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八ツ橋村 1/6



【辰也】
 Y県M村からひと山越えた辺りに、通称『八ツ橋村』と呼ばれる村があった。大きさは東京ドーム36個分と聞いていたが、私にはどう見ても両国国技館48個分位にしか思えなかった。
 私は普段、東京都六丈島という大都会に住んでいるので、こんな田舎を訪ねるのは随分と久しぶりの事であった。
「えー、コンビニもないのかよ」
私がその村に一歩足を踏み入れた時の第一声がそれであった。

 今回私がこの村にやって来たのには訳がある。
 ある日一通の封書が我が家のタワーマンションに届けられた。差出人は弁護士口部田難世くちべたなんよと印字されていた。
 封を開けてみると青い便箋に青いインクで文字が書かれていて、非常に読みづらかった。
 しかし、時間をかけてゆっくり文字を辿って行くと、私に遺産相続の権利があるとの事で、至急ご来所下さいと結んであるのが見て取れた。
 元来欲の無い慎ましやかな生活を望んでいる私は、翌日にはいそいそとその弁護士事務所に足を運んだ。
「けっ、薄汚い小さな事務所だなぁ」
 それがその弁護士事務所に足を踏み入れた時の私の第一声であった。里親にしっかりと教育を施されて育った私は常に気品のある言動をする事で評判が高い。
 口部田弁護士はかなり年配の白髪男で、口の周りもたっぷりと白い髭で覆われていた。
 弁護士は私を見ると、嬉しそうな顔をしてソファに座らせ、ドブの様な色をしたお茶を出した。
「で、遺産相続とは、なんすか?」
 私はさっさと用件を聞き出し、とっとと出て行きたかった。部屋はすえた加齢臭に満ち溢れていて私は頭が頭痛になりそうだった。
「八ツ橋村を知っていますか?」
「はっ?」
 いきなりそんな事を訊かれた。知る訳ねえよ。
「あなたが産まれた土地です」
 初耳だった。大体私は物心つかない内から今の大富豪の家に貰われて育って来たのだから。
「その村にあなたと唯一血が繋がった原賀減太はらがへったさんという九十を超えたあなたの双子のお兄様がいらっしゃいます」
「ちょ、ちょい待てよ。九十を超えた双子なんている訳ないっしょ。俺まだ二十歳だし」
「いえいえ、九十を超えたと言いますのは体重の話でありまして、年齢は辰也たつなりさん、あなたと同じでございます」
「紛らわしい、言い方だな、あんた」
「ああすみません。何しろ口下手なもんですから」
「分かったから話を続けろや、このボケ!」
 再び言っておくが、私は至って言動は上品で……。
「減太さんがまもなく亡くなりそうなのです。ヘルニアで」
「そんなんで死ぬのかよ!」
 弁護士はドブのようなお茶をひと口飲んだ。
「はあ、田舎の事ですから。それて、遺産はすべて辰也さんに相続される事になっております。どうかこの遺言書を持って早く村に行って下さい。でないと……、うっ!」
 そこまで言って突然口部田弁護士は胸を押さえてその場に踞った。そしていきなり大量の血を吐き出しその場に倒れ込んだ。
「お、おい、爺さん、どうしたんだよ!」
「いや、これは冗談ですけど」
 口部田弁護士はニヤニヤ笑って起き上がった。
「ウソかいっ!」
「いえいえ、こんな事も充分有り得る程危険なのです。さ、早く、これを持って八ツ橋村へ行きなはれ」

 そんな経緯があり、私は今こうして八ツ橋村に来ている。これから原賀家を訪ねるのだが、その前に通りの茶店を見つけたので、アイスでも食べようかと暖簾を潜った。
 店番をしているお化けみたいな婆さんに「これ頂くよ」と言ってアイスキャンディーを取り出し、小銭を出して渡した。婆さんはその刹那ギロッとした鋭い目で私を睨んだ。
「な、何だよ」と私が言うと、
「十円足りないよ」と言う。
 ふん、ケチな婆さんだ。誤魔化せるかと思ったが銭の勘定だけはしっかりしてやがる。仕方ない、私は渋々十円玉を出して手渡した。
 それはともかく、アイスは美味かった。私は目の前に広がる村の風景と青空を眺めて、これからの事を夢想した。莫大な財産を受け取り、村の娘達を手篭めにし、用が済んだらさっさと島へ帰ってキャバクラへでも通うかと目論んでいた。もう一度断っておくが、私は欲の無い平和で慎ましやかな生活を望んでいる青年なのだ。
 アイスを食べ終え、キャンディーの棒をどこへ捨てようかと、ゴミ箱はどこ?と婆さんに尋ねると、いきなり婆さんは白髪混じりの髪の毛を振り乱し、怖ろしい顔で私を指差し、
「アタリじゃ〜、アタリじゃ〜」と狂ったように繰り返した。
 見るとそうかアイスの棒にアタリと印字されている。けれど私はもうそれ以上アイスを食べる気がしなかったので、その場にアタリ棒を投げ捨て、通りへ走り出た。
 それでも婆さんはしつこくも大声で「アタリじゃ〜、アタリじゃ〜、戻れ、戻るのじゃ〜」と叫び声をあげ、蓬髪を振り乱して追いかけて来ようとする。
 とんでもない所へ来てしまったなと私は後悔した。

 さて、そんなトラブルに見舞われ、方角が分からなくなった私は道に迷ってしまった。原賀家はこの村で一番大きな屋敷なので迷うことはないと思っていたのだが、両国国技館48個分の広さを私は甘く見ていたのかも知れない。細かな路地が迷路の様に入り組んでいる。
 ようやくちょっと広い道路に出た時、後ろから軽自動車が近付いて来て私の隣に停まるとウインドを下げた。
「あなた、原賀辰也さんでしょ?」
 運転していたのはこの村に来て初めて見る若い女。
「そうですが、あなたは?」
 女は黒いサングラスを外すと大きな瞳を輝かせて笑顔を見せた。魅力的でセクシーな女性だ。私はすぐにヤリタイと思ったが、今はまだそれは口に出さないでおく。とりあえずズボンのベルトだけ少し緩めておこう。
「私は、屋良世手代やらせてよ、あなたを迎えに来たのよ」
 私はその名前に惹かれて即助手席に乗り込んだ。
 車は村の目抜き通りを突っ切ると少し小高い丘を上がり、村全体が見渡せる場所で停まった。
「この村はね、大きく分けると原賀家とそれに対抗する新興勢力の飯尾めしを家に二分されてるの。ほら、村の中をうねうねと流れる蛇のようにいやらしい川があるでしょう。その川の東側が原賀家、そして西側が飯尾家の陣地なの。因みに川には八本の橋が架かってていてね。それがこの村の名前の謂れだわ。元々は原賀家のお爺ちゃんが作った『八ツ橋』という名前の焼菓子がこの村の名産だったんだけど、焼き方が硬くてね、年寄りには噛めないから、人気は直ぐに衰えて行ったわ。そこに現れたのが飯尾九央めしをくおうで、柔らかい生の八ツ橋に餡子を包んで売り出したの。それが大人気でね、今じゃ立場が逆転してしまったのよ」
 私は殆ど世手代の話を上の空で聞いていた。何しろ彼女はとんでもないミニスカートを穿き、ムチムチの太腿を曝け出していたからだ。最早、私の興味は生菓子ではなく生太腿の方にあった。
 手を出しても良いのだろうか? いや、出さねば失礼だろ、といろんな事を考えている間に世手代はさっさと車を走らせて、原賀家へと私を連れて行った。

 落ちぶれたとは言ってもそこは村の名士、原賀家の屋敷はなかなか立派な日本家屋であった。
 世手代の案内で奥の座敷に入ると、そこに布団が敷かれ当主の原賀減太が横たわっていた。
 布団はこんもりと大きく盛り上がり、名前とは裏腹に減太は巨体の持ち主だった。
 減太は私を見ると、
「た、辰也か?」と私に呼び掛けた。
「はい、そうです。兄さん」
 私は初めて会う兄の存在に感動していた。流石に体重は九十キロを超えると言うだけあって、その顔は赤みがかってとても病人とは思えないほど、良い顔色だった。果たしてこれで余命幾許も無い状態なのかしらん。
 私は口部田弁護士から預かった遺言書を取り出して見せた。
「おお、そうじゃ、辰也、どうかわしの亡き後、この家の財産を引き継いでくれ」
 減太の喋り方は私と同じ二十歳だと言うのに年寄り臭かった。だが、そこは一先ず、減太の手を握り、私はうんうんと頷いた。
「よし、それでは今晩は村の者達を多勢呼んで宴会としよう。原賀家の跡取りが決まった事を皆に披露するのじゃ」
 減太はヘルニアのため起き上がれないので、布団に横になったまま右手の拳を振り上げた。


続く




注: この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


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