庁のしかつめらしい警部が偉そうな顔で取り仕切ってさ」
 世手代は勝手知ったる他人の家か、玉子焼きをひとつ手掴みすると口に放り込んだ。
「あら、そちらの人は、確か……」
「あ、この子ね減太の双子の弟で辰也。全然似てないでしょ」
 と、突然この子扱いでしかも呼び捨てかい!
「はじめまして、辰也です。昨夜はご挨拶も出来ずに申し訳ありませんでした」
 昨日の宴席に久枝も来ていたのだが、殆ど顔も見ずにてんやわんやしていたのだ。
「あんなことがあったのだから仕方ないわよ。いらっしゃい、飯尾の家内です。よく来てくれました。ゆっくりして行ってね」
 飯尾の奥さんは四十過ぎくらいのまあまあな美人だ。感じは悪くない。
「ご主人は?」世手代が訊く。
「書斎にいると思うわ。もうすぐお昼だから、それまでお相手してやって」
 と言われて我々は書斎に向かうのだが、世手代にお相手してやってと言うのを聞くと、妙な事を想像してしまう。
「は〜い、パパ」
「お、来たか」
 書斎を開けると二人は気軽な調子で呼び掛け合った。う〜む、この二人の関係も気になる所だ。
「おっ、辰也くん、いらっしゃい。よく来てくれたな」
「お邪魔致します」私は丁寧に頭を下げた。
「まあまあ、そう堅苦しくせずに寛いで、さあさここに座って」とソファに案内される。
 書斎と言ってもなかなか広く、沢山の蔵書に囲まれて大きなデスク。その前に来客用のソファがある。
「昨夜は大変だったね。この村へ来て初日だと言うのに」
「いや、確かに、驚きました」
「いやいや、あんな事は村始まって以来じゃないかな? 少なくとも私がここに来て以来、警察が駆けつける様な事件は初めてだ」
 飯尾九央は私の向かいのソファに腰掛けた。何故か世手代はその横に座り、九央にしなだれかかる。
 クソッ、離れろ、私は心の中で悪態をついた。
「あのもじゃもじゃ頭の探偵さんもこちらにお世話になってると昨夜お伺いしましたが……」
「ああ、万画一さんだね。彼は昨夜から警察の人と行動してるみたいで、こちらには帰って来てませんよ。まだ原賀家にいるのじゃないですか?」
「あ、そうですか。それは気が付きませんでした。捜査は何か進展があったのでしょうか?」
「いやぁ、それは分からんなぁ。犯人は昨夜あの家にいた者に違いないのだろうがね。全く誰が何のためにあんな事をしたのか……」
 苦々しくそう言う九央氏であったが、この男は一癖も二癖もある男の様だなと私は見抜いていた。
 事件の事を話しながらも、右手で何気なく世手代の身体を撫で回している、
「そろそろお昼だって、奥様がお呼びよ」
「おお、そうかい、それじゃ、辰也くんも召し上がって行くが良い。ゆっくりしていってくれ」
 そう言って私たちはダイニングへ戻った。

 ダイニングへ戻るともう一人、この家の住人がいた。高校生くらいの娘で、来栖ライスというらしい。目元が母親に似て、なかなか可愛い。良かったら付き合えないかなと心からそう思った。
 そうして、飯尾邸で主人の九央、妻の久枝、娘の来栖、そして、世手代と私の五人は豪勢なランチをたんまりと戴いた。
 来栖はあまり喋ることなく、少しぼーっとしていた。少しオツムの回転が遅いのかも知れない。これはちょっと口説けば簡単に落とせるタイプだ。それに久枝奥さんも素敵だ。熟女の魅力とでも言うべきか、彼女の手料理は美味しかったが、彼女自身も食べたら美味しそうだ。そんな風に思ったものだが、まあそんなに急ぐ事もあるまい。今は世手代狙いで行こう。
 ゆっくりとランチタイムを過ごし、その後、館の裏庭でゴルフの真似事をして遊び、いたって飯尾家の人々は私に友好的に接してくれて、非常に楽しいひと時を過ごした。
 そして、帰り際には沢山の八ツ橋名物の生菓子を手渡され、皆さんによろしくと見送られ、世手代の車に乗り込み、飯尾邸を後にした。
 私は帰り道に意を決して世手代に「やらせてよ」と言ってみたが、「ハイ、何?」と返事をされて、「あ、いや、何もです」と答え、結局、手出しも出来ずに原賀家へ戻って来た。



【万画一】
 さてさて、ここで再び、カメラは万画一探偵に切り替えて話を進めて参りましょう。
 原賀家の一室を借りて捜査本部が置かれ、事件の状況を細密に改められ、葡萄酒に毒物を仕込んだ可能性のある者のリストを作成した。
 しかし、それは厳密に考えると、昨夜、あの部屋、または調理場にいた全ての人間に可能性があると言わざるを得ない。しかも、外部の犯行であっても不思議ではない。それほど、多勢の人が行き来していたのだ。
 小泥木警部一行はその時、原賀家にいた者全てから事情聴取を行い、全員の行動を把握した。その中には万画一探偵さえも含まれている。
 では、和尚を殺害する動機を持った人物はいないかと言う事も話し合われ、村の人間関係を表す相関図なども作成された。
「やはり、どう考えても、原賀家の新しい跡取りとして辰也氏が迎えられた事と、この殺人が何かしらの因果関係があるとしか思えませんな」
「でも、しかし、何故、和尚さんなんでしょう?」
「あの人には身寄りはいないそうですね。あの人を殺した所で誰が得をするのでしょう?」
「さあ、果たしてこれは、和尚さんを狙った殺人なのでしょうか?」
「鑑識の結果、毒物はひ素と断定されたようですが、ここの農家にはどこも倉庫にひ素を保管している様です。つまり、誰にでも手に入る」
「ここの銘菓はもともと原賀家の焼菓子だったらしいのですが、今は飯尾家の生菓子が主流らしいです。その辺の主権争いも何か関係してますかね?」
「そもそも八ツ橋村の八ツ橋の名の謂れ、ご存知ですか?」
「いえ、何ですか?」
「村に流れる川に八つの橋があるからでしょう?」
「いえ、それだけではないらしいです」
「と、言いますと?」
「元々は落武者が八人、この村に流れ着いた事から始まるらしいです」
「落武者ですと!」
「平家ですか? 源氏ですか?」
「いや、そんな有名な武士では無く、大阪の方から流れ着いた浪花なにわ家というらしいです」
「聞いたことないですなあ」
「ええ、浪花武士と言われるローカル武士らしいです」
「浪花武士ですと! もしや人情物のお話ですかな?」
「で、その落武者が何か?」
「村に辿り着いた時、腹ペコらしくて、メシをくれーと叫んだらしいのですが、村の者はそれに応じなかったらしいです」
「なんと、それは本当ですか?」
「いや、伝説ですから、真偽の程は……」
「それで亡くなった武士達を供養する意味で八つの橋が架けられたらしいです」
「何故、橋を?」
「いや、当時は橋がない事を理由に断ったとの噂で……」
「ほう、それはまた……」
「当時、村に百歳を超える神様と呼ばれる婆様方が八人いらして」
「ほう、長寿の村だったんですな」
「その婆様方がそれぞれ橋を架けるように指示をした、とか」
「ふむふむ」
「それから、村は平和な時代に入ったとか……」
「へぇ」

 以上の会話は、小泥木警部とニコラス刑事、そして万画一探偵の三人の会話である。誰がどのセリフなのかはテキトーにお考え下さい。

 そんな捜査会議風昔話が交わされて時間も深夜になり捜査陣達もうつらうつらとその場で雑魚寝をしていた。
 そこへ、周囲を巡回していた刑事が突然、大声で駆け込んで来た。
「来てください。濃茶の婆が殺されました!」
「何っ!」
「濃茶の婆と言いますと、あの村の入口付近にある茶店の婆さんかね?」
「そうです。餅を喉に詰まらせての窒息死です」
「え?」
 とにもかくにも、小泥木警部達三人は茶店に急行した。
 茶店の奥に居間があり、そこで濃茶の婆は倒れていた。すでに鑑識と検視官が現場を捜索していた。
 室内は散らかっていたが、それは荒らされた訳ではなく、元から掃除をしていないだけだった。その部屋の中央で婆は倒れている。目をかっと見開き、大きな口を開けて天を仰いでいる。
「どうやら物盗りの仕業ではないらしいな」
「推定死亡時刻は何時頃でしょうか?」
 ニコラス刑事の質問に検視官は答えた。
「おそらくは昨夜十二時前後だと思われます」
「なるほど、その時、誰か、ここを訪ねた者がいる様ですかな?」
「人が訪ねて来た形跡は無さそうです」鑑識係の一人が答えた。
「それだと、事件ではなく、婆さんが一人で餅を食べていて喉に詰まらせたという、事故の可能性が大きいですね」
「そうかも知れん。だが、昨夜の事があり、タイミングが良すぎる。事故と事件、両方の可能性を考慮して捜査に当たろう」
 警部がそう言った時、万画一が何かを発見した。
「あっ、これは?」
 老婆が片手に握っていたものは、八ツ橋の生菓子であった。
「すると、喉に詰まらせたのもこの生菓子である可能性が高いですね」
「う〜む、この村では、こんなもの容易く手に入るからのう。とにかく、指紋や足跡、目撃者情報など、詳しく調査してくれ」

 再び、原賀家に戻った警部達は、朝食件昼飯を食べながら、意見交換をした。
「和尚に濃茶の婆、一見、辰也の原賀家襲名とは無関係にも思えるが……、万画一さんはどの様にお考えですかな?」
「はあ、実は辰也氏の遺産相続を巡って殺人事件が起こる可能性を指摘した人物がおりまして」
「え、それは誰なんですか?」
「この村の外部の方です。つまり僕の依頼人でして、殺人事件を解決して、辰也氏を無事に帰るのを見届けるのが今回、僕がこちらに来た理由なんです」
「やはり殺人は遺産相続と関係あるのだとその人は言っておられるんですな」
「それはどうだか分からないのですが、辰也氏がこの村に戻ったことをきっかけに殺人が起こる可能性を示唆していたと思えるのです」
「万画一さん、その人が誰なのか、お教え下さいませんか? その方に訊けばせめて動機が判明するでしょう」
「それは僕が調査してみます。すみません警部さん、僕には守秘義務があるので、依頼人の事は打ち明けられないのです」
「そうですか。ではやむを得ないですな。そこはあなたの立場を尊重しましょう。でも知り得た事実はこちらにも情報としてお伝えくださいね」
「それはもちろんです」


【ホームス】
 一方ホームスは村で知り合った猫達と一緒に村の迷路を走り回っていた。猫の世界にもボスがいるとの事でホームスはそのボスに会うため、通称『アジの干物』と言われる迷路の奥地までやって来た。
「ここら辺は廃屋が多くてな。普通の人間では辿り着けん場所じゃよ」猫のボス・ユウコは言った。
 ユウコはかなりの老猫で茶色の毛をボサボサにしていた。
「はじめまして、ワタシはホームスです」
 もちろん会話は猫語でやり取りしているのであるが、ここは便宜上日本語に翻訳してお送りしています。
「なかなかお前さん、見事な毛並のオッドアイじゃな。しかもなかなか頭が切れると見た」
「いえいえ、とんでもございません。まだまだ駆け出し者の身です」
「うむ、そういう謙虚な姿勢が良かろう。こちらに来るが良い」
 ユウコはホームスを自分の部屋へ案内した。
「あ、これはたくさんのアジの干物ですね」
「そうよ。ここは元干物置場だったのよ」
「元と言いますと、今はもう違うのですか?」
「ああ、ここを管理していた濃茶の婆という人間が死んでしまったからな。でも蓄えがこれだけあれば、当分は心配要らない」
「この村で昨日今日と人間が死んでいる様ですが、何か心当たりはないでしょうか?」
「うん、濃茶の婆はともかく、和尚の方は殺されたな。しかも人違いじゃ」
「人違いとは?」
「本当は飯尾九央を狙って出された毒入り葡萄酒のグラスが直前になって入れ替わった」
「犯人をご存知なのですか?」
「それは知らん。だが、和尚が九央のグラスを横取りしたのを見てたのよ」
「ボスも昨夜は原賀家に来てたのですか?」
「ああ、飯を漁りにな」
「そうでしたか。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」ホームスはペコリと頭を下げた。
「ほっほ、そんな事は気にするでない。猫は気ままで自由なものじゃ」
「ありがとうございます。しかし、何故、九央が狙われたのでしょう?」
「それはな……」
「はい」
「それはな……、うっ」
「ボス、どうしました?」
 その場にユウコはうつ伏せに倒れた。
「ボス、どうしました? 誰か、誰か〜!」とホームスは一瞬、慌てたが、次の瞬間、ユウコはグーグーといびきを掻き始めた。
「なんだ、寝たのか」
 仕方なくホームスは、ボスの家を後にした。
 元の道へ戻ろうとしたホームスは人間の足音を聴き、そっと陰に隠れた。
「ほぉ、あの人は確か……」
 その人物は『アジの干物』の家屋の中に消えて行った。


【小泥木】
 その日の夕方、原賀家の小泥木警部あてに一本の電話がはいった。
「あ、警部さんですか? 私、飯尾です」
「飯尾さん、九央さんですか? 何かありましたか?」
「はい、実は私宛に怪文書が届いたんです」
「何? 怪文書ですと!」
 その場にいた者が全員、警部の声に驚き、腰を上げた。


【辰也】
 さて、飯尾家から帰って、まだ夕飯までにはたっぷり時間があったので、私は原賀家の新当主として、八ツ橋焼菓子工場でも視察してみるかなと思い立ち、また世手代に案内をお願いしてみたのだが、彼女も何か別の用があるらしく、近くだから歩いて行きなさいよと、素気なく突き放された。
 ふん、ちくしょー、とさっぱりやる気を失ってしまったのだが、言い出したものは仕方ないと思い、Tシャツ姿でぶらぶらと歩いて原賀家を出た。
 工場では数人の職人達が機械を操って焼菓子を生産していた。工場長らしきおじさんが出て来て、製造工程を見学させて貰ったのだが、ちっとも興味が湧かなかった。
 一通り見終わった後で、試食として、焼菓子を出されたのだけれど、カチンカチンで硬くて食えたもんじゃない。 
「は? こんなんじゃダメだ。マカロンとか、クレープでも作れよ」と私はほざいてみた。
 私のいい加減なボヤキを工場長は本気にしたみたいで、「はっ、では早速、研究して参ります」と工場の奥に引っ込んでしまった。
 まあ私としては相続してしまえば、こんなボロ工場はさっさと売り飛ばして、引き上げるつもりでいたので、気にする事は無かった。
 工場を後にして、帰るにはまだ早い気がしたので、村を一回りして手頃な娘を見つけたら遊ばせて貰おうかなと疾しい気持ちで村の通りをほっつき歩く事にした。
 道に迷ってもまたどうせ、あの白猫が助けに来てくれるだろうと軽い気持ちでふらふらと彷徨った。
 小径を曲がり、また別の小径を曲がり、川に出ると橋を渡る。さてさて途中にいろいろあって、ここらは村のどの辺りかなと思い始めた時、どこかでタタタッと足音が聴こえた。ん? 何だろう? そちらの方だな、行ってみる。またタタタッと音が聞こえる。よし、そっちか、捕まえてやると角を曲がる。と、突然目の前が真っ暗になる。
 あれ、何だ? 何か布袋の様な物を頭に被された。目の前が見えない。と、今度は紐の様な者が身体に巻き付く。あらら腕が動かなくなる。足の方にも紐が巻き付く、あらら、あららと思う間もなく、口の辺りをハンカチかタオルみたいなもので塞がれる。何か強烈な薬品の匂い、あああ、意識が遠ざかる。身体が言う事を聞かない。誰かの腕に崩れ落ちた。
 それからどれ位の時間が経ったのか、気が付いた時には、手足が縛られ、頭から布袋を被されたまま、私は冷たいコンクリートの床に転がされていた。どこか知らない建物の中らしい。
 口の周りを固くタオルか何かで縛られていて、声が出せない。助けてぇと、大声で叫んでみるのだが、もごもごするだけで、声にならない。
 手足をバタバタと動かしてみる。身体をゴロゴロ転がしてみる。しかし、身体を縛ったこの紐はどこか大きな柱にでも括り付けてある様で、その場を離れることも、立ち上がる事も出来ない。
 暴れ疲れて、横たわったままでいると、どこかで引き戸が開けられる音が聞こえて、足音がこちらに近付いて来た。
「気が付いたかね」
 誰の声だ? ボイスチェンジャーでも使っている様な電子的に加工された声。
「んんんん……」お前は誰だ? と言ったつもりだが言葉にはならない。
「足掻いても無駄だ。安心しろ、殺しはしない」
「んんん……」
「いいか、よく聞け、遺産相続を放棄してこの村を出て行け。さもないと、その時こそ命はないぞ」
「んん……」
「分かったか?」
「ん……」仕方なく私は何度か頭を動かし、頷いた。
「さて、悪いが、もう少しこのまま眠ってて貰おう」
「うぅ〜っ」
 またあの強烈な薬品の匂いが口の周りから呼吸する鼻に伝わり、意識が遠のいて行く。
 ああ、まったくもう!
 こんな村……、来るんじゃ…….無かっ……た……。


【万画一】
 さて、時間を少し巻き戻すとしよう。
 小泥木警部と万画一探偵は飯尾家のリビングに腰を据えて、飯尾九央が受け取ったという怪文書を前にして腕組みしていた。
「しかし、一体だれが、こんな……」
 警部は今日何度目かの同じ言葉を繰り返した。
「九央さん、ここに書かれている事は本当ですか?」
「いや、滅相もない、万画一さん、そんな事言わんで下さいよ。根も歯もない出鱈目です」
 怪文書は次の様に書かれていた。
『オショウヲコロシタ、クオウ、ジシュシナケレバ、セケンニ、イイフラス』
 定規で引いた様なカタカナ文字が並ぶ。
「いつこれが、届けられたのですか?」
「夕方、気が付いたら書斎のデスクの上に乗っていました」
「誰か不審な人物を見ませんでしたか?」
「いいえ、今日は午前中に辰也くんと世手代さんが見えてたのですが、彼らが帰った後は、誰も見ていません」
「彼らが帰った後は、どこで何を?」
「昨夜の事があったので、少々疲れて、寝室で横になってました。もしかすると、その間に誰かが忍び込んだのかも知れません」
「その時、奥さんと娘さんは、どちらに?」
「二人とも買物に出掛けていた様です」
「と、するとこの屋敷には誰もいなかったと」
「使用人が二人程いますが、彼らも自室で休んでいて、誰も見かけなかったと……」
「そうですか。目撃情報はこちらでも調べましょう」
「単なるイタズラだとは思うのですが、一応、念の為と思いまして、あらぬ疑いをかけられて変な噂が立っては困りますから」
「そりゃそうですな。ご商売をやられている以上、当然でしょう」
「はあ、でも、なぜ、和尚さんが殺されたのでしょう」
「ああ、いや、実はその件ですが……、犯人は和尚さんではなくて、九央さん、あなたを狙ったのではないかと思えるんです」
「えっ? 万画一さん、それは本当ですか?」
「ええ、あの時、グラスを運んだ手伝いの女性の方に聞いたところ、葡萄酒はあなたの注文だったらしいですね」
「ええ、そうです。私は葡萄酒を頼みました。でも、少し席を離れて人と談笑してまして、物音に気付いて、振り向いて見たら和尚さんが倒れていたんです。あれは、私への葡萄酒だったのですか?」
「ええ、その様です」
 九央は何か考え事をする様に暫し黙り込んだ。
 その時、書斎の電話が鳴った。
 九央が立ち上がって受話器を取る。
「はい、おみえになってますよ。今変わります」
と、答えて、「小泥木警部さん、あなたにです」と受話器を差し出した。
「あ、すみませんな」警部が受話器を取る。
「あ、もしもし、小泥木ですが、ああ、ニコラスくん、どうした? ええ….ええ……、何だと!」と、突然大きな声をあげる。
 呆然とした顔付きで受話器を戻す。
「ど、どうかされましたか? 警部さん」
「ま、万画一さん、今度は、村長が殺された」
「ええっ!」

 小泥木警部と万画一探偵が、飯尾九央を伴って、川沿いにある村長の綿舎偉ヰ念わたしゃえらいねん宅を訪ねた時、辺りはもう薄暗くなっていた。
 鑑識課や検視官はすでに現場で作業をしており、先に来ていたニコラス刑事から事件の経過についての報告を受けた。
「死因は革状の細いものでの絞殺です。発見したのは夕食を届けに来たお手伝いさんですが、その時にはもうこの廊下の辺りで倒れていたと言う事です。死亡推定時刻は今日の四時から五時くらいまでの間。周辺を聞き込みしてみましたが、目撃情報は無しです」
「村長はこの家で一人暮らしだったのかね?」
「その様です」
「例えば、犯人が和尚殺しと同一犯とすると、こちらは絞殺、殺害方法が違いますね」
「それは、つまり、どう言う事ですか? 万画一さん」
「和尚殺し……、いや、九央さんを狙った犯行の様ですが、それは計画的な犯行、こちらは計画的なものでは無いでしょう」
「う〜む、そう考えるとつまり、村長が殺されたのは……」
「おそらく、和尚殺しの犯人を知っていて、口封じのため殺害された、という線が濃いのではないかと思います」
「なるほど、では、村長は和尚を殺した犯人とここで会っていたというのですな」
「そうじゃないかと、僕は思うんですよ」
「よし、村に緊急手配だ。犯行に使ったと思われる革紐を探し出せ、それと関係者全員のアリバイを徹底的に洗え」
 警部は額に青筋立てて、刑事達に怒鳴り声をあげ、指示を与えた。
 その時、万画一の足元をホームスが引っ張った。
「お、ホームスじゃないか、どこに行ってたんだ。こっちは大変だったんだぞ」
と言う万画一を引っ張り、こっちへ来いと、歩き出す。
「おいおい、どこへ行くんだい?」
 ホームスは委細構わず、スタスタと小径を歩き出す。万画一は仕方なく、その後を追って行く。


【辰也】
 冷たいコンクリートの上で再び私が目を覚ました時、私の顔をザラザラとしたものが上へ下へと往復して撫で回していた。
「やあ、気が付いたかい?」
 私にそう応えたのはあのもじゃもじゃ頭の探偵、万画一道寸だった。
「あっ、解けてる」
 私を縛っていたロープは解かれ床に投げ出されていた。顔に被されていた袋と口の周りを結んでいたタオルも外されて、やっと辺りを見回し、喋る事が出来た。どこか薄暗い蔵の中の様な所だ。
「あ、いたたたた」私は顔を顰めた。縛られて長い時間冷たく硬いコンクリートの上に寝かされていたので、身体中が痛い。
「大丈夫かい? いつからここにいたの?」
「探偵さん、あなたが助けてくれたのですか?」
「ロープを解いてあげたのは僕だけどね。ここに案内してくれたのは、このホームスだよ」
 と、見ると万画一の足元でオッドアイの白猫がツンとすましている。舌をペロペロしてるところを見ると、先程のザラザラした感触は猫の舌だったんだな。
「あっ、この白猫!」
「知ってるのかい?」
「あなたの猫ですか?」
「まあ、相棒みたいなもんだよ」
 探偵はニコニコと笑って、
「立てるかい? とりあえず、ここを出て歩きながら話を聞こう。犯人に見つかるといけないから」
「はあ」
 外へ出るともう真っ暗だった。やはりそこは蔵みたいな所で、聞くと、今は廃屋で扉に鍵は無く、誰でも出入り出来るみたいだという。
 私はあそこに閉じ込められた経緯を探偵に話した。
「相手の姿は見ていないのですね」
「はい、もうその前に意識を失いました」
「場所はどの辺りだったか、覚えはありますか?」
「さっきの蔵の近くじゃないでしょうか? 橋を渡って西側の区域に来た事だけは覚えています」
「なるほど、他には?」
「あっ、そうだ、犯人が一度来て、話をして行きました」
「声を聴いたのですか?」
「それが、ボイスチェンジャーみたいな加工した声で、男女の区別さえつきませんでした」
「そうですか。それで、何と言ってました?」
「たしか……、遺産相続を放棄して、今すぐ村を出て行け、でなければ命は無い、みたいな事を言われたと思います」
「ほう、そうですか……」
 万画一探偵は何かを考え込む様に頭をボリボリと掻き毟った。

「ところで、探偵さん、和尚さん殺しの犯人は捕まったのですか?」
 私は率直に訊いてみた。
「いや、まだなんですよ」
「それじゃ、私を襲った犯人が、和尚さん殺しだったのかも知れませんね」
「その可能性も無くは無いんですがねぇ……」
「特に関連は無いという事ですか?」
「そういう事ではないのですが、実は、村長さんが殺されましてね」
「えっ? 村長さんがですか?」
「ええ、その時間帯を考えてみると、あなたが拉致された時刻とほぼ同じか、その少し前位なんですよ」
「と、言いますと?」
「いや、そうすると、不可能とは言い切れませんが、村長を絞殺した直後にあなたを拉致して、閉じ込めるという二つの犯罪を立て続けに行ったという事になり、少々不自然に思えるのです」
「つまり、別の犯行という事ですか」
「だと思います。おそらく、あなたを拉致した犯人は殺人者では無いでしょう。恐喝者では有りますが」
「なるほど、でも和尚と村長を殺す理由て何なのでしょうね? あ、それから濃茶の婆の件もありますね」
「あれは殺人では無いと思いますよ。事故です」
「本当ですか?」
「少なくとも警察ではそう見てる様です」
「私がこの村に来てから、おかしな事ばかり続いてるんですよ。一体、この村はどうなってるのでしょうか」
「さあ、でも、原賀家の当主が入れ替わった事は、何かしらこの村に影響を与えたのじゃないですか?」
「そうでしょうか? あ、そう言えば探偵さんは事件が起こる前からこちらに来てましたね。それは何故ですか?」
「ああ、それはですね。うふふ言えないんですよ。守秘義務というのがありましてね」
 と、この風来坊みたいな探偵は暢気に笑う。

 原賀家の前まで来た所で、万画一探偵は私に、
「辰也さん、あなたにまた誰かが危害を加えるといけないので、ホームスをあなたにお預けしておきます」と言って、足下の白猫を指差した。
「え? この猫をですか?」
「ええ、案外、役に立ちますよ。それに世話は掛かりません。勝手に後を着いて行きますから、あっはっは」
 ホームスはプイッと澄ました顔をして横を向いた。
「ええ、まあ、それは構いませんけど……、私はまた襲われる可能性がある訳なんですね」
「おそらく、この村にいる限りは暫く安心は出来ません。僕は警部さんと一緒に派出所の方にいますから、何かあったら連絡してください。じゃ」
 と、万画一は飄々と去って行く。
「早く、解決することを祈りますよ」
と、私はその背中に一声掛けて、原賀家の玄関を潜った。
 戸を素早くピシャリと閉めたので、猫の奴締め出されて今頃、唸ってるだろうなと思い、上がり框を振り向いて見たら、もうそこに白猫はツンと澄まして居座っている。チクショー身のこなしの早い奴だ。
 まあいいや、好きにするが良いと思い、とりあえず私は減太の部屋に帰った事を伝えに行った。
「ただいま、遅くなりました。今帰りました」と声を掛けて障子を開けてみたのだが、誰もいない。
 布団は空っぽ。
「あれ、留守なのかな?」
 私は、何ともなしに部屋の中へ入った。するとホームスがススっと足元を駆け抜けて、座卓の上に置いてある紙切れを見て、ニャーと一声発声した。
 何だろう、と思って手に取ってみると、何か手紙の様であった。すると、そこには……、
『辰也、後の事は頼んだ』と、これは、減太の文字だ。
 減太は書き置きを残して居なくなったのだ。
 私はその手紙を持ってオロオロした。誰に相談すれば良い? そう言えば屋良世手代はどこに行ったのだろう? まさか、減太と一緒に?
 と、私がどうしたものかとまごついていると、玄関から、「ただいま〜、あ〜、腹が減った〜と兄の名を呼ぶ声が聞こえた。
 バタバタと出て行くと屋良世手代だった。
「せ、世手代さん、お兄さんはどこに行ったの?」
 世手代はキョトンとした顔をして、
「部屋にいないの?」と質問した。
「居ないんですよ。こんな置手紙が置いてあって……」と、私は先程の手紙を世手代に手渡して見せた。
 世手代はそれを読むと、心底驚いた顔をして、
「マジかよ! あいつ! 裏切ったな!」
 と、口汚く罵った。
「裏切った、て何をですか?」
「そんな事、どうでもいいわよ! それより行方を追わなきゃ!」
「どこへ?」
「知らないわよ。そんなこと! とりあえず、警察に電話よ!」
「あ、そうだ。そうしよう」
 と、私は派出所に電話をした。


【万画一】
 万画一が辰也と別れて、派出所の前に到着すると、小泥木警部が血相を変えて表へ飛び出して来た所であった。
「ど、どうしました? 警部さん」
「あ、万画一さん、今度は原賀減太がいなくなった」
「え? 居なくなったって、彼はヘルニアで歩けないんじゃないんですか?」
「とにかく、原賀家へ行ってみましょう」
 と、そんな訳で万画一は小泥木警部と一緒に再び原賀家へとやって来た。
 原賀家の居間では、屋良世手代と原賀辰也が減太の置手紙を手に呆然としていた。
「あ、辰也くん、どういうことかね。減太さんが居なくなったというのは?」
「これです」
 辰也は例の書き置きを小泥木警部に渡した。
 それを読む小泥木警部を万画一が覗き込む。
「くそっ、減太は歩けるんだ」
 小泥木警部は苦々し気にそう口にするとポケットから携帯を取り出して、
「ニコラス刑事、小泥木です。原賀減太が逃げた。すぐに人員を手配して非常線を張ってくれ」と怒鳴った。
「減太さんがいつ居なくなったか、心当たりはありますか?」万画一が訊いた。
「さあ、私は朝から出掛けていましたから」世手代が答える。
「どちらへ?」
「プライベートです。減太の件には関係ありません」
「そうですか。この家に戻ったのは辰也さんより後ですか?」
「そうよ。ね、辰也」
「はい、私が万画一さんに送られて家に戻った時は誰もいなくて、それで減太の部屋に行ってこれを見つけたんです」
「なるほど、けれど、屋良さん、昼間の行動が分からない事には、あなたへの疑いが消える訳ではありません。辰也さんの夕方からの行動は僕が把握しています」
「辰也さんは午後、どこで何を?」
「警部さん、それは後でご報告します」
「そうですか、ところで、屋良さん、その黄色いショルダーバッグですが」
 世手代はまだ帰って来た格好のまま、黄色のショルダーバッグを肩にぶら下げたままだった。
「これが、何ですか?」
「その革紐の部分は取り外しが出来るんですな」
「ええ、ここのパックルを押せば取り外しは可能です」
「ちょっとお見せして貰えますかな?」
「はあ、構いませんけど、ってか、それが何か関係あるんですか?」
「いや、減太さんの件ではございません。とにかく、それを」
 警部はその革紐を手に取りジロジロ見詰めた。
「万画一さん、どうです?」
「う〜む、サイズ的に合いそうですね。ニコラス刑事に鑑定して貰いましょう」
「そうですな。屋良さん、悪いけどこれをちょっとお預かりさせてください」
「何だか分からないけど、どうぞ」
 と、そこへニコラス刑事から警部の携帯に連絡が入った。警部は電話に出ると、
「そうか、分かった。よろしく頼む」と直ぐに通話を切断した。
「減太さんが、見つかったのですか?」
「いや違う。何か不審人物を見つけたらしいので、今からこちらに連行するという事だ」
「そうですか」
 とりあえず、原賀家のリビングに四人は腰を落ち着けた。
 それから暫くしてニコラス刑事が初老の男性を伴って原賀家のリビングに現れた。
 その男の顔を見た瞬間、万画一と辰也は殆ど同時に「あっ」と声を出して立ち上がった。
「あなたは……」
「口部田弁護士!」
「ご存知なんですか? お二人共」
 ニコラス刑事と小泥木警部はキョトンとした。
「私は、この原賀家の先代から遺言書を預かっていた顧問弁護士の口部田です。辰也さんを探し出して、こちらに来させたのも私で、万画一さんにおそらくこの村で起こるであろうと思われる殺人事件の解明を依頼した者でございます」
「な、なんと、そうだったのですか!」
「あっはっは、口部田さん、何で不審人物として、身柄を拘束されちまったんですか?」
「あ、その事は、万画一さん。お見逃しください。ちょっと村の様子を見に来て、直ぐに戻るつもりでいたのですが、何か非常線が張られていて、捕まってしまいました」
「バカじゃないの?」
 屋良世手代がフンと鼻で笑った。
 その時、辰也の足元で丸まっていたホームスが突然、すくっと立ち上がって窓辺に近寄り、ひと鳴きした。
 すると、庭の陰からたくさんの猫達が集まって来た。
「おい、何事なんだい? ホームス」
 ホームスは猫達となにやら猫語で話をしている。
 そして、徐に万画一の袴の裾を咥えて、引っ張る。
「おい、おい、どこかへ行けと言うのかい?」
 ホームスは一際高い声でニャーオと鳴くと着いて来いと言わんばかりに玄関に向かった。
「警部さん、何か只事では無さそうだ。ちょっと行ってみます」
「万画一さん、私も一緒に行きましょう。ここはニコラスくんに任せておきますので、いいね」
「お任せください」ニコラス刑事は応えた。

 こうしてホームスの後を追って万画一探偵と小泥木警部は村の迷路の中を目まぐるしく走った。
「いや、万画一さん、大変な迷路ですな。ここは、ちょっとやそっとでは元には戻れませんよ」
「ホームスがいる限り、大丈夫ですよ。猫は迷子になりません。それにしても、こんな所にこんな細い抜け道があったのか」
 二人はふうふう息を切らしてホームスの後をひたすら追った。
 そして、とうとう少し広い場所に辿り着いた。
「ここは……?」
「あ、何か匂います。これは、アジの干物の様な匂いですね」
 ホームスはそこの一番奥にある倉庫の様な建物の前で万画一に向かってひと鳴きした。
「ここです。警部さん、中に入ってみましょう」
 二人は扉を開けて、その蔵の様な家屋に入る。中はアジの干物が大量に保管されている。蔵の隅に二階へと続く木の階段があり、ホームスがそこを駆け上る。
「行ってみましょう」
 万画一と小泥木がみしみしと音を立てながら慎重にその階段を上がって二階に上がる。
「あ、いました。警部さん。減太です!」
 万画一の声に警部もそちらに目をやる。
 ホームスの横で茶色のボサボサした毛をした老猫がじっと見守る、そこに横たわる二人の人間。その片方は原賀減太だ。そして、もう一人は……?
「あっ」
 その顔を見て万画一は驚きの声を挙げた。
 意識を失って横たわるその顔、
 飯尾来栖!
 九央の娘だ。
「そうか、そうだったのか⁉︎」
と、バリバリと頭の上の雀の巣を掻き毟る。
 小泥木警部は減太と来栖の腕を取り脈拍を確認する。
「大丈夫、まだ死んではおらん。すぐに救急隊の手配だ」
 警部は携帯を手に、救援の要請をした。



【解決編】
 ホームスの働きもあり、幸にして原賀減太と飯尾来栖は一命を取り留めた。
 そして、その翌日の晩、再び原賀家の広間に事件関係者達が集められた。
 広間に顔を揃えたのは、原賀減太、原賀辰也、屋良世手代、飯尾九央、飯尾久枝、飯尾来栖、薮医師、口部田弁護士、そして、万画一道寸の9名、勿論この中に犯人がいる。

 病み上がりのうえ、ヘルニアを抱える減太は奥に布団を敷いて横たわった状態。来栖は両親に抱えられて力無く無表情で寄り掛かっていた。
 事件の経過報告が小泥木警部からなされた後、未だ容疑者リストに名前を連ねてはいるものの、ここは万画一探偵が便宜上、事件の解明を披露することになった。
「先ずは、『アジの干物』で自殺未遂を行ったと見られるお二人、原賀減太氏と飯尾来栖さん」
 ここで、万画一はチラッと飯尾夫妻の様子を垣間見る。二人共憔悴した表情だ。
「お二人は恋仲だったらしいですね。あそこの『アジの干物』で以前から逢瀬をしていた。あの倉庫は濃茶の婆が管理してましたから、来栖さん、あなたが生菓子を婆さんにお渡ししたのですね?」
「ええ、口止めとかそんな意味では無く、お礼のつもりでした」来栖の言葉には力がない。
「そうですか、濃茶の婆はあなたから頂いた生菓子を運悪く喉に詰まらせて亡くなられた様です」
「来栖に罪は有りませんよね」と九央が必死な形相で尋ねる。
「ええ、それは大丈夫です。喉に餅を詰まらせて殺害する、それは、例え、悪意があったとしても、殺人にはなりません。お二人共、アリバイも確かですから」
「良かった」九央はホッとする。
「ご両親は来栖さんの恋愛には反対されてたのですか?」
「あ、いや、私は、そうでもないのですが、家内が反対してたものですから……」
「減太氏は原賀家の存続を諦めていたそうです。和尚さんから辰也氏の存在を聞くまでは」
 万画一の言葉の後、久枝が顔を上げて静かに話し出した。
「私は、もし、原賀家が事業を撤廃するのなら、二人の交際を許そうと思ってました。でも、辰也さんの登場で、一気に話は立ち消えになってしまいました。それで、私は思い余って、あんな事を……」
「あんな事と申しますと?」小泥木警部が尋ねる。
「辰也氏を拉致して監禁したのですよ。空き蔵の中へ。そして、遺産相続を放棄して帰れと脅しつけた」
「えーっ、あれはあなたでしたか!」辰也が驚きの声を出す。
「私の責任です。すみません」九央が頭を下げた。
「九央さん、あなたも辰也さんの拉致事件に関与しているのですか?」
「いや、警部さん、九央さんは後で知ったのですよ。その時、九央さんは……」
「何ですか?」
「あ、いや、これはまた後で言いますよ」
 と、万画一は言葉を濁したが、
「私と会っていたのよ」
 そう言ったのは、屋良世手代だった。
「なんですと!」警部が反応する。
「ま、ま、警部さん、ここはそれを追求するのは、よしましょう。それより、話を先に続けます」
「そうですか、じゃ、まあ、お願いします」
「はい、でも、世手代さん、あなたはそもそも、原賀家と飯尾家、両方に入り込もうと策略してこの村に来ましたね」
「な、何を根拠に……」
「いやね、僕がこの村に来た理由が二つありましてね。一つは辰也氏に無事、遺産相続が行われること、もう一つは殺人事件が起こる可能性があるので、もしそうなったら事件を解明して欲しいというものでした」
 世手代を始め、一同は首を傾げる。何故そんなことを事前に予知出来たのか?
「依頼者はこの私です」
 口部田弁護士が自ら名乗って進み出た。
 フン、世手代はソッポを向く。
「遺産相続は先代の減太氏、または遡ること先先代の時代から原賀家から頼まれていました事です。ですからその責務として申し上げました。しかし、ある事情を知り、私は何かしらの危機を感じまして、万画一探偵にお願いしたのです」
「何かしらの危機とは?」小泥木警部が身体を乗り出す。
 万画一は言う。
「世手代さん。口部田弁護士はあなたの実のお父さんですね」
「何だって!」
 その場にいた者の殆どが、その事実に驚き、口をあんぐりと開ける。
 口部田弁護士は静かに話し出した。
「もう三十年近く昔の事です。私がある飲み屋で知り合った女、名前を屋良シーナと言います。当時、私は女房がいた訳ですが、シーナと、その、何て言うか、そういう男女の関係になってしまいまして、シーナは女児を儲けたのです。それが、そこにいる世手代でございます」
 一同が一斉に世手代を見る。世手代はさらに不貞腐れた態度を取る。
「アレは悪い女でした。私は出産した事を知らずに後から散々金を搾り取られました。もちろん私も自分の子ならと養育費を渡すのにやぶさかではありません。しかし、シーナは私を娘に会わせようとはせず、金だけを要求するのです。そして私は人を雇って密かに世手代の存在を調べさせました。もう何年にも渡って世手代の事は知っております。この娘も母親の影響でどんどん悪の道に手を染めて行きました。学生時代は非行で万引、売春、詐欺と金目当てに悪の道に入って行くのを、私はただ、歯軋りしながら見ているだけでした。そんな世手代が今度はこの村にいるという情報を聞き、私は不安を覚えました。必ずや財産目的であるに違いないと、そう思わざるを得ませんでした。ことは遺産争いです。殺人事件も起こりかねないと思った私は、辰也さんの護衛とともに、もしも事件が起こった場合、それを解明して頂きたくて、万画一探偵にお願いした次第であります」
 一同は口部田弁護士の話に耳を傾けていた。話終わった後も、黙ってその場の成り行きを見守っていた。
「バカな話をしてるんじゃないわよ!」
 いきり立ったのはやはり世手代だった。
「私は殺人なんてしてないわよ。そうでしょ、警部さん」
「あ、あの、バッグの革紐なんですが」
 小泥木警部は村長殺害に使われた革紐が世手代のバッグの革紐ではないかと目を付け、ニコラス刑事に調べさせていたのだ。
「ニコラス刑事、どうでした?」
「はい、革紐のサイズ、幅、材質はほぼ当て嵌まる様ですが、ベルトの方に村長の体毛や皮下組織が付着してるかどうかなどを調べるには、本庁に持って帰らないことにははっきりしませんので……」
「なるほど、では、疑わしい状況であることには変わらんという事ですな」
「フン、勝手にするがいいわ!」
 世手代は終始、不貞腐れた態度でいた。
「世手代さんは、昨日の午後はずっと、九央さんとご一緒だったのですか?」万画一が尋ねる。
「ずっとじゃないわよ。夕方からはあの人が現れて、こんこんとつまらない話をされたわ」
 世手代は口部田弁護士を指さす。
「村長が殺害された時刻は午後の四時から五時までの間と推定されています。昨夜の聴取調査では、誰一人として、確固たるアリバイがありません。これは自殺未遂を起こした減太さんと来栖さんも同じです」と、ニコラス刑事が報告する。
「つまり、皆さん全員に容疑がかかっておる訳です」小泥木警部がひと睨みする。
「そこで皆さんにお願いです」万画一が立ち上がる。
「村長殺しの犯行に使われた革ベルトを今、捜査陣が捜索している訳ですが、今ここで、皆さんがベルトを着けているかどうかを確認したいのです。先ずは僕ですが、この通り袴姿ですので、革のベルトはしておりません」
 この後、一人づつ順次ベルトの装着を確認して行った。その結果、九央と口部田弁護士がベルトをしていたが、それは革製ではなく布製のもので、幅も違っていた。後の者、減太、辰也、世手代、久枝、来栖、薮医師は何れもベルトは装着していなかった。
「だけど、万画一さん、今、していなくても、事件は昨日の事ですから、隠したり、棄てたり、何とでもなるのじゃないですか?」
「九央さん、仰る通りです。だから今、そっちの方は他の捜査官が捜索していますよ」
「見つかると良いですね」
「いや、見つかりませんよ」
「えっ? 何故ですか?」
 皆は驚く。
「ホームス、持って来てごらん」
 万画一が合図を送ると、部屋の隅からホームスが現れた。口にしっかりと革のベルトを咥えている。
 万画一はその革ベルトをホームスから受け取ると、それを持ち上げた。
「僕はこれを前に一度目にしたのですよ。おそらく、犯人はこの場にこのベルトを装着しては来ないと予測したので、密かにホームスに調べさせていたんですよ。これは後でニコラス刑事に調査して頂きますが、おそらく村長殺しの凶器に間違いないでしょう」
「万画一さん、それはどこから持って来たんですか? 一体誰が犯人なんです?」

 そこで万画一探偵は焦らす様に一同を見回した後、その中の一人を指差し、
「あなたが犯人ですね」と言った。


【辰也】
 全く、この村へ来てからロクなことがない。着いたそうそう、頭のおかしな婆あに「あたりじゃ〜」なんて言われて追いかけられるわ、双子の兄は太ったヘルニア男だし、色っぽい女の屋良世手代はなかなかやらせてくれないし、夜中には変な婆さん連中、守護婆様だか何だか知らないが、妖怪みたいな婆を目撃するわで、ケッタイな村だぜ。
 それからも、殺人事件が起こったり、工場は腐りかけたしけた設備だし、菓子は固くて食えないし、その上、誰かに突然拉致されて冷たいコンクリートの床の上に放置されて、遺産相続を放棄して帰れ、なんて脅迫されるし、そして、ようやく助けられて戻って来たら、今度は減太の疾走、心中事件だ。私は一人、部屋の中で散々悪態をついた。
 受け取る予定の遺産は少なくは無いが、飯尾家に比べると微々たるものだ。それほど今は両者の企業状態には開きがある。
 とっとと誰かに売り渡し、金に変えて早く島へ帰ろう、そう思った。
 しかし、減太の野郎が飯尾家のあの可愛い嬢ちゃんと恋仲だったとは、それだけでも腹が立つ!

 今朝、減太が病院から家に帰って来てから、遺産相続の手続きのための判子も捺した。
 私は一時も早く帰ってしまいたかった。
 ところが、事件解決までは足止めを食わされた。あの万画一とかいう変な探偵が、今晩事件関係者は原賀家の広間に集まってくれ、なんて言うから、仕方がなかった。
 そこでもまた驚きがあった、私を拉致して脅迫した犯人はあの優しいと思ってた飯尾久枝だった。人は分からないものだ。それから口部田弁護士が屋良世手代の父親だったなんて、まさかだよな。
 世手代は昔から相当な悪党だったという。革ベルトも持っていた事だし、これで、犯人は屋良世手代に決まりだろう。

 と、思っていたら、あの白猫が革ベルトを咥えて現れ、それの持ち主が犯人だと、万画一探偵が言った。そして、「あなたが犯人ですね」と一人の人物を指差したのであった。



 犯人だと指差された人物は、すぐにはそれを認めようとはしなかった。
「どうして、そう仰られるのか、とんと、合点が行きませんね」
「しらばっくれるおつもりですね」
「証拠でもあるのでしたら、それを見せて貰いましょうか?」
「ニコラス刑事、このベルトから指紋の聴取は直ぐに出来ますか?」
「ええ、指紋なら調べられます。容疑者全員の指紋も採取してありますから、それと照合すれば、ここで直ぐにでも分かるでしょう」
「ではお願いしましょうか。もし、ここからあなたの指紋が出て来た場合、この革ベルトはあなたの物です」
「万画一さん、あなたも今、それを触ってるじゃありませんか? 確かあなたも容疑者の一人でしたね。ご自分だけは何があろうと無関係だと仰るつもりですか?」
 万画一はここで、ふと、ニヤリと笑う。
「ふふ、そこからはちゃんと見えないかも知れませんが、僕は透明で薄いゴムの手袋を装着してるのですよ。ほら、この通り」
 万画一は片方のゴム手袋を剥がして顔の前でひらひらとさせた。
「因みに、昨日、僕がこの革ベルトを目にした時も、このゴム手袋を装着してましたから、僕の指紋が出て来る筈がありません。それと、おそらく、村長の指紋も着いているかも知れませんね」
 そう言われて、その人物はぐっと唇を噛み締めて押し黙った。
「では、ニコラス刑事、お願い致します」
「かしこまりました」
 ニコラス刑事は何か器具をテーブルの上に置き、指紋の照合を始めた。

 全員が沈黙する中、じりじりした時間が流れる。
犯人と名指しされた者は、額に汗を浮かべている。

 やがて、作業を終えたニコラス刑事が顔を上げて、「指紋が検出されました。それと、サイズ、材質共に村長殺害に使われた物と相違ありません」
「なるほど、村長の指紋も出ましたか?」
「はい、はっきりとここに」
「世手代さん、良かったですね。あなたの黄色いバッグの革ベルトは無実の様です」
 世手代はその時になって初めて大きく安堵のため息を吐いた。
「では、犯人の指紋は?」
 小泥木警部が先を急ぐ。
「もちろん、ぴったりと合致しました。それ以外に指紋はありません」
 犯人と名指しされた者は、もうそれ以上、行き場を失って、もはや、蒼白な顔色をしていた。
「さて、ハッキリと証拠が出ました。これで警察はあなたの逮捕状を取れますよ。さあどうしますか?
原賀辰也さん」



 そうだ、犯人は私だ。

 飯尾九央を殺してあっちの会社も乗っ取ってやるつもりだった。
 だが、葡萄酒を和尚の奴が横取りしやがった。
 だから九央には怪文書を置いて暫く様子を見る事にした。
 昨日、工場を見学した後、歩いている所を村長に声掛けられた。まさか、ひ素をグラスに入れる瞬間を見られていたとは、知らなかった。そして、犯罪者は自首しなさいと言われてしまった。だから私はズボンのベルトを使って村長を絞殺した。その後、すぐに拉致されるとは思ってもみなかったけど。
 やはり、助け出された時、おそらくは縛られたロープを外す時に万画一に革ベルトを見られていたのだな。見た目以上に抜け目のない奴だ。それと、あの白猫め!



【エピローグ・万画一】
 事件から数ヶ月が経った。
 万画一道寸は別の所用で口部田弁護士のもとを訪ねていた。
 弁護士事務所は相変わらずひっそりとしていたが、口部田弁護士は元気そうに笑顔を見せた。
 応接用の椅子に座り、向かい合うと眼鏡をかけた事務の女性がお茶を出してくれた。綺麗な色の芳醇な香りのする良いお茶だった。
「それにしても八ツ橋村の事件では万画一さんにお世話になりました。本当にありがとうございました」
「いやぁ、その節は、こちらこそお世話になりまして……、その後、村の方はいかがですか?」
「やはり、減太さんは亡くなりました。病気が回復せず、辰也さんの件も相当ショックだったみたいです」
「そうでしたか、それはお気の毒な……、と言う事は、もう原賀家は消滅してしまったという事ですか」
「はあ、原賀家としてはそうですが、焼菓子工場の方は、その後飯尾さん所の娘さん、来栖さんでしたね。あの娘が事業を継承しまして」
「えっ、そうなんですか! それは良かった」
「ええ、何でも、誰の発案かは存じませんが、マカロンやらクレープなどの新商品を開発しまして、業績を一気に上げているらしいです」
「ほう、それは素晴らしいですね」
「はい、村の観光も盛り上げようと果敢に取り組んでいるらしいです。何でも、毎月満月の夜に八人の守護婆様が村を見廻りするという言い伝えがあるそうで、その姿をカメラに収めようと観光客の映えスポットになっているらしいです」
「守護婆様と言いますと?」
「いやぁ、八ツ橋伝説の由来にも纏わる八人の婆様の幽霊です」
「なんと、そんなものが存在するんですか⁉︎」
「いやいや、私も見た事はないので、何とも……」
「でも、守護という事は、村を守ってくれてる幽霊ですか?」
「そうですな。今回の原賀家の事件も大きな痛手ではあったのですが、結果的に上手く収まりましたから、これで良かったのですかなぁ」
 口部田弁護士はそう言って穏やかな目をした。
「そう言えば、弁護士さんの娘さんはまだ村にいらっしゃるのですか? 確か、屋良世手代さんというお名前でしたね」
「ああ、あれは、とっくに村を出ました」
「そうですか、で、今はどちらに?」
「ここにおりますよ」
「えっ?」
 口部田弁護士が手で示した先に、先程お茶を出してくれた事務服姿の女性がデスクに座り、仕事をしている。
 万画一が顔を向けると、
「はーい、探偵さん、また会ったわね」とVサインを送って寄越した。
「せ、世手代さん、あなたでしたか! 全然気が付かなかった。髪の色も違うし、その眼鏡も」
「あはは、だろうと思った」
「世手代は今、専門学校に通いながら、ここで私の仕事を手伝っています。将来、弁護士になれたなら、ここを継がす予定です」
「ホントですかぁ」
 万画一もびっくりだ。あの屋良世手代が弁護士を目指すとは!
「屋良世手代弁護士事務所、いつか、開設するから、何かあったら探偵さん、弁護をやらせてよ。よろしくね」
「いや、こいつは驚いたなぁ」
 万画一は頭をボリボリと掻いて、笑顔を見せた。
 懐の中で、ホームスは興味無さそうに欠伸をした。



終わり



注: この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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