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白猫ホームスと探偵 2/3

前のお話

 2

 その日、万画一は加奈子にいくつか質問をした。
 夫・公生の失踪前の様子、失踪に至る心当たりはないか、趣味や交友関係など、細かく質問した。
 結果として、加奈子の夫・公生は無趣味で友人も少なく、仕事一筋の超真面目な男性であると、そう思わざるを得ない印象に落ち着いた。
 それにしても、二千万円もするダイヤを持って失踪だなんて、普通ではあり得ない。何かの事件に巻き込まれたという可能性もある。
 とりあえず、主に公生が使っていたという書斎を見せて貰う事にした。机や本棚といったところを夫人の前、当たり障りなく捜索してみる。引き出しの中に公生本人の顔写真を発見したので、加奈子に断りを入れて万画一はそれを懐に収めた。それ以外、特に目立ったものも無く、別段、失踪を匂わせるものは何も見つけられなかった。
 それから、ダイヤが入っていた金庫。一応、外部からの侵入者がないとも限らず、玄関からその部屋に至るまでの道筋も含めて、何か変わった所はないかと加奈子に確認しながら調べた。
 警察の鑑識課の様に指紋までは調べられなかったが、おそらく、それをしてみた所で無駄だろう。
 部屋に入り込み、金庫を開け、ダイヤだけ持って行くのは、公生本人にしか無理だと思われる。勿論、公生本人から家のキーと金庫の鍵の在処を聞き出し、番号を合わせ、ダイヤだけを取り出す。それは理論上、不可能ではないものの……、非現実的過ぎる。
 金庫の鍵はリビングの電話の下の引き出しの奥に入っていて、それは今もそこにある。
 金庫のある部屋まで行くのにリビングで鍵を取ろうとすれば、例え加奈子が留守の時、または就寝中だとしても、そこには猫のホームスがいる。そうすれば何らかの形跡は残るものだ。
 盗難の線は薄い様に思われる。
 やはり、これは公生が失踪する際に一緒に持って行ったと考えるのが妥当だ。
 しかし、何故?
 結局、その日は何の成果も上げられず、万画一はその部屋を後にする事にした。
「明日はご主人の会社に出向いてみますが、よろしいですね」
「では、私もご一緒させて頂いてよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんです。では、明日の朝、お迎えに参ります」
 万画一がそう言うと、加奈子に代わってホームスが「ニャッ」と返事をした。


 翌日、タクシーを走らせて高輪のマンション前まで来ると藤原加奈子はすでに舗道に待機していた。水色のワンピース姿で品の良いスタイル、悲壮感は感じられなかった。
 ドアを開けると万画一の隣にすっと乗り込んで来る。と、同時に何やら白い物がさっと飛び込んで来て、加奈子と万画一の間に潜り込んだ。
「や、これは、ホームス!」
 まだ幼いその白猫は小さな身体をシートに丸めて「ミャー」と一声挨拶をした。
「奥さん、良いんですか?」
「どうしても離れないものですから、お邪魔じゃなければ……」
「ええ、僕はもちろん構いませんが。じゃ行きましょうか」
 と、二人と一匹を乗せたタクシーは走り出した。

 公生の会社は大手町だからそれほど遠くは無い。二十分程で目的の会社のビル前に横付けされた。
 ロビーに入り、受付で万画一は、先月退職した藤原公生についてお話を伺いたいのですが、と切り出した。そして身分証明書を見せ、夫人は名を名乗った。
 暫く待たされた後、現れたのは小柄で丸眼鏡を掛けてひょこひょこと歩く五十代位の男性とやや細面で神経質そうな暗い顔をした白髪の男性だった。
 二人ともスーツ姿だが、どう見ても小柄丸眼鏡の方が高級そうなスーツを着ている。白髪の方は大手町のビジネスマンというよりは田舎の町役場の主任さんといった風態。
 ここでは何ですからと、二人と一匹は連れ立って二階奥にある応接室へと案内された。
 ソファに向かい合って座ると、スーツの二人は万画一と加奈子にそれぞれ名刺を差し出した。
 小柄の丸眼鏡の方は、名を加藤と言って取締役の肩書を持つ重役らしい、もう一人の白髪の方は志村という経理部長である事が伝えられた。
 二人は神妙な顔をして、何から話をしようかと躊躇っている様であった。
「あ、それでは私の方からいくつかご質問させて貰ってよろしいでしょうか?」
 万画一は夫人から雇われている代理人である事を説明した。
「ああ、そうですね。何なりと」加藤が答える。
「それではですね。藤原公生さんが退職に至った経緯についてなんですが、何か理由がお有りなのでしょうか?」
 加藤と志村はちらっと顔を見合わせて、では、私がと志村が口を開いた。
「藤原さんから退職届が送られて来たのは先月末頃の事でした」
「送られて来た、という事は出社されて無かったという事ですね」
「そうです。そうです。十日程、無断欠勤をしておりまして、こちらでもどうしたのかなと、話をしてました」
「あ、すみません。こちらで藤原さんはどういう役職に就かれていたのですか?」
「はあ、私の直属の部下で、経理課長をしておりました」
「経理課の課長さんだったのですね」
「はい、主に財務関係の決済を担当してまして……」
「仕事上、何か問題があった訳ではないのですね」
「いや、それが……」
 志村は少し、言い淀んだ。
おっしゃって頂けませんか?」
 万画一は身を乗り出した。
「はあ、実は、申し上げ難い事なのですが……、藤原さんは、どうやら不正を行なっていた様なんです」
 心苦しそうに志村はそう口にした。隣で加藤は苦虫を噛み下した顔をしている。
「えっ、不正を、まさか!」
 そう叫んだのは加奈子である。さっと顔色が変わる。
「ええ、こちらも気付いていなかったのですが、ご主人から送られて来た退職届に、この手紙が添付されておりまして……」
 志村は背広の内ポケットから一通の封書を取り出してテーブルに置いた。
 先ずは万画一がそれを取り上げ、中身を確認した。
 そこには、こんな文章が綴られていた。

『私、藤原公生は偽造文書を作成し、会社の資金、約二千万円を横領致しました。これにつきましては近日、早急に振込にてご返却致します。今回の件、深く謝罪致します。
 尚、私のこの行為に対しての処分、及び法的措置は、社の方針に従う事をお約束致します。私は全ての罪を認め、刑罰を受ける覚悟でございます』

 万画一はやるせない思いでその手紙を加奈子に手渡した。
 加奈子はその手紙を読むや否や、ぶるぶると震え始め、瞳から大粒の涙を溢れさせた。
 そしてソファから立ち上がると、床に手を着き、加藤と志村に向けて土下座した。
「あ、いやいや、奥さん、そんな事はやめて下さい。すでにお金はご主人から振込で返却して頂きましたし、当方もこれについて刑事責任を問う様な事はしないつもりですので、どうか頭を上げてお座り下さい」
 加藤がそう言い、志村が手を添え泣き崩れる加奈子を元のソファに座らせた。

「しかし、なぜ、公生さんは会社の金に手を着けたのでしょう? 何かお心当たりは御座いませんか?」と、これは万画一からの質問。
「はあ、私どもも藤原さんからのこの手紙を見るまで、不正には気付いて無かったのですが、調べてみますと、ここに書かれた通りでして、迂闊でした。けれど理由については、とんと見当が付かない訳でして……」
 志村は気の毒そうな申し訳無さそうな、複雑な顔をしてそう返答した。
「普段、公生さんは会社ではどんな方でしたか?」
「ああ、それは、とても真面目で、部下の信頼も厚く、私も彼を一番信用して、仕事をしておりました。それだけに突然こんな事になるなんて、全く思っても見ない事なんです」
 志村はそう言って加藤にも同意を求めた。加藤も黙って頷く。

 その後、加藤と志村からは大した話は聞けず、ショックが大きい加奈子は一旦ここで家に帰って休んで貰う事にした。
 万画一はもう暫く、会社内部の人達に話を訊いてみたいと思い、加藤、志村の許可を得て、社内にて調査をする事とした。
 タクシーが来て、加奈子が乗り込むと、白猫のホームスは何故か万画一の足下に座ったきり、動こうとせず、抱き上げようとすると「ニャー!」と喚いて反抗し、頑として動こうとしなかった。
「仕方ないですわね。万画一さん、すみませんが、ホームスをよろしくお願いします」と言って加奈子一人が会社を後にした。

 残された万画一はツンとすましているホームスを見て、やれやれと頭を掻いたが、直ぐに気を取り直して、
「では、公生さんが使っておられたデスクやロッカーは、今、どうされていますか?」と志村に質問した。
 私物を含めてそのまま残してあるのでご自由にご覧下さい。そういう志村の言葉に従い、経理室へと案内された。もちろんホームスはその後をスイスイと着いて行く。

 経理室にある藤原公生のデスクは今でも空き状態のまま、ひっそりと残されていた。万画一の見た所、綺麗に整頓されていて、デスク上にはパソコンといくつかの専門書、メモ用紙、電卓等が置かれ、特に変わった点は見られない。
 引き出しを開けてみる。こちらも綺麗に整理されていて、ふと万画一は自分の部屋とは大違いだなと妙な感想を持つ。公生は生真面目な性格だったと伺い知れる。文房具や、クリップ、スティックのり、綴り紐など、小さなケースに分類され、乱雑さは欠片も無い。
 二番目の引き出しを開けて見る。未記入の伝票、領収証等が何冊か小出しでストックしてあり、受け取った名刺を保管するバインダー型のノートがあった。万画一はそれをパラパラめくり、チェックする。銀行関係や取引先の担当者、各方面の業者の名刺がズラッと並ぶ。これを一つ一つ当たって行くのは大変だ。
 とりあえず、それは置いといて三番目の大きな引き出しを開けてみる。ファイルがたくさん並んでいる。いろんな契約書や計算書類だ。見積書や稟議書、会議の資料などが並ぶ。ザッと目を通すが、これはと引っかかる物は何も無い。
 と、一番手前の書類ケースの中に小さな黒い手帳を発見する。
 しゃがみ込む様にその手帳を開いてめくっていると、いつのまにかホームスも前にやって来てその手帳を覗き込む。手帳には日記の様なページが続く、そうか、先月の末から過去に遡って何かあったか、もしかしたら手掛かりが見つかるかも知れない。そう思いながらパラパラとめくって行く。
 と、あるページでホームスが手(前肢まえあし?)を差し出す。
「何だよ。ホームス、これはオモチャで遊んでる訳じゃないんだぜ」と万画一は笑ってみたが、ホームスは何か言いたげな目で手帳と万画一を交互に見る。
「うん? 何だ?」
 すると、そのページから数回に渡り、人の名前と電話番号、それと三桁の数字が書き込まれている。
 例えば、これは退職する二カ月前の日付け、中島 090 ×××× ××××  300  と言った具合に半年前迄に遡って、こういうメモ書きを五件ほど見つけた。
 万画一はそれらを自分の手帳に写し取った。

 さて、次はロッカーだ。近くにいた女子社員に案内してもらってロッカー室に行く。
 その途中、公生と個人的に親しかった方がどなたかいませんでしたかと尋ねてみたのだが、特にそんな人は思いつかないという。やはり、あまり人付き合いはしないタイプだった様だ。
 女性に礼を言ってロッカーを調べる。
 ロッカーの中は、殆ど空っぽだった。上の棚にタオルが一枚とネクタイが一本ハンガーにかかったまま、それだけ。ガランとしている。
「う〜む、ここには何も無しか……」と、そう呟いた時、ホームスがロッカーの中に入り込み、奥の隅を前肢の爪でガリガリと引っ掻いている。
「何やってるんだい、爪研ぎなら家でやりなよ」
 万画一がそう言うと、「ニャー」と一声鳴いて爪の先に何かを引っ掛けている。
「お、おい、何だ? それ?」と万画一が指でそれをつまみ取る。
 ヒラヒラとしたメモの様な薄い紙。
「あれ? これは……」
 万画一は出て来たものを見て驚いた。
 それは、これまで調査して来た公生のイメージからかけ離れたもの。
『キャバクラ ピンクのバナナ レイナ』
 そんな文字が並んでいて、女子大生風の若くて可愛い女の子の写真がプリントされている。風俗店の営業用に手作りされたキャバ嬢の名刺だった。

 経理室に戻り、志村に礼を伝えて会社を出た。
 さあ、ここからは万画一探偵の腕の見せどころだ。
 先ずは先にデスクで見かけた手帳に書かれた五件の電話番号の内一件に電話をしてみる。
 案の定、消費者金融、サラ金だ。とすると横の三桁の数字は借りた金額だろう。五件の合計額は占めて千二百万。
 二千万より少ないが、利息等を考えるとそれくらいの額になるのかも。
 消費者金融は時間的に今日は間に合いそうもないので、キャバクラから当たってみる事にする。
 『ピンクのバナナ』の名刺に書かれた住所に向かってタクシーを走らせる。もちろんホームスも一緒だ。
 その店はすぐに見つかった。そういう系統のお店が並ぶ、一区画、ピンク色のバナナの絵に水着のお姉ちゃんが乗っかってセクシーポーズをしている。そんな看板はイヤでも目立つ。
 探偵である事を告げ、支配人を呼んで貰う。白スーツにグラサン、いかにもヤバそうな若い支配人が現れる。
 万画一の風態を珍しいものを見る様な目で下から上までジロジロ眺め回す。万画一の羽織の懐からミャーと顔を出したホームスを見てびっくりしてグラサンが外れ、目を白黒させた。
「まあ、とにかく、話は事務所だ」と言って店舗の奥へ向かう。
 華やかな店内とは打って変わり、事務所兼ロッカー室は狭くて散らかり放題だ。片隅に事務机があり、その横の固いソファに腰掛ける。
 万画一は藤原公生の写真を支配人に見せた。
「知らねえな」
 こんな男が素直に本当の事を言う訳が無い。
「レイナという娘はいますか?」
「もうとっくに辞めてるよ」
 男は無愛想にタバコを咥える。
「居所とか連絡先とか、教えて頂きたいのですけど……」
「そんなもの、ねえな」
「じゃ、レイナさんと親しかった人とか……」
「知らねえよ」
 と、てんで話にならない。
 すると、突然ホームスが何かを見てビクッと身体を起こし、フーッと唸り声を出す。
 何を見てるのかとそちらに目をやると、グループ企業かなんかのロゴマークの入った表示版が壁に掛けてある。
「あれは、何ですか?」
 黒い円の中に魚のイラスト、その横にアルファベットでKUROMASUの文字。
「は? 何でもいいだろ? ケッ、ネコが魚の絵に反応しただけだろ!」
 よく見ると男のジャケットの襟にも同じイラストのバッジが着いている。どうやら会社の紋章みたいだ。
「ここはグループで多店舗経営ですか?」
「は? そんなこと、聞いてどうすんだよ」
「あはは、それ、僕の名前です」
「あ?」
「まあいいじゃないですか? それくらい教えてくれたって」
「客として来るんなら、歓迎してやるよ。店舗なら都内に八ヶ所はあるよ。それでいいか? そろそろ開店準備しなきゃならないから帰ってくれ、こっちは忙しい身なんだ」
 と、そんな訳で店を追い出された万画一であったが、それから出勤して来る女の子達の中にレイナはいないかと張り込んだ。
 夜になって客がポツポツと入り始めた。ここに公生が現れてくれりゃ、一挙解決なんだけどなと思ったけれど、そんなに都合よくは行かない。レイナらしき姿も現れ無かった。
「仕方ない、今日は諦めて、明日にするか」と万画一は呟いて、ホームスも「ニャン」と同意したようだ。
 結局、夜遅くなってしまったので、加奈子のマンションには向かわずにホームスを連れたまま、割烹旅館・潮月の離れ、万画一の部屋に戻ることにした。
 帰る道すがら、「ああ、腹減ったなぁ」と万画一が呟くとホームスも「ミャー」と呼応する。
「そうか、お前もお腹空いたよな。女将さんに何か作ってもらうよ」
 ホームスは万画一の羽織の懐が気に入ったのか気持ち良さそうに丸くなって目を閉じた。

つづく

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