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【短編小説】幸福の勇気#9

以前、文学系投稿サイトで発表していた創作物を加筆修正して再掲しています。 以前投稿していたサイトからは削除してあり、現状この作品はnoteのみで発表しています。


前回

顔射

 さすがの耄碌婆も途方に暮れた。

 外から見れば細鴉が突き刺さっているということはわかるのだけれども突き刺された本人である耄碌婆はそれを視認する術を持たず、ただ全身に激痛が走り、その長い人生経験から何かが全身に突き刺さっていると確信できてはいたのだがしかし、感覚的に突き刺さっている物の数が尋常ではない。
 これを引き抜くのは大変な苦労だ。この歳になってそんな苦労はしたくない。しかしこの痛いのからは逃れたい。
 そんな思考がひたすら耄碌婆の半木瓜頭の中を逡巡していた。
 まぁでもこんな風に全身を激痛に苛まれながら降りつもる雪の中に突っ立っていても人生に嬉し味もなく、幸せに暮らすにはとにかくこの突き刺さっている何かを抜くしか無かろうと耄碌婆は決断し、非常に緩慢な動作でそれを実行し始めた。
 耄碌婆本人は何を抜いているのかわかってはいないが、それは楊枝のような無数の細鴉であって、それが一羽ずつ抜かれて足元に放り投げられる。
 抜くたびに細鴉の嘴が抜けた穴から血が吹き出す。
 耄碌婆を中心としてその足元に漆黒の細鴉。
 それを取り囲むように耄碌婆から吹き出す血液が雪を染めている。
 上空から見ると黒い円のぐるりを赤い円が縁取っている、なんとなく弓道の的みたいな事になっていた。なってはいたがそれは結果としてそうなっていたというだけの事で耄碌婆の人生には何の影響もなく、ただ耽々とそのような模様が描かれ続けていたというだけの話である。
 ともあれ細鴉はほとんど抜けて耄碌婆の足元に落ちて溜まり、とうとう脳天に突き刺さっていた最後の一羽となった。
 「苦しゅうない」
 最後の細鴉はそう呟いたが作業に没頭している耄碌婆にその言葉は届かず無反応で、細鴉はただ引き抜かれ同僚の上に放られた。
 「シカトかよ!」
 放られて地に落ちる寸前、最後の細鴉は無反応な耄碌婆にムカつき、そう叫んで空中に嘔吐した。
 細鴉が吐き散らした反吐は勢いよく飛び散り耄碌婆の顔面を覆った。顔射、と言えば言えなくもないが、反吐があまりに大量であったためにむしろパイ投げでパイを顔面でもろに受けてしまった婆さんというような風情で耄碌婆は暫し呆然としていた。
 やがて緩慢な動きで顔面の吐瀉物を手で拭った耄碌婆の両眼窩には、先程脳にダメージを与えたLEDライトのように輝く金貨がぴったりと嵌っていた。
 ピカピカの。
 耄碌婆の足元に溜まっていた細鴉は一斉に顔を上げ、その顔をじっと見ていた。そして口々に大都会にある総合病院の住所を叫んだ。それは通常、鴉が出すような禍々しい感じの声ではない良く通るクルーナーボイスであり、雪がしんしんと降りつもる寒村に朗々と響き渡った。
 耄碌婆は両眼を金色に輝かせたまま、腹と目に穴が開いて向こう側が見える状態で氷の台座に固定された勇気の前に跪き、手を合わせて頭を垂れた。
 「おいおい、俺は勇気10歳だ。地蔵じゃねぇぞ、拝むんじゃねぇ」
 当然だが凍った唇は勇気の声を外には出さず、耄碌婆へ不満は一旦頭蓋で反響した後、結果的に今回はくり貫かれた眼窩とそれにこびり付いた肉片の隙間から外に出ることができた。
 皮肉なことに目を失ったことで勇気は声を取り戻したのである。生体の振動で声が出てるわけじゃないので取り戻したというよりも新規に発声方法を開拓したという方が良いのだが、外見上は勇気から声が出ているので、詳細な説明は省く。
 
 やがて耄碌婆は突然詠唱を始め、やがてそのまま立ち去った。緩慢に。

 後に残された勇気と細鴉たちは耄碌婆が立ち去った後も微動だにしなかった。じっとしているその間にも時は流れ、雪は彼らに降りつもった。東の空が白くなり始めたその頃「俺たち、帰って子作りに励まないと」そう言って細鴉たちは飛び去った。
 飛び去る細鴉たちの羽ばたきで周囲は一瞬の吹雪。
 勇気の足の裏に貼り付いた氷柱は長さ幅高さ共に更に広がり、台座は立派になっていた。
 「やれやれ」
 勇気は呟いた。眼窩と肉片の隙間から声が出て、それは勇気の鼓膜を震わせ、満足気な笑みを唇に生んだ。

 またもやひとりになった勇気に雪はしんしんと降りつもった。

(…to be continued)

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