自然とともに生きる

 小学校4年生くらいのときだっただろうか。ある夏の暑い日、家の裏に流れる川はどこから来ているのだろうと思い、川をさかのぼったことがあった。

 家の裏の川は、川幅が1メートルから1メートル50センチくらいの小さい川だ。深いところでも、40センチくらいの深さしかない。山から湖に流れ込む小さな川で、岩魚が住んでいるきれいな川だった。よく魚を獲ったり、軽石を削って色水を作ったりして遊んでいた。

 川をさかのぼり始めて、だんだんと傾斜がきつくなっていった。いかにも人が立ち入らないという雰囲気で、草が生い茂っていた。今だったら考えられないが、半そで半ズボンにサンダルという軽装でずんずん川をさかのぼっていった。

 そのときの気持ちはどんなだっただろう。冒険のようでわくわくしていたのだろうか。何かを発見しようという好奇心でいっぱいだったのだろうか。とにかく夢中で、川以外何も見えていなかった。

 しばらく上ると、いよいよ山登りの様相を呈し始めた。汗をシャツの袖でぬぐいながら、皮を上った。途中、川がいくつかに分かれていたため、もともと狭い川幅がもっと狭くなって、もう50センチほどしかなかった。川底も細かい石からごつごつした岩が目立つようになっていった。

 どのくらい歩いただろうか。勾配がきつくなり、ふと足を止めた。周囲を見渡すと、うっそうと茂る木々の間から光が差し、黄緑色の光が辺り一面に広がっていた。川幅はもう30センチほどで、ちょろちょろと流れるだけになっていた。この川は湧き水なんだと気づいた。

 目線をさらに前に進めると、川が階段のようになっていた。その中のある段に水がたまり、直径30センチくらいの小さな水溜りができている。気になったので、近くに行って覗き込むと水たまりの直径と同じくらいの大きさの岩魚が泳いでいた。

 思わず、「あっ」と叫んだ。上流でこの大きさの岩魚を見たことがなかったので驚いた。するとその瞬間、体中に鳥肌が立った。

 怖い。こんな山奥まで来てしまった。周りは見たこともない景色だ。少し離れたところでは、ぎーぎーと獣の鳴くような音が聞こえる。自分ひとりの周りを山が囲んでいて、それに飲み込まれてしまいそうな感覚があった。

 夢中で川を下った。だいぶ、奥まで来たような感覚があったが、下ってみるとあっという間に見知った場所までついた。

 今でもひとりで山歩きをしていると、たまに急に怖くなる。畏怖という言葉が近いかもしれない。吸い込まれてしまうような感覚に陥るのだ。普段、自分と周囲を区別している枠組みとか境界といったものが、自然の中にいるとあいまいになってしまう。なんだか、そのまま自分が取り込まれてしまうように感じる。

 自然とともに生きるということは難しいと改めて思う。生活様式や形態の変化だけではなく、個人の中の自我レベルで変化しなくてはならない。周囲を山に囲まれ、なかなかの田舎で過ごしていた当時の私にも、自分と自然の間の境界はあった。それは、今の自分よりはだいぶ広く、ゆるやかな境界ではあったが、少し未知の領域に踏み入ると、自然の持つエネルギーに圧倒され、飲み込まれてしまうと恐れおののいた。精神的なレベルで、自然とともに生きるということは難しい。

 まだ幼かった私が、ここまで感じていたのかはわからないが、あの日の出来事はいまだに夏が来ると思い出してしまうのである。

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