思春期の水曜日 其一四

 進路希望記入用紙が配られて、何人かは迷わず説明途中でも記入している。しかし大半の人間は用紙と教師の顔を交互に見ていた。
 俺はこれといった進路希望が思いつかない。劇団所属の級友や、理系のテストで満点を取り続ける物理学者志望の女子もいる。そんな連中と比べて、俺には何がある?

 何もない。

 そう結論するしかなかった。ただ惰性で、その場限りの楽しみに耽って生きている。それを省みると、自分が情けなくて仕方なかった。ため息一つついて、記入用紙を仕舞った。
 何もない自分、何の技術や能力のない自分。考えれば考える程憂鬱になる。
 だが、不意にあるマンガの台詞が浮かんだ。

 逆に考えるんだ、『あげちゃってもいいさ』と考えるんだ。

 何でもないという事は、これから先、何にでもなれるという事でもある。幸運にも、学力は学年で上から二〇位以内を保っている。また、親は裕福な家庭を築いており、大学まで行かせてやると常々言われていた。
 よく、医者や弁護士が学力上位の人間の進路に挙げられるが、自分は傷病者に寄り添う思いやりや、弁論を駆使する能力はない。
 しかし、希望はある。自分には何もないと思い込んでいた一分前とは打って変わって、自信がみなぎってきていた。
 もっとも、深刻そうに頭を抱える級友もいる様子だった。

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